第52話 拝謁
魔王の居城の廊下は、等間隔に松明が並んでいた。それでも廊下は薄暗かった。
伊織は周囲を観察しながら、ガストの後に続いた。
王の間へ続く扉を、ガストが両手で押し開く。扉は、低い音を立てて動いた。
広い空間が現れた。装飾はほとんどない。中央に紅絨毯が一本、玉座まで伸びている。
玉座に、人影があった。
「ナハティア様、お連れいたしました」
しばしの静寂。玉座の人影が、片手をわずかに持ち上げた。
「どうぞ、王の前へ」
ガストが静かに言った。伊織は玉座に向かって歩いた。
燭台の灯りが届く距離まで来て初めて、王の姿が見えた。
女だった。
若く見えた。しかし若いという言葉が正確かどうか、伊織には判断できなかった。銀色の長い髪。青白い肌。髪の間から、尖った耳がのぞいている。そして、恐ろしいほど美しい顔立ちをしている。
灰色の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
装いは、錦絵で見た異国の将のそれに似ていた。しかしそれよりずっと手が込んでいた。金の刺繍が走る黒い上衣、深紅の裏地を持つ外套。
それだけの装いをまとっていながら、華やいだ印象が一切なかった。
伊織は玉座の前で足を止めた。
「よく来てくれた」
ナハティアは言った。
歓迎の言葉だった。しかし声に歓迎の色はなかった。
伊織も、それを特に気にはしなかった。
「こちらこそ、お招きいただき光栄です」
ナハティアは伊織を見ていた。品定めをするような目ではなかった。ガストに迎えに行かせた時点で、それは既に済んでいたのだろう。
「私がこの世界に召喚したのだ。我が城に招くのは当然だ」
「召喚……」
「欲望のためなら手段を選ばない者、という条件で召喚した。望むものを与えれば、世界を滅ぼすことすら厭わないような」
否定する言葉が、出てこなかった。
伊織は静かに、口の端を上げた。
「ところで、名をなんという?」
「朔良……伊織……」
ナハティアは、小さく頷いた。
「では伊織、お前の望みはなんだ? 私の配下に加わることと引き換えに、叶えてやろう」
悩むことなどない。自分の望みは、ただ一つ。
「力を……私はさらなる強さを望む」
「いいだろう」
ナハティアが立ち上がった。
玉座から降り、伊織の前に立つ。
ナハティアが手を伸ばした。伊織の胸の中心に、指先が触れた。
それは一瞬だった。伊織は目を閉じた。
体の奥に、何かが流れ込んできた。熱くも冷たくもない。ただ、なんとも気分が悪くなる。
宗一との差をずっと測ってきた。ずっとあと少しだと思っていた。
しかしそのあと少しが、無限だった。
伊織は目を開けた。抑えきれない笑いが込み上げてきた。
「クックックッ……カッハッハッハ!」
感じる。宗一との間にあった無限が今、消えたことを。
平静を取り戻し、伊織は言った。
「さて、お約束どおりあなたの配下に加わりましょう」
ナハティアは満足そうに頷いた。
「我が王よ、何なりとお申し付けください」
伊織は、恭しく頭をさげて言った。
「ガスト」
ナハティアは顎をしゃくった。
ガストは一礼し、説明を始めた。
「ここより東、森を抜けたところにフェルデシアという国がございます」
ガストは、首を垂れたまま伊織の顔を見ることなく続けた。
「彼の国は、大賢者の子孫が代々国を治めており、国境には魔族を拒絶する強力な結界が張られているのです」
玉座に戻ったナハティアが、あとを引き取る。
「そして伊織、お前を召喚した際の条件がもう一つ。魔族ではないこと」
ナハティアの言葉を聞き、伊織は自分がすべきことを全て理解した。
「なるほど、魔族ではない私が内側に入り、結界を解除する……と」
伊織はそこまで言って、顎に手を当て、しばらく考えた。
「とはいえ……この世界のことは右も左も分かりませんので、果たしてどのぐらい時間がかかるか」
ナハティアは、半ば自嘲するように鼻先で笑った。
「これまで何百年も結界に阻まれ続けたんだ。今更5年や10年かかったところで大した問題ではないさ」
「なるほど、分かりました。では明日にでも東に向かうとしましょう」
伊織はナハティアに向かって一礼し、広間を後にした。




