二:公爵邸の中庭、木漏れ日の虚無
正午過ぎ。
秋晴れの心地よい陽光が降り注ぐ、ヴァルハイト公爵邸の広大な後庭。
ドナルド率いるカルテルの一行は、重々しい足音を響かせて中庭の芝生へと踏み込んだ。
彼らを迎えたのは、武装した騎士団でも、威厳ある外交官でもなかった。
「……ようこそ、ガレリアの豚共。マスターの睡眠環境を害さぬよう、心拍数を今の半分に落とし、二酸化炭素の排出量を三割カットして歩きなさい」
腕を組み、冷え切った眼鏡の奥から侮蔑の視線を送るエレノア。
そして、その隣で身の丈ほどもある大十字架を芝生に突き立て、聖なる祈りを捧げているセレスティーナだった。
「おやおや、手荒なお出迎えですなァ!」
ドナルドは丸々と太った腹を揺らし、下卑た笑みを浮かべて前に進み出た。
「我が輩はガレリア海洋カルテルの全権特使ドナルド! 本日は新鉱脈の共同開発に関する、極めて建設的かつ莫大な利益をもたらす『金の卵の契約』を持参してまいった! ソラ・ヴァルハイト殿にお取次ぎ願おうか!」
「マスターはすでにおられますよ」
エレノアが、顎で庭の中央を無造作に指し示した。
「……ぬ?」
ドナルドが視線を向けると、そこには一本の巨大な樹齢数百年の古木があった。
柔らかな木漏れ日が揺れるその木陰の下、最高級の麻で編まれた一台のハンモックが、微風に吹かれてユラリ……ユラリ……と揺れている。
そして、そのハンモックの中には――。
だらしなく手足を投げ出し、涎を垂らしながら、死んだように眠りこけているパジャマ姿の青年が一人。
ソラ・ヴァルハイトである。
頭の上には、直射日光を遮るために適当に乗せられた「ちぎったキャベツの大きな葉っぱ」が一枚。
足元には脱ぎ捨てられた片方だけのスリッパ。
耳には、外の音を遮断するための丸めたティッシュペーパーがぎゅっと詰め込まれている。
「……すぴー……すぴー……」
呑気極まる寝息が、そよ風に乗って聞こえてくる。
「……は?」
ドナルドは目を丸くし、金無垢の杖を取り落としそうになった。
「な、何だあの男は……!? 我が輩が訪れると知っていながら、パジャマ姿で庭の木にぶら下がって寝ているだと……!? 頭にキャベツを乗せて……!?」
「無礼な口を慎みなさい、金塗りのナメクジ」
セレスティーナが冷酷に大十字架の石突きを地面に打ち鳴らした。
ドォン、と重低音が響き、芝生が波打つ。
「マスターは現在、大自然の精霊と精神を同調させ、光合成の最適効率を自らの肉体で実証しておられるのです! キャベツの葉は、頭頂部のツボを直射日光の魔素励起から保護するための神聖防護壁! 貴方のような俗物が口を挟む領域ではありません!」
「光合……!? ツボ……!?」
ドナルドの後ろに控える百名の傭兵たちが、一斉にざわめいた。
(す、すげえ……! 敵の特使が百人の武装部隊を引き連れて乗り込んできたというのに、無防備にハンモックに揺られ、頭に野菜を乗せて眠り続けている……!?)
(殺気も闘気もゼロ……! まるで大地の草木と同化しているようだ……! どこから斬り込んでも、風のように受け流される未来しか見えねえ……!!)
傭兵隊長が青ざめ、額から脂汗を流す。
だが、強欲の権化であるドナルドは、まだ引き下がらなかった。
「え、ええい、ハッタリに決まっておるわッ! 噂通りの奇人よな! だが、ビジネスの場において奇行など何の役にも立たんわッ!!」
ドナルドは懐から、金糸で刺繍された分厚い羊皮紙の束――カルテル門外不出の『不平等包括通商条約草案』をバサリと取り出した。
「ソラ殿ォッ!! 我がカルテルは、新鉱脈の開発資金として金貨一億枚を即時無利子で融資いたそう! その代わり、今後百年にわたる採掘権の独占と、海路の関税免除を要求する! これにサインをいただけねば、我がカルテルは帝国の全海路を封鎖し、塩一つ通さぬ兵糧攻めを敢行することになるが……どうされるかなァッ!?」
ドナルドの脅迫じみた大声が、静かな庭園に響き渡った。
だが、ハンモックの上のソラは――。
「……んぅ……」
眉毛をわずかにピクリと動かしただけだった。
ソラの内情は、心底からの苛立ちに支配されていた。
(……うるさいな。誰だよ。
せっかく部屋から抜け出して、木陰の涼しい場所見つけて、頭にキャベツ乗せて冷やしながら最高に気持ちいい昼寝に入ったのに……。
ガレリア? 金貨? 塩?
何言ってんのか全然聞こえないし、そもそも興味ないんだよ……。声がデカすぎて耳が痛い……)
耳栓の隙間から飛び込んでくるドナルドの甲高いダミ声。
早く黙らせたい。
早くあっちへ行ってほしい。
しかし、起き上がるのは絶対に嫌だ。身体を起こしたら筋肉を使うし、キャベツが頭から落ちて額が眩しくなってしまう。
ソラは、だるそうに右手をハンモックの縁からだらりと垂らした。
そして、足元に転がっていた「飲み終えた果実水の空き瓶」を、手の甲でコン……と突いた。
本当に、ただそれだけだった。
「あっち行け」という鬱陶しさを込めて、邪魔な瓶を足元から遠ざけようとしただけの、気のない小突き。
だが――。
幼少期の地獄訓練により、ソラの関節は「最小限の力で最大の運動効率を生み出す」ように呪われていた。
さらに、ソラのスプーン一杯の極小魔力が、空き瓶のガラスの分子構造へと無意識に流動。
カラン……コロコロコロ……。
芝生の上を転がったガラス瓶は、信じられないことに、摩擦抵抗を完全に無視した滑らかな軌道を描き、ドナルドの足元へと吸い込まれるように転がっていった。
そして――ドナルドの右足の爪先に、コツンと軽く当たって止まった。




