二:安眠補佐の極致(不毛なるプレゼンテーション)
「おはようございます、我が主!」
セレスティーナが膝をつき、両手で一着の衣服を捧げ持った。
「本日の室内着として、聖皇国の至宝『天蚕の絹布』を取り寄せました! 触れるだけで着用者の心拍数を自動で睡眠最適な毎分五十拍へと同調させ、体温を常に平熱プラス零点三度に保つ奇跡の衣です! これをお召しになれば、一日中、極楽浄土の微睡みの中でお過ごしいただけます!」
「甘いですね、聖女」
すかさずエレノアが冷笑を浮かべ、背後のワゴンから巨大な毛布のような物体を引っ張り出した。
「マスターの類まれなる皮膚感覚は、衣服の繊維の摩擦すら『微細な情報入力』として脳を疲弊させます。こちらをご覧ください。当ギルドが古代ダンジョンの未踏層より回収した『無重力スライムの脱皮殻』を精製した、完全摩擦ゼロの液状ゲル寝具です。これに全身を沈めれば、重力、摩擦、衣服の圧迫感……この世のあらゆる物理刺激から完全に遮断され、母胎の羊水の中にいるが如き完全無欠の安寧が得られます!」
「はぁ!? スライムですって!? 貴女、マスターの至高のお肌を生臭い魔物の残骸に浸す気ですか!? 衛生観念が狂っています!」
「聖皇国の押し付けがましい宗教儀礼のほうがよほど不衛生です! 奇跡の布などと嘯いて、マスターの身体に自国の霊素マーキングを刻み込む魂胆が見え見えですよ!」
「なっ……! 不敬な! 私はただ、マスターに最高の二度寝を捧げたい一心です!」
「その浅薄な独善がマスターの貴重な微睡みを妨げていると言っているのです!」
ギャーギャー、ギャーギャー。
至高の美少女二人が、ベッドの両脇で唾を飛ばし合って罵り合っている。
美貌の聖女とクールな眼鏡美女が繰り広げる、世界で最もレベルの低い泥仕合。
その中央で、ソラは額を押さえ、深いため息をついた。
(……スライムの殻とか絶対ヌルヌルして気持ち悪いだろ。誰が入るかよ。
ていうか、心拍数を勝手に下げるパジャマって何? 暗殺用の呪具かよ。怖すぎて着られるわけないだろ……)
ソラが求めているのは、そんな大袈裟な古代兵器でも神代の奇跡でもない。
ただの、実家で使い古した、いい感じにクタッとした綿のパジャマと、使い慣れた羽毛布団。それだけなのだ。
なぜこの二人は、物事を常に国家滅亡規模のスペックへと引き上げなければ気が済まないのか。
(……早くこいつらを部屋から追い出さないと、本当に頭がおかしくなる)
ソラは、だるそうにベッドから足を下ろした。
スリッパをつっかけ、ふらふらとした足取りで、部屋の隅に置かれた執務机へ向かう。
机の上には、エレノアが持ち込んだ「ギルドの決済書類」と、セレスティーナが持ち込んだ「聖皇国からの釈明・貢物録」が、それぞれ天井に届くほどの高さで二つの巨大な山を築いていた。
「ああっ、マスター! お身体を動かされてはなりません!」
セレスティーナが悲鳴を上げて駆け寄る。
「書類仕事など、下々の者が処理すべき雑事! マスターの神域の頭脳を、このような紙切れの群れで摩耗させるわけにはまいりません!」
「ええ、その通りです」
エレノアも素早く回り込み、ソラの前に立ちはだかった。
「決裁印を押すだけの作業すら、マスターの貴重な脱力状態を阻害します。私が全ての書類に目を通し、マスターの思考を完璧にトレースして代筆・代行いたしますので、どうかベッドへお戻りください!」
二人の過剰な過保護が、ソラを窒息させそうに迫る。
ソラは、二つの書類の山を見上げた。
それぞれ、軽く五百枚はある。
(……これだ)
ソラの脳裏に、起死回生の「サボり脱出プラン」が閃いた。
(この二人に、終わりのない不毛な作業を押し付ければいい。
競い合ってるんだろ? なら、互いの足を引っ張り合うような超めんどくさい仕事を投げて、部屋の外で永遠に擦り合わせでもしててもらおう。そうすれば……僕の部屋に、本当の平和が戻る!)
ソラは、心底うんざりした表情を保ちながら、二つの書類の山を、それぞれ左右の手のひらでトン、と軽く叩いた。
表情筋は完全に硬直。
半開きの瞳には、底知れぬ深淵の冷徹さが宿っている――ように、二人には見えた。
「……おい、二人とも」
室内の空気が、瞬時に氷点下へと凍りついた。
セレスティーナとエレノアが、息を呑んで直立する。
「は、はいッ!」
「仰せのままに、マスター!」
ソラは、心底だるそうに、頭に浮かんだ「最も時間がかかり、最も結論が出ず、自分を一切巻き込まない作業」を口から垂れ流した。
「エレノア。お前の持ってきたギルドの書類五百件……この聖女の宗教的な視点から、倫理的に問題がないか全行チェックさせろ」
「……え?」
エレノアが眼鏡の奥の目を見開いた。
ソラは続けざまに、セレスティーナへ顔を向けた。
「セレスティーナ。お前の持ってきた聖皇国の貢物録と外交文書……エレノアの監査基準で、脱税と利権の不正がないか一文字残らず精査させろ」
「……は、はい……?」
セレスティーナが小首を傾げる。
ソラは、心からの本音――「早く部屋から出ていって二度と戻ってくるな」という願いを込めて、冷酷に言い放った。
「二人の意見が、一言一句狂いなく完全に一致するまで……僕の前に書類を持ってくるな。……それまで、僕を起こすなよ。邪魔したら、二人ともクビだ」
ソラはそれ以上何も言わず、踵を返すと、ベッドへと潜り込んだ。
掛け布団を頭の天辺まで完璧に被り、ミノムシ形態へと完全移行。
完全なる業務放棄。
「これで二人が何日も会議室に缶詰になって、泥沼の議論を続けてくれるはずだ」という、ソラの計算されたサボり采配だった。
だが――。
背後の室内を満たしたのは、沈黙だった。
呼吸すら許されない、極限の戦慄と畏怖。




