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第51話 ある日、森の中

 森の中。石畳もなく、雨もなく、聞いたことのない鳥の声だけが聞こえている。

 頭上で枝が絡み合い、空はほとんど見えない。

 薄暗く湿った空気が、肌に張り付く。

 朔良伊織は着地と同時に半身になり、四方を確認した。脅威なし。刀に手をかけたまま、もう一度、ゆっくりと周囲を見渡す。

 京ではない。日本でもないだろう。




 獣道もなかった。

 木々の間を縫うように歩きながら、伊織は周囲の気配を測り続けた。

 森が深くなるにつれ、何かの視線が増えていくような気がした。

 気がした、ではなく、実際にそうだった。


 三つの気配が、正面と左右から挟むように近づいてくる。

 姿を現したのは、人間ではなかった。

 肌の色が違う。体格が違う。それぞれが得物を構え、伊織を取り囲んだ。

 真ん中の一体が、伊織を頭から足まで眺め回した。


「人間じゃねえか。俺たち魔族の領域を人間が一人で歩いてやがるぜ」

 右側の一体が続けた。

「どうした?迷子か?」

 伊織は薄く笑って応えた。

「迷子か……まあ、そうかもしれませんね」

 再び真ん中の一体。

「いいこと教えてやるぜ。この森で迷子になった人間はな……」

 三体が一斉に動いた。


 伊織は踏み込んだ。

 全てを一点に絞り込んだ一撃。右の一体が地に伏す。

 残りの二体は、その瞬間を見ていた。体が動こうとした。止まった。

 伊織の刃が、順に届いた。


 伊織が、自分が斬った『人間ではない何か』を観察していると、ガサッと枝が鳴った。

 降り立ったのは、先ほどの三体とは比べ物にならない体躯の持ち主だった。

 三体の骸を一瞥し、それから伊織を見た。


 「私の部下たちに、酷いことをしてくれたものだ」

 声に何も乗っていなかった。

 怒りも悲しみも、欠片もない。

 事実を読み上げるような、平坦な声だった。


「そういう言い方をする割に」

 それだけ言って、伊織は刀を構えた。

 左足を前に出し、右肩に刀を担ぐような独特の構え。


 相手も構える。大きい。重い。先ほどとは格が違う。

 それでも、伊織は踏み込んだ。


 相手は読んでいた。腕を上げ、受けようとした。が、腕が止まった。

 頭ではなく、骨が、血が、肉が、死の恐怖を理解した。


 振り下ろされた伊織の刀は、相手の左肩から右の脇腹にかけて、一直線に切断した。


 相手が崩れ落ち、伊織は刀を納めた。


「いやあ、素晴らしい腕前です」

 不意に背後から声がした。

 伊織が素早く振り返ると、男が鷹揚に拍手をして立っていた。


 いつの間に背後に……


 灰青色の翼、頭部には角、長く鋭い爪。全身を走る赤い紋様が、脈を打つように光っている。


 男はゆっくりと近づき、足を止め、深く頭を下げた。骸には目もくれない。

「申し遅れました、私はガスト。この森は魔族の領域。このまま歩いておられては、先ほどのような輩がまた襲ってこないとも限らない」


 伊織は答えなかった。男は笑みを崩さない。おそらく仲間であろう骸が四つ転がっている場所で、まるで世間話でもするような顔をしていた。


「よろしければ我が王の居城へご案内いたします。そちらでゆっくりとお休みになられたらいい」


 伊織はしばらく相手を見た。

 断る理由がなかった。この世界のことを何も知らない。情報が先だ。

「行きましょう」


 伊織は一歩、前に出た。

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