第5話 廃遺跡の攻防
遺跡は、街の東端を出てすぐの場所にあった。石造りの壁が半分崩れ、天井の一部がすでに落ちている。入り口から見ただけで、内部が複雑に入り組んでいるのがわかった。
一歩踏み込むと、床が軋んだ。
「足元、気をつけて」
ニーナは慎重に体重を移しながら言った。
「……なかなか趣がある床だな。雪駄では歩きづらいが」
「趣を探しに来たわけじゃないんだけど」
依頼書に記された遺物の場所は、奥の第三区画。そこへ至る通路は、天井がいつ落ちてもおかしくない状態だった。
慎重に奥へと進み、第三区画手前の通路で、ニーナは足を止めた。天井がほぼ崩れかけている。
目を閉じる。感覚を広げる。天井を構成する石材の重さ、重力のかかり方、崩落の予兆。数値として感じ取れる。
「天井を押さえる。3分が限界だから、その間に奥まで行って戻ってきて」
「天井を押さえる?」
「そう言ったでしょ、いい?やるよ」
ニーナは術を起動した。一時的に、対象の重力の向きを書き換える。天井が、浮いた。
「おお……お見事!」
「いいから早く行って!」
振り返ると、宗一はいなかった。気づいたらいなくなっていた。足音もなく、空気の乱れもなく。床が軋む音だけが、少し遅れて通路の奥から届いた。
1分も経たないうちに宗一が戻ってきた。木箱を一つ、脇に抱えていた。
「え、早すぎでしょ!」
「とりあえずそれっぽいものを持ってきたが、この箱でよかったか?」
「……刻印、一致してる。合ってる」
―――
帰り道は、廃区画を抜ける裏道だった。
夕暮れが荒れた石畳を赤く染めていた。宗一が木箱を抱え、ニーナがその隣を歩く。
「ねえ、さっきの見た? 天井、持ち上げちゃったから。支援魔術の応用。私は物理法則ハックって呼んでるの。重力の書き換えって、けっこう難易度高いのよ」
「ほう」
「あと宗一、あんた速すぎでしょ。あれなに? 3分はかかると思ったのに1分も経ってないじゃない。走ったわけでもないし、何なの、あれ」
「何なのと言われてもなあ」
「まあいいや、とりあえず報酬が入ったら夕飯にしましょ。角の店のパンが美味しいのよ。あとせっかくだから肉も食べたい。今日はちょっと奮発してもいいかな」
「肉か。以前土方さんにご馳走になったきりだな」
「いいじゃない、今日は食べましょ。あとスープはやめといたほうがいいよ。見た目よりぜんぜん美味しくないから。あと今日は宿も取れる。ちゃんとした宿。あんたも泊まるところないんでしょ、どうせ」
「まあ、肉の話もいいんだが……」
「え?」
ニーナは、少し後ろを歩いていた宗一を振り返った。そして、その視線の先の存在に気づいた。
四つ足。体高はニーナの身長ほど。皮膚が厚く、頭部に骨質の突起がある。ゆっくりとこちらへ向いた。
唸り声が、石壁に反響した。
「……あれ」
ニーナの声が低くなった。
「アーマードホッグ⁉︎ Dランクの魔獣がどうしてこんなところに……」
宗一は木箱をニーナの腕に押しつけた。特に言葉もなく。
「え、ちょっ、待って私も術が――」
「下がっていろ」
ニーナは三歩退いて、術の準備をした。
Dランクの魔獣なら、弱体化をかけてやれば何とかなるかもしれない。逃げるならその隙を作れる。感覚を伸ばす。魔獣の硬度を測る。アーマードホッグの外皮は厚い。骨質の突起は正面からの攻撃をほぼ無効化する。刃物は弾かれる。宗一の武器は湾曲した細い棒のみ。
計算が合わなかった。
魔獣が跳んだ。前脚が石畳を蹴る音は大きかった。体重が乗った突進。並みの戦士でも受けきれない。
宗一は脚を前後に開き、半身になって腰を落とし、それっきり動かなかった。
そして魔獣が届く、という瞬間に。
宗一の右手が、わずかに動いた。
ニーナには何も見えなかった。雪駄が一度だけ、石畳を静かに鳴らした。
魔獣が宗一の横を通り過ぎた。
二歩、三歩、惰性で走って。止まった。
アーマードホッグの首がストンと落ち、遅れて身体が倒れた。
宗一は魔獣が飛びかかる前と同じ姿勢のまま、そこに立っていた。
石畳に、薄い線が一本。血が、静かに広がり始めた。
ニーナは術を起動するタイミングを逃したまま、その場に立っていた。
宗一は斬った魔獣を見つめながら言った。
「ニーナよ」
「……はい」
「この豚は食えるのか?」
ニーナは3秒、固まった。そして、力が抜けた。
「宗一よ」
「なんだ?」
「そいつは、メッチャ美味いぞ」




