二:乱入する狂信者たちと、更なる泥沼
「マスター・ソラァァァッッッ!!!!」
突如、廊下の向こうから雷鳴のような絶叫が轟いた。
直後――既に枠しか残っていない寝室の扉の残骸を蹴破り、血相を変えたバルガスとエレノアが、武装した近衛騎士団を引き連れてなだれ込んできた。
「窓が割れる音が聞こえたぞッ! 敵襲かァッ!?」
バルガスが大斧を抜刀し、床を粉砕しながら突進してくる。
その隣で、エレノアは指先に最大級の攻撃魔法を展開しながら、室内の状況を一瞬でスキャンした。
割れた強化ガラス。
舞い散る硝子片。
そして、ベッドの前で大十字架を構えたまま、ガタガタと震えている純白の修道服の少女――。
「……ロストキア聖皇国の【祓魔式典礼装】……!? 貴女は、『天啓の退魔聖女』セレスティーナ……!?」
エレノアの眼鏡が、冷酷な怒りの光を反射した。
「不法侵入、器物破損、さらには帝国最高位【無敵の守護竜神】であられるソラ様への暗殺未遂……! 聖皇国は、我が帝国と全面戦争を望むとお見立てして宜しいのですね!?」
「待ちなさいエレノア!」
バルガスが手で制した。
その巨漢の目は、ソラのベッドサイドに釘付けになっていた。
「見ろ……! マスターの御手を……!」
バルガスの震える指の先。
ソラは、だるそうにベッドの縁に肘をつき、手にした小説の角で、セレスティーナの巨大な十字架をいまだに「トントン」と小突いていた。
パジャマのボタンは一つ外れ、目蓋は半分閉じられ、欠伸を噛み殺している。
「お、おいおいおい……」
バルガスがゴクリと唾を飲み込み、全身に鳥肌を立てた。
「聖皇国の国宝……あらゆる魔導障壁を粉砕する【神銀の退魔槌】を……マスターは、文庫本一冊で受け止めてやがる……! 構えすら取らずに、寝転がったままだぞ……!?」
「ええ……!」
エレノアの青い瞳に、瞬く間にいつもの狂気的な信仰の炎が点火された。
「聖女の放つ神聖気すら、マスターの『深淵の怠惰』の前には微風にすら満たない……! 傷一つ負わず、ただ眉をひそめただけで、敵の戦意を根底からへし折っておられるわ……!!」
二人の狂信的な会話が、静まり返った寝室に反響する。
一方、ソラは――。
(……うるさい。本当にうるさい。なんで人が増えてるの?)
頭痛が限界に達していた。
窓が割れて寒いところに、今度は筋肉ダルマと眼鏡女が怒鳴り込んできて、大声で戦争だの暗殺だのと騒ぎ立てている。
これでは絶対に眠れない。
早く全員を部屋から叩き出し、毛布に潜り込みたい。
ソラは、だるそうに小説をベッドの上に放り出すと、目の前で固まっているセレスティーナに向けて、心底めんどくさそうに片手をヒラヒラと振った。
「……おい、お前」
セレスティーナの身体が、ビクゥッ!と跳ね上がった。
「は、はいッッ!?」
無意識に直立不動の姿勢を取ってしまう聖女。
「……もう用事は済んだだろ。寒いから、そこどいてくれ」
ソラは、ただ「窓から吹き込む風の通り道に立たれると寒いから、さっさとどっか行け」と言っただけだった。
早く毛布を頭まで引き上げて、冷えたつま先を温めたかったのだ。
だが――。
セレスティーナの耳には、その言葉が完全に魂を削り取る死神の宣告として届いていた。
(『もう用事は済んだだろ』……!?
つまり……私がここに来た理由、聖皇国の謀略、教皇の密命……そのすべてを、この男は最初から見抜いていた……!?
そして『そこどいてくれ』……!
それは……『私の視界から消えろ。さもなくば、貴様の国ごと消滅させる』という……絶対強者の最終通告……ッッ!?)
「あ……あ……っ」
セレスティーナの膝から、完全に力が抜けた。
ドスン、と大十字架が絨毯の上に落ちる。
帝国を調伏すべく乗り込んできた世界最強の退魔聖女は、その場に両膝をつき、パジャマ姿のソラを見上げながら、大粒の涙をポロポロと零し始めた。
「わ、私……私は……なんて恐ろしい御方に刃を向けてしまったの……!」
セレスティーナは両手で顔を覆い、しゃくりあげながら床に額を擦り付けた。
「許してください……! 貴方様は邪竜などではない……! 人の悪意も、神の怒りすらも超越した……世界の理そのもの……!
私の浅はかな盲信を……どうか、どうかお赦しください……!! 私は……私は今日から、貴方様の僕として、この命を捧げて罪を償いますからァッッ!!」
「……は?」
ソラが素っ頓狂な声を漏らした。
(え? なんで? なんで泣いてるの?
僕、寒いからどいてって言っただけなんだけど……?
ていうか、僕って何? いらないんだけど!? 僕の部屋に人を増やすなよ!!)
ソラが内心で絶叫した、その瞬間。
エレノアがサッと前に進み出て、手帳に猛烈な勢いでペンを走らせながら、恍惚の笑みを浮かべた。
「……流石はマスター。聖皇国最強の切り札たる聖女を、一言の言葉と小説の角一つで完全調伏……! これにより、ロストキア聖皇国に対する絶対的な外交優位が確立されました!」
「おうよッ!!」
バルガスが豪快に笑い、天井を仰いだ。
「戦わずして聖女を軍門に降らせるたぁ、まさに神竜帝の御神徳だぜ! おい、そこの聖女! 泣いてる暇があったら、マスターの寝室の窓ガラスを直す資材を聖皇国から最高級のミスリルガラスで調達してこいッ!!」
「は、はいッ! 直ちに本国へ連絡し、我が家の全財産を投じて最高峰の防魔遮光硝子を献上いたしますッッ!!」
セレスティーナが涙を拭いながら、必死の形相で敬礼する。
ソラは、完全に開いた口が塞がらなくなっていた。
(……待って。
窓を直してくれるのは嬉しいけど……なんでこの聖女、僕の部下みたいになってるの?
ていうか、結局部屋が寒いままなんだけど!?
誰かまずカーテン閉めてよおおおおおおッッッ!!!!)
少年の切実極まる絶叫は、またしても誰の耳にも届かない。
窓から吹き込む秋風の中、ソラを取り囲む狂信者の輪は、国境を越えてさらに強大に、そして凶悪に膨れ上がっていくのだった。




