幕間:蠢く盤面、怪物の胎動
帝都ルミナリアを東西に貫く大通りには、朝早くから怒号のような喧騒が渦巻いていた。
「号外! 号外だァッ! 帝国三大ギルドの一角、『銀翼の天秤』が新マスターを擁立!」
「十九歳の最年少ギルドマスター爆誕! ヴァルハイト公爵家の嫡男、ソラ・ヴァルハイト様が就任承諾書に正式調印!!」
「試験官ガレスを一撃で屠り、特級暗殺者三名を紙切れ数枚で返り討ち! 帝都に潜んでいた正真正銘の『生ける神話』だッ!!」
宙を舞う無数の新聞。拾い上げた市民や下級冒険者たちが白目を剥き、通りは瞬く間に蜂の巣をつついたような騒乱へと変わっていた。
だが、真の戦慄は、大衆の歓声の遥か上空――帝国の覇権を握る者たちの密室でこそ、冷徹に、そして濃密に広がっていた。
幕間其の一:『白銀の聖堂』の冷汗
帝都北区、雲を突くようにそびえ立つゴシック様式の尖塔群。
三大ギルドの頂点にして、帝都の治安維持を実質的に代行する最大手ギルド『白銀の聖堂』の最深部、大理石の大広間。
磨き抜かれた床に、カツン、カツンと硬い足音が響く。
純白のマントを翻し、眉間に深い皺を寄せて歩くのは、ギルドマスターのジークフリートだった。二十代半ばにして「帝国最強の光輝剣聖」と謳われ、端正な顔立ちと冷徹な軍略で知られる男だ。
彼の前には、膝を突き、額から止めどない汗を流す特級諜報員が三人、平伏していた。
「……もう一度言ってみろ。私の聞き間違いでなければいいが」
ジークフリートの冷え切った低音が、大広間の天井に反響する。
諜報頭の男が、喉を鳴らしながら震え声で応えた。
「は、はッ……! 今朝方、『銀翼の天秤』本部にて暗殺組織『血塗れの鴉』が放った特級暗殺者三名が、即座に無力化されました。……三人とも全身の骨を粉砕され、現在も意識不明。放ったのは、新マスターのソラ・ヴァルハイトです」
「『血塗れの鴉』といえば、近衛兵長すら暗殺した実績のある手練れだ。それを……あの脳筋のバルガスとエレノアの手を借りずに、一人でか?」
「いえ……それどころではありません」
諜報員は顔を上げることすらできず、手記を持つ指を小刻みに震わせた。
「現場の魔力残滓、および割れた窓から飛び散った破片の軌道を復元したところ……ソラ・ヴァルハイトはソファに寝そべったまま、背後も見ずに『ただ手元の書類を数枚放り投げただけ』とのことです」
「……何?」
「投げられた紙片の一枚一枚が、突風の気流を完璧に捉え、不可視の刃となって暗殺者たちの急所をミリ単位の狂いもなく直撃。さらに床に張り巡らされていた影渡りの魔導回路を偶然を装って遮断し、バルガスの斧の射程内へ叩き落としたと……」
ジークフリートは息を呑んだ。
背筋を、まるで氷の刃で撫でられたかのような悪寒が駆け抜ける。
「紙切れで……特級暗殺者を……? 振り向きもせず、寝そべったまま……!?」
「はい。さらに、事前の騎士団選抜試験におけるガレス戦の記録も精査いたしました。ガレスの全身甲冑に傷一つ付けず、神経の結節点へ針の先ほどの極小魔力を撃ち込んで中枢を麻痺させています。あの男の魔力量が測定器でゼロと出た理由……それは枯渇などではない」
諜報員は、恐怖で引き攣った声で結論を絞り出した。
「あまりに高密度、あまりに純粋……! この世界のあらゆる魔導具の測定限界を遥かに超越した『無限の圧縮』……! 私たちの計器ごときでは、彼の魔力を『無』としてしか認識できなかったのです……!」
ジークフリートは自らの愛剣――帝室より賜った名剣『聖天の光刃』の柄を無意識に握りしめた。
指先が微かに震えている。自身がこれまで積み上げてきた「帝国最強」という自負が、足元から音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。
「ヴァルハイト公爵家の落ちこぼれ、だと……? 笑わせるな。あそこの老獪な当主め、十九年間もこんな怪物を秘密裏に飼い慣らし、完全に牙を研ぎ澄ませてから世に放ちおったのか……!」
ジークフリートは青ざめた顔で窓の外、帝都の空を睨みつけた。
「バルガスのような荒くれ者と、プライドの塊であるあのエレノアが、初対面で即座に頭を垂れて全権を譲渡したという事実……それこそが何よりの証拠だ。奴は……ソラ・ヴァルハイトという男は、三大ギルドの頂点を奪うどころか、この帝国の盤面そのものを一手でひっくり返す気だ」




