第58話 結界消滅
ナハティアは玉座に座り、目を閉じていた。
「消えたな」
感慨がなかった。数百年間ずっとそこにあったものが、今この瞬間になくなった。それを告げる声に、高揚も、安堵も、何もなかった。
「ラズロ」
ナハティアの声に応じ、広間の端、影が濃い場所から人影が滑り出てきた。
「結界が消えたようだ」
ラズロは微動だにしなかった。一拍置いて、静かに口を開いた。
「かしこまりました」
ラズロは深く一礼し、踵を返した。
王の間に静寂が戻った。
「王都が気になるか」
ナハティアは、玉座から少し離れた位置に立つ伊織に言った。
「いいえ」
伊織は答えた。視線だけが、わずかに床へ落ちた。
夜が明けきらないうちに、テオは城の地下にいた。
魔法陣は、かすかに光っている。
テオは膝をつき、魔法陣に両手を当てた。即位してからほとんどの時間をここで過ごした。書物を読み漁り、魔力を注ぎ込もうとした。何度やっても、何も起きなかった。それでもここに来ずにいられなかった。
ーー光が、消えた。
石床に刻まれた線が、ただの彫り物になった。
膝をついたまま、テオはしばらく動かなかった。それから立ち上がり、地下を出た。
廊下を歩きながら、行き合った兵士に声をかけた。
「カイルを執務室に。至急だ」
兵士が駆けていく足音を背に、テオは歩き続けた。
執務室にカイルが来るまで、時間はかからなかった。
扉が開いた時、カイルは既に鎧を着込んでいた。夜明け前に呼び出された意味を、この男はとっくに理解していた。
「陛下、結界が消滅したのですか」
「……ええ」
テオは地図の前に立ったまま、答えた。窓の外はまだ薄暗い。王都の石畳が、夜明け前の青白い光の中に沈んでいた。
「防衛の準備は」
カイルは一礼し、2日で練った防衛計画を大まかに説明した。テオは地図から目を離さず、黙って聞いた。説明が終わっても、テオはしばらく口を開かなかった。
「私も城壁に立ちます」
「陛下」
カイルの声が、一瞬部屋の空気を変えた。
「それはなりません」
「皆が戦っている時に、王である私が王宮に閉じこもっているわけにはいかない」
「しかし——」
「そういうの、カッコ悪いよ」
扉の方から声がした。ニーナだった。お凛がその後ろに立っている。
「あなたには、やるべきことがあるでしょう」
テオは何も言えなかった。わかっていた。気持ちだけが逸ってわかりやすい行動に出てしまう。それを皆に対する、何より自分に対する言い訳にしていた。私はやっている、と。
しかしニーナの一言で目が覚めた。後ろめたさは消えない。それでも自分がいるべき場所を改めて突きつけられた。
「……カイル」
「はい」
「頼みます」
「必ずや」
カイルは力強く答え、深く一礼した。




