第3巻 『深淵の怠惰』
第一章:魔導こたつの絶対結界と、凍てつく空の侵略者
一:怠惰の特異点「魔導こたつ」の開発
初雪が帝都ルミナリアの尖塔群を白く染め上げる、極寒の十一月下旬。
大陸の陸・海・宗教・経済を、昼寝と寝言と八つ当たりだけで完全掌握してしまった「生ける神話」ソラ・ヴァルハイト(十九歳・無職希望・全人類の至高神)は、かつてない危機感を抱いていた。
(……寒い。寒すぎる。地球温暖化ならぬ大陸寒冷化でも起きたのか? 布団から首を出しただけで鼻の頭が凍傷になりそうだ……)
ベッドの中でミノムシのように震えていたソラは、ある日、前世の記憶――否、怠惰の遺伝子に刻まれた究極の叡智を思い出した。
「なぜ人間は、四角い机の下に熱源を置き、そこに掛け布団を被せて下半身を沈めないのか?」と。
そうして、ソラが自室の暖炉の前に転がっていた壊れかけのローテーブル、古いウール毛布、そして「低出力の熱線を発するだけの初歩的な温熱魔導具(本来は温室の苗を育てる農業用)」を適当にガムテープめいた革紐で縛り付け、誕生させたのが――人類史上初の『魔導こたつ』であった。
その構造は、あまりにも怠惰を極めていた。
中央の天板には、ソラが「手を伸ばすのすら疲れる」という理由で、周囲の空間から冷たい林檎水やミカン、最新の娯楽小説を引き寄せるための、極小魔力による微弱な吸引力場が張られている。
内部の温度は、人間の副交感神経を極限まで弛緩させる「三十八点五度」を寸分の狂いもなく維持。
一度潜り込めば、脊髄からすべての労働意欲を奪い去る、魔のブラックホール。
「……あ、あぁ……っ……これだ……これだよ……。これこそが、人類が何万年も求めてきた終着点……」
ソラは首までこたつ布団に潜り込み、天板の上に顎をちょこんと乗せ、半開きの目で至福の溜息を漏らしていた。
パジャマのズボンはすでに脱ぎ捨てられ、素足がこたつの奥でぬくぬくと温められている。
天板の上には、皮を剥くのが面倒なのでそのまま置かれたミカンが三個。
完璧だった。
外で粉雪が舞おうと、他国の王族が会談を求めてこようと、この四角い天板の下に広がる小宇宙に比べれば、銀河の創生すら道端の埃に等しかった。
(出ない。三月まで一歩もここから出ない。トイレも極限まで我慢する。僕はこのまま、こたつの一部になって冬を越すんだ……)
ソラは完全に意識を溶かし、液体のようにこたつ布団と同化していた。
だが――その神聖なる「冬眠の儀」を、異様な眼差しで見守る二つの影があった。
「……見なさい、セレスティーナ。あのお姿を」
部屋の隅。執事服に身を包んだエレノアが、震える手で手帳に羽ペンを走らせていた。眼鏡のレンズが、パキリと青白い燐光を反射している。
「あ、あの四角い木製の祭壇……! 天板の下に展開された熱量循環回路……!
あれは、古代旧文明の文献にすら存在しない、『絶対不可侵の全次元保温結界』よ……!
周囲の気温、大気圧、地脈の寒気をすべて無力化し、内部の空間を『母胎の羊水』と同等の極限恒常性へと固定している……! わずか農業用の温熱具と毛布だけで、神代の恒久結界を再現してみせるなんて……!!」
「ええ……! なんという崇高な神託でしょう……!」
純白の修道服の袖を整え、両手を胸の前で固く組んだセレスティーナが、エメラルドの瞳から大粒の涙をポロポロと零していた。
「マスターは全身を縮こまらせ、四角い布の中に沈み込むことで、現世の矮小な争いを憐れんでおられるのです!
『私は動かぬ。動く必要すらない。世界が寒さに震えようとも、私の敷居を跨ぐ者には無償の温もりを与えよう』という……全人類に対する至高の冬眠宣言……!
ああ……! あの天板の上に置かれた三つの黄金の柑橘は、帝国、聖皇国、カルテルの三勢力を、自らの手のひらの上で転がしているという暗喩に違いありませんわッ!!」
「おいおいおい……」
部屋の入り口で、巨大なバトルアックスを抱えたバルガスが、太い首筋に滝のような冷や汗を流して立ち尽くしていた。
「あの中に一度入ったら、どんな屈強な戦士でも戦意を喪失して二度と立ち上がれなくなるってか……。恐ろしいぜ……。あのお方は、武器も軍隊も使わずに、ただ『机の下を温める』という行為ひとつで、人類の闘争本能を根こそぎ去勢する気だ……!!」
三人の狂信者が、こたつの中でヨダレを垂らして「むにゃ……」と寝息を立てるソラに向かって、無音で深々と平伏した。
部屋の中は、完全に絶対零度の静寂と、極上の温もりに満たされていた。
――そう、あの耳障りな「咆哮」が、北の空から轟いてくるまでは。




