第56話 爆炎
国境を越えた瞬間、空気が変わった。
色が、くすんでいる。木々の緑が濃すぎて、どこか不自然だった。鳥の声がない。風もない。ただ、重い静けさだけがある。
「ここから魔王領よ」
ファリダが言った。声を抑えていた。
宗一は特に表情を変えず、雪駄をペタペタと鳴らしながら歩いている。
しばらく歩いたところで、ファリダが足を止めた。
「来る」
茂みの奥から、魔獣が現れた。四足の獣が三頭。狼の体躯に、山羊の頭。横長の瞳孔が、黄色く光っている。牛ほどの大きさがあるそれが、低く唸りながらじりじりと間合いを詰めてくる。
「キモっ!」
ファリダが思わず口走った。
直後、不気味な三体のキメラの後ろから、ゆっくりと人影が出てきた。
がっしりとした体格。肌は深い紫色で、額に二本の角が生えている。装いは質素だったが、立ち居振る舞いに妙な重みがあった。
人影は二人を見て、口の端を上げた。
「人間が、魔王領に」
低い声だった。驚いてはいない。むしろ、面白がっているような声だった。
「珍しい。ずいぶんと度胸があるじゃないか」
男は腕を組んだまま、二人をゆっくりと眺めた。
「魔術師と、それから——」
「待って」
ファリダが割り込んだ。
「数ヶ月前、人間が四人、この辺りを通らなかった?」
魔族は少し間を置き、興味なさげに言った。
「さあ。いちいち覚えていない」
「そう。じゃあ用はないわ」
ファリダは冷たく言い捨て、両腕を広げた。
ファリダは右手を前方に向けた。特定の範囲の空気を、一瞬で引き抜く。超低気圧が生まれた瞬間、周囲の空気が猛烈な勢いで流れ込もうとする。その気圧差が、不可視の刃を生む。
引き抜いた空気を、左手で圧縮する。圧縮された空気は熱を持つ。それを超低気圧へ向かって叩き込んだ。
轟音。
爆発というより、空間そのものが燃えた。超低気圧に流れ込もうとしていた空気が一気に引火し、渦を巻きながら膨張する。前方の木々が根ごと吹き飛んだ。地面が抉れ、土煙が空まで上がった。
静かになった。
煙が晴れた先に、何も残っていなかった。魔獣も、魔族も、そこにあったはずの茂みごと消えていた。
ファリダは息を吐いた。
振り返ると、宗一が少し後ろで腕を組んで立っていた。
「すごいな」
「全然大したことないわ。だってまだ二属性だもの。こんなことで感心してもらっては困るわ」
宗一は悟った。これは『ファリダ語』で『褒められて嬉しい』と言っているのだと。
「あれが合成属性というものか。いやあ、驚いた」
ーーデュフフ
ファリダから、気持ちわるい笑いが漏れた。
「さ、さあ、行こうか」
宗一が促し、二人は歩き出す。




