四:至福の目覚めと、絶望の朝食
翌朝。午前十一時。
ヴァルハイト公爵邸の最上階寝室には、神聖なまでの静寂と、柔らかな木漏れ日が満ちていた。
「……んぁ〜……よく寝たぁ……」
ソラは、羽毛布団の中で豪快に両手を伸ばし、猫のように背中を反らせた。
連続睡眠時間、実に二十四時間。
頭はスッキリ、身体の疲労も完全に抜け、肌の調子もすこぶる良い。
(……完璧だ。やっぱり僕の作戦は正しかった)
ソラはベッドの上でむくりと起き上がり、満足げにシーツを撫でた。
(あの二人、今頃会議室で五百件の書類を突き合わせながら、『ここが違う!』『そっちこそ間違っている!』って血みどろの議論をしてるに違いない。
あと二、三週間は帰ってこないだろ。これで僕の黄金の引きこもりライフは安泰だ)
ソラは鼻歌交じりにベッドから降り、スリッパをつっかけて、優雅にベルを鳴らした。
目覚めの冷たい林檎水でも運ばせようとしたのだ。
だが――。
チリン、と鳴らしたコンマ一秒後。
バァァァァァァンッッッッ!!!!
新しく付け替えられたばかりの頑丈な寝室の扉が、凄まじい勢いで跳ね開いた。
「マスター・ソラァァァッッッ!!!!」
「おはようございます、我が至高の主よッッ!!!!」
突風のようになだれ込んできたのは、昨夜よりもさらに目の下の隈を濃くし、しかし顔面だけは後光が差すように輝いているエレノアとセレスティーナだった。
(……ぶっ!?)
ソラは飛び退き、ベッドのヘッドボードに背中をしこたま打ちつけた。
(な、なんで!? なんで帰ってきてるの!?
五百件の書類だぞ!? 二つの国の法律を擦り合わせるんだぞ!? なんで一日で終わってんの!?)
パニックを起こすソラの前に、二人は揃って恭しく跪いた。
そして、エレノアが紫の絹布に載せられた、両国の最高国璽がデカデカと捺印された『悪魔のバインダー』を、両手で高々と掲げた。
「マスターの深遠なる御指示通り、帝国と聖皇国の法制・宗教・軍事の完全合一法案、無事に両国元首の調印を完了させ、公布してまいりました!」
「へ……?」
ソラの口から、情けない声が漏れた。
「これにより、マスターは名実ともに大陸の半分を統べる『大陸統一帝国最高総裁』へご就任あそばされることとなりました!
帝都と聖都の全教会において、本日はマスターを讃える大祝宴が執り行われます!
さあ、お召し替えを! 両国の全貴族と全聖職者が、マスターの御前に額づくため、階下で列をなして待機しております!!」
セレスティーナが嬉し泣きしながら、純金で織られた眩しすぎる法衣をバサリと広げた。
「……え?」
ソラは、差し出されたバインダーの表紙と、広げられた黄金の法衣を交互に見つめた。
思考回路が、完全に焼き切れた。
(……合一法案……? 大陸統一……? 最高総裁……?
全貴族が……階下で……待機……?)
ソラは、ガタガタと震える手で自らの前髪を掻きむしった。
早く部屋から追い出したくて、絶対に結論が出ないような面倒な宿題を投げたはずだった。
二人を泥沼の議論に閉じ込めて、自分がサボるための時間を稼いだはずだった。
なのに。
なぜだ。
なぜ、寝て起きたら『二つの国を無血で征服した覇王』になってしまっているのか。
「あ、あのさ……エレノアさん……」
ソラは引き攣った笑みを浮かべ、震える声で尋ねた。
「僕……『静かに寝ていたい』って……言ったよね……?」
エレノアは眼鏡を押し上げ、誇らしげに胸を張った。
「ええ、重々承知しております! ですから、全貴族の拝謁式は、マスターがベッドに横たわったまま行えるよう、『寝室スルー型謁見システム』を構築いたしました!
マスターはただ布団の中で微睡んでおられるだけで、千人の貴族が足元を通り過ぎながら勝手に平伏して去っていきますので、ご安心ください!」
「そういう問題じゃねええええええええええッッッッ!!!!」
少年の魂の絶叫が、防音ガラスの部屋を突き破らんばかりに響き渡った。
しかし、その悲鳴すらも、階下から押し寄せる数千人の貴族たちの「ソラ様万歳ッ!! 大陸の覇王ソラ様ァッッ!!」という割れんばかりの歓声にかき消されていくのだった。




