二:皇宮『千竜の大広間』
帝都の中心にそびえる帝宮の最深部――『千竜の大広間』。
天井高二十メートルを超える広大な空間には、純白の大理石の柱が何十本も立ち並び、壁面には歴代の英雄たちの黄金像が並んでいる。
床一面に敷き詰められた深紅の絨毯の両脇には、正装した近衛騎士団、帝国全土から集結した各軍団の将軍たち、四大公爵家をはじめとする上級貴族、さらには同盟国の特命全権大使まで、千人を超える国家の最高幹部たちが一分の乱れもなく整列していた。
張り詰めた空気。
咳払い一つ許されない静寂の中、正面の巨大な石造りの玉座には、皇帝カルルが威風堂々たる面持ちで腰掛けていた。その隣には、軍部総司令官のゼノス大将軍と、帝国宰相カルル・フォン・リヒターが直立している。
大広間の重厚な扉が、厳かに開かれた。
『――帝国三大ギルド『銀翼の天秤』ギルドマスター! 帝都の救世主、ソラ・ヴァルハイト閣下の御入来ッ!!』
儀仗兵の朗々とした声が反響する。
千人の視線が、一斉に入り口へと集中した。
畏怖、羨望、崇拝、そして底知れぬ恐怖。
その視線の嵐を一身に浴びながら、歩みを進めてきたのは――。
黒と紫を基調とした最高級の礼装を身に纏ったソラだった。
しかし、その歩みは軍人のような力強さとは無縁だった。足音はほとんど立たず、両手はだらりと下げられ、重心は完全に脱力している。
何より、その顔面――半分閉じられた切れ長の瞳には、この場に集まった千人の権力者たちを一瞥する気すらない、完全なる「退屈」と「無関心」が湛えられていた。
(……足が痛い。この新品の革靴、かかとが硬すぎるんだよ……)
ソラは内心で涙目になりながら歩いていた。
姿勢を正して歩くことすら面倒くさかったが、早く終わらせて帰りたい一心で、最短距離で玉座の前へと進み出る。
その後ろを歩くエレノアとバルガスは、周囲の貴族たちがソラの放つ「不可視の威圧感」に呑まれて次々と青ざめていくのを見逃さなかった。
「見たか……?」
列に並ぶ歴戦の将軍が、冷汗を拭いながら隣の同僚へ耳打ちした。
「あの歩法……。千人の殺気と視線に晒されながら、呼吸一つ乱さず、心拍数すら一定を保っている……!」
「ああ……。まるで、この大広間にいる我々全員を『ただの道端の雑草』としてしか認識していない……! あれが……空を裂いた怪物の眼差しだというのか……!」
ソラは玉座の階段の下、五歩手前で足を止めた。
本来であれば、ここで最敬礼を行い、片膝を突いて臣下の礼を取るのが宮廷作法である。
だが、ソラは膝を折らなかった。
曲げると立ち上がるのが疲れるからだ。
ただ、首をわずかに前へ傾げ、だるそうに軽く会釈しただけだった。
大広間の空気が、ヒュッと音を立てて凍りついた。
皇帝の御前での不敬。常人であれば即座に近衛兵に取り押さえられ、不敬罪で地下牢へ叩き込まれる暴挙。
だが――抜刀しようとする近衛騎士は、一人もいなかった。
ゼノス大将軍すらも、息を呑んで冷汗を流しながらソラの立ち姿を凝視している。
皇帝カルルは、自らの玉座から静かに立ち上がった。
その表情には怒りの色など微塵もなく、むしろ「真の神話を前にした人間の王」としての深い敬意と戦慄が刻まれていた。
「……よくぞ参られた、ソラ・ヴァルハイト殿」
皇帝の重厚な声が大広間に響き渡る。
「昨日の天空の異変……太古の厄災【魔神の心臓】の暴走による帝都壊滅の危機を、其方はただ一太刀の刃をもって粉砕し、数百万の臣民を救い給うた。その功績、もはや地上のいかなる賞賛をもってしても讃え尽くせるものではない」
皇帝は壇上から降り、ソラの目の前まで歩み寄った。
従者が差し出した真紅のベルベットのクッションの上には、純金とミスリルで鍛え上げられた、帝国の最高栄誉を示す【神竜の首飾り】が置かれていた。
「よって、余は帝国全軍、および帝国議会の総意として、其方に帝国最高位の称号たる【無敵の守護竜神】を授与する。さらに、帝国全軍の最高裁定権と、国境を越えた軍事行動の即時承認権を有する『名誉元帥』の地位を委ねたい。――其方の卓越した知謀と神話の武威をもって、この帝国を未来永劫の安寧へと導いてほしい」
大広間から、地鳴りのようなざわめきが沸き起こった。
名誉元帥。全軍の最高裁定権。
それは実質的に、皇帝と並ぶ、あるいはそれ以上の権力を一人の青年に委ねるという、帝国開闢以来の特権移譲だった。
貴族たちが息を呑み、将軍たちが固唾を呑んでソラの返答を待つ。
一方、ソラは――。
(……やっぱり来たよ。最悪だ)
胃の底が冷え切るのを感じていた。
守護竜神? 名誉元帥?
そんなものを受け取ったら、明日から世界中の軍隊から相談事が持ち込まれ、反乱の鎮圧に駆り出され、会議に次ぐ会議で一生を終えることになる。
絶対に、何がなんでも、全力で断固拒否しなければならない。
ソラは呼吸を整えた。
幼少期から培った「無表情の鉄面皮」を完璧に維持したまま、皇帝の目をまっすぐに見据えた。
できる限り冷淡に。
できる限り突き放すように。
自らの「無能さ」と「怠惰さ」を世間に知らしめ、愛想を尽かされるための言葉を、はっきりと口にした。
「――お断りします」




