第49話 簡単な話
翌日、広間の片付けが始まっていた。
倒れた燭台を立て直す者、砕けた石片を集める者、運び出される兵士。指示を出しているのはヴァレリウス公爵とゴルドー公爵だった。二人は互いに目を合わせないまま、競うように声を張り上げた。
昨夜、カイルから一言だけ伝えられていた。「今回の件への関与について、働き次第では情状酌量も検討する」。それだけで十分だった。両公爵は夜明けから動いていた。
テオの即位は、その日のうちに簡略な形で執り行われた。
式典の体裁を整える余裕はない。王不在のまま、廷臣たちが揃って頭を垂れ、カイルが前に出て口上を述べた。ただそれだけの儀式だった。しかしテオは、崩れた広間の中心で背筋を伸ばしていた。
宗一は人垣の後ろで、腕を組んで見ていた。
王執務室に、人が集まった。
テオ、カイル、ハンス。それからニーナ、お凛、宗一。
机の上には、伊織が置いていった資料が広げられていた。びっしりと書き込まれた数式と図面。結界の起点、魔法陣の構造、更新の仕様。
カイルが口を開いた。
「あの男を知っているのか」
宗一は答えなかった。
お凛が、静かに言った。
「朔良 伊織。瀬能様のかつての同僚です。以前から影のあるお方ではありましたが——あそこまで禍々しくはありませんでした」
カイルが宗一を見た。
宗一は窓の外に目を向けたまま、独り言のように言った。
「真面目なやつだったんだ。少し強さに対する執着が過ぎる面もあったが」
少し間があった。
「……悪いやつではなかったんだ」
カイルは頷いて、資料に目を戻した。
「この国に来た目的も、おそらくこれだ」
指が、一点を押さえた。
結界の項。
フェルデシア王国が代々の国王の血脈によって維持してきた、魔族を阻む加護の壁。その維持には、王族の血を引く者が定期的に魔力を注ぎ直さなければならない。それを怠れば、結界は効力を失う。
そしてその期限を示す記述が、資料の中にあった。
「あと二日だ。結界が切れれば……」
カイルはゆっくりと言葉を選んだ。
「おそらく魔族が王都に入ってくる。今の状態では、到底守れん」
「じゃあさ、周りに援軍をお願いしたら?」
ニーナが言った。
「以前、リガルドでSランク魔獣が出た時、ローエン公国からバリスタを借りた。あの時みたいに——」
「来るまでに何日かかる」
カイルが遮った。
ニーナが口をつぐんだ。
「仮に援軍が間に合ったとして、守りきれるかどうか」
ハンスが静かに言った。
「リガルドでSランク魔獣が出た時、冒険者と衛兵が総出で、巨大バリスタを四台使ってなんとか仕留めたと聞いています。昨日の魔族もおそらく同等の力でしょう。我々全員がかかってようやく一体。それが数体、一度に押し寄せてきたら——」
続きは言わなかった。言う必要がなかった。
「実は……」
ニーナが言った。
「あのSランク魔獣、私たちが倒したんじゃないんです。バリスタも全然通用しませんでした」
ハンスが訝しげに訊いた。
「では、どうやって?」
少し間があった。視線が机の上に落ちる。
「宗さんが、一人で……」
カイルが宗一を見た。宗一は窓の外を向いたままだった。
テオが、かすかに口を開いた。
「私が……」
声が止まった。自分でわかっていた。
結界の維持を引き継ぐには、正式な継承の手順を踏んだ上で、数ヶ月を要する習得課程を経なければならない。どれほど急いでも、二日でどうにかなるものではない。私が不甲斐ないばかりに……それを言ってどうなる。
窓の外で、鳥が一羽横切った。
王都の空は、なんでもない青さだった。
ニーナが腕を組んだ。お凛が静かに目を伏せた。カイルが、重く息を吐いた。
「……一体、どうすれば」
テオが、独り言のように呟いた。
宗一が口を開いた。
「簡単な話だ。こっちから乗り込んでぶっ飛ばす」




