第57話 雷
開けた場所に出たのは、日が傾きかけた頃だった。
枯れた草が一面に広がっている。木々が消え、空が広くなった分、かえって息苦しかった。
「……あれが魔王城ね」
ファリダが静かに言った。
草原の果て、地平線の手前に、黒い影がそびえていた。巨大だった。
山のように黒く、夕暮れの空を切り取るようにそびえている。遠いはずなのに、圧迫感がある。
「随分と禍々しいな」
宗一が呟いた。
その時だった。気配がした。
ファリダが素早く前を向く。草原の中央に、人影が一つ立っていた。いつからいたのか、わからなかった。
細身の体躯。両生類を思わせる青白い肌が、透明な粘液に覆われてぬらぬらと光っている。その上から、金の刺繍が走る黒い上衣を羽織っていた。瞳だけが、暗い金色に光っている。
「おや、人間か」
低い声だった。感情がなかった。ただ、事実を確認するような声。
「数ヶ月前、人間が四人、この辺りを通らなかった?」
ファリダが言った。
ザルクは少し間を置いた。
「……その前に。私はザルク。これでも一軍を預かる将だ。挨拶くらいはしておこう」
「それはどうも。で、何か知っているの?」
ザルクはファリダの言葉を鼻で笑った。
「人間というやつは、弱いくせに数だけは多い。そんな生き物をいつどこで見たかなんて覚えているわけがないだろう」
「あ、そう。じゃあ……」
ファリダは両腕を広げた。
空気中から水素と酸素を集め、水を生成する。それを火で加熱して気化させる。広がった水蒸気に、風をぶつける。摩擦が起きる。静電気が走り、一点に収束していく。
「これで終わりよ」
解放した瞬間、雷鳴とともに白い閃光が草原を走った。
空気が焼ける臭いがした。
「雷とは驚いた。三属性だな。魔族でも使えるものはほとんどいないというのに」
ザルクの全身を覆う粘液が、かすかに光っている。電気が体表を走り、そのまま地面へ逃げていった。
「だが残念、相手が悪かった」
そう言うと、ザルクは強く地面を蹴り、一足飛びに間合いを詰める。
「嘘……」
しかしショックを受けている場合ではない。ザルクがこちらに向かってきている。
ファリダは次の構えに入った。火と水、蒸気爆発。今度は——
間に合わなかった。
衝撃。
ザルクの強烈な蹴りで、ファリダの体が吹き飛んだ。草原を転がり、宗一の足元に倒れ込んだ。
「大丈夫か」
「……っ、平気よ」
平気ではなかった。脇腹が痛い。息が上手く吸えない。それでもファリダは立ち上がろうとした。
その瞬間、ザルクが飛び込んできた。
宗一は微動だにしない。
——シュピン
澄んだ金属音が一つ。
ザルクは、そのまま動かなかった。上衣だけが、雷で焼け焦げたまま残っていた。
静寂が、草原に戻った。
ファリダは、膝をついたまま、宗一の背中を見ていた。何が起きたか、見えなかった。わかったのは、終わったということだけだった。
宗一は振り返り、ファリダに手を差し伸べた。
「立てるか」
ファリダはその手を見た。一拍置いて、掴んだ。
「……失敗しちゃった。三属性魔術を見せようとして、相手の特性を考えてなかった」
立ち上がりながら、左手で脇腹を押さえ、顔を歪めた。かなり痛むようだった。
「今日はここらで野営しよう。慌てることはない。魔王城はまだ先だ」
宗一は草原の向こうを見た。黒い影は、さっきより少しだけ大きく見えた。




