三:空き瓶の衝撃と、崩壊する論理
「……ぬ? 瓶……?」
ドナルドが足元の空き瓶を見下ろした。
その瞬間。
ピキィィィィィィィィンッッッッ!!!!
瓶の底から、ガラスが擦れ合うような超高周波の共鳴音が鳴り響いた。
ソラが無意識に瓶に注入していた極小の高密度魔力が、ドナルドの足元――彼が自慢げに履いていた『最高級の魔導防護革靴』の術式核と接触したのだ。
バチンッッッ!!!
火花が散り、ドナルドの靴に仕込まれていた「精神防御・交渉優位の古代呪文」が一瞬でショート、煙を上げて黒焦げになった。
「ひゃああっ!?」
ドナルドが飛び上がり、みっともなく尻餅をついた。
「……っ!!」
横で見ていたエレノアの眼鏡が、狂気の光を反射した。
「……やはり。マスターには全てお見通しだったのですね」
エレノアが冷酷な笑みを浮かべ、ドナルドを見下ろす。
「な、何がお見通しだというのだねッ!?」
「貴方のその靴底……他国の要人と交渉する際、微弱な魅了魔力を床から流し込んで相手の判断力を奪う、カルテル特製の禁忌魔導具でしょう? マスターはハンモックに寝そべったまま、視線すら向けずに、空き瓶の転がり一つでそのインチキ術式の核だけをピンポイントで焼き切られたのですよ」
「な……ななな……ッ!?」
ドナルドの顎が外れそうに落ちた。
完全なる企業秘密。これまで数々の国家元首を騙し、富を毟り取ってきた必勝の魔導細工が、ただの転がってきた空き瓶で無力化されたのだ。
「さらに……」
セレスティーナが恍惚とした表情で、芝生の上に転がる空き瓶を指差した。
「見なさい、あの瓶の止まった位置を! 貴方が抱えている契約書の束の、ちょうど真下……!
空の瓶……中身のない、空虚な器……!
マスターは無言のまま、こう仰っているのです!
『貴様の持ってきた契約書など、中身のない空き瓶同然のゴミ屑だ』と……!!」
「ヒィッ……!?」
ドナルドの背筋を、巨大な氷柱が貫いた。
(ば、馬鹿な……! 我がカルテルが半年かけて練り上げた、完璧な搾取契約の条文を……目を通すことすらなく……ただの『空き瓶』だと見抜いて切り捨てただと……!?)
ドナルドの手から、金糸の契約書がハラハラと零れ落ちた。
しかし、男の強欲はまだ最後の悪あがきを試みようとしていた。
「え、ええいッ! ならば実力行使だッ! 契約を結ばぬというなら、海路を封鎖するまで! 『血塗れの鯨団』よ、この無礼な小僧を捕らえ――」
ドナルドが叫びかけた、その時だった。
「……ふわぁぁぁぁぁ……」
ハンモックの中から、心底だるそうな、長大なあくびが漏れ聞こえてきた。
モゾモゾ……。
ソラが、ハンモックの中で寝返りを打った。
キャベツの葉っぱがわずかにずれ、その隙間から、冷え切った、死んだ魚のような黒い瞳がチラリとドナルドたちを捉えた。
ソラは、心底うんざりしていた。
瓶を蹴っ飛ばしたのに、まだ目の前でブタみたいな男が甲高い声で喚いている。
うるさい。眩しい。何より、昼寝の邪魔だ。
ソラは、だるそうに口を開いた。
耳栓が詰まっているせいで自分の声の大きさがよく分かっておらず、ただ苛立ちのまま、ボソリと呟いた。
「……おい」
ドスンッ……!!
庭全体の空気が、一瞬で十倍の重力に押し潰されたかのように沈み込んだ。
ソラの放つ「早く消えろ」という純粋な拒絶のオーラが、達人の呼吸法によって増幅され、不可視の気迫となって炸裂したのだ。
「ひっ……!?」
傭兵隊長が膝をつき、百名の傭兵たちが一斉に武器を取り落とした。
ソラは、ドナルドが着ているド派手な金色の絹服を見つめ、心からの本音を吐き捨てた。
「……ギラギラして目がチカチカするんだよ。邪魔だから、全部脱いで海に飛び込んでろ」
(その眩しい金ピカの服をやめろ。視界の端に入るだけで眩しくて寝られないんだよ。どっか遠くの海にでも行って泳いでろバカ)
ソラはそう言い放つと、再びキャベツの葉っぱを深々と被り直し、完全にハンモックの中へと引きこもった。
「これで静かになるだろ」という、ただの八つ当たりである。
だが――。
その言葉を聞いたドナルドの脳内では、全世界が裏返るレベルの超絶解釈の天変地異が巻き起こっていた。




