第45話 継承の儀
拠点の居間に、朝の光が差し込んでいた。
レオン、ハンス、ガストン、ユーリ、ディート。五人の近衛騎士が、それぞれ押し黙って座っている。
窓の外で、馬車が一台通り過ぎた。
「……まだ戻らないのね」
ニーナが窓枠に肘をついたまま、呟いた。独り言のつもりだったが、居間にいる全員の沈黙が、少し重くなった。
「……では、手筈通りに」
そう言うと、お凛は居間を出た。
ニーナは窓から離れた。算盤をポーチに収め、外套を羽織る。
「行くわよ」
レオンが立ち上がった。続いて、ハンスが。ガストンが無言で立ち上がると、部屋がひとつ狭くなったような気がした。
王宮の大広間は、燭台の火が等間隔に揺れていた。
天井が高い。声が吸い込まれて消えるような、石造りの静寂。赤と青、二色の紋章を持つ廷臣たちが、互いに距離を置きながら居並んでいる。
誰もが前を向き、表情を殺していた。
壇上に、三つの椅子。
向かって左に、王弟クロヴィスの姿。向かって右に、王子ジュリアンの姿。そして中央、一段高い玉座に——王が座っていた。
官吏の朗々とした声が、広間に響き始めた。
ヴァレリウス公爵が壇の脇に立ち、満足そうに顎を引いた。ゴルドー公爵が反対側で腕を組む。
継承者の名が読み上げられようとした、その時。
扉が、開いた。
「ちょっと待ったァ! その茶番、全部お見通しよ!」
広間が、静まり返った。
先頭に立つ小柄な少女が、真っ直ぐに壇上へ指を突き出している。その後ろに、白鷹章を胸に付けた騎士たちが続いていた。
廷臣たちがざわめく。
「近衛だ……!」
ヴァレリウス公爵の顔が、じわじわと赤く染まった。
「な、なんだあの小娘は! 貴様らどこから入った!」
ニーナは怯まなかった。
「王弟も王子も、ニセモノでしょうが! そしてその公爵たちの後ろにいる連中——あいつらが、この国を腐らせた元凶よ!」
「……ゴルドー! 貴様の仕業か!」
ヴァレリウスがゴルドーへ怒鳴る。
「何を言う! 貴様こそ、この混乱を——」
「うるさい! 貴様が先に!」
二人が互いを指差してわめき始めた。廷臣たちが困惑した視線を交わす。
その喧騒の中で。
「前へ」
ヴァレリウスの側近ガストの一言で、赤と青、両公爵の私兵が同時に動いた。
ゴルドーの側近ベルが小さく頷く。
レオンが前へ出た。
剣が抜かれる乾いた音が、広間に響く。閑職に追いやられ、雑務を押し付けられ、それでも毎夜磨き続けた刃が、今日初めて本来の仕事をする。
私兵の先頭がレオンへ向かって踏み込んだ、その瞬間。
ニーナが算盤を弾いた。
先頭の三人の足元——空気の粘性が、極大に跳ね上がった。膝下だけが粘土の中に埋まったように動かなくなり、上半身だけが前へ崩れる。後続が気づかず踏み込んで、連鎖的に団子になった。
レオンが踏み込む。柄で二人を沈める。
ガストンが無言で巨体を滑り込ませ、壁際の三人をまとめて押し込んだ。
広間の端では、お凛が動いていた。廷臣たちには何も見えていない。気づけば私兵が一人、また一人と、声もなく崩れ落ちていく。
右翼から別の私兵の一団がニーナへ向かって突進してきた。
ニーナは算盤を素早く弾いた。先頭の男が握る剣——その質量だけを、ほんの一瞬、数倍に引き上げる。
「——っ重ッ!?」
男の腕が、自分の剣の重さに引きずられて地面に叩きつけられた。
体勢が崩れたところへ、ユーリが踏み込んで柄を叩き込む。
戦況はニーナたちが優勢だった。
ガストが、静かに一歩前へ出た。
ベルが扇を閉じた。
ガストの背中が、盛り上がった。布が、内側から押し広げられるように張り詰め——裂けた。
灰青色の翼が、燭台の火を揺らしながら天井へ向かって広がっていく。
頭部に角が生え、腕が赤く染まり、指先が鋭い爪へと変わっていく。全身を走る赤い紋様が、脈を打つように光った。
人間の形をしていた何かが、それをやめた。
ベルの銀白の髪が重力に逆らって広がる。頭部から黒い角が伸び、背中に黒い翼が展開した。赤い瞳が細くなる。紫の光を帯びた鋭利な何かが、彼女の周囲に静かに浮かんだ。
「……魔族」
ハンスが、低く呟いた。




