第44話 すぐ追いつく
王宮の廊下は、朝でも薄暗い。
石造りの壁が光を吸い、松明の火だけが等間隔に揺れている。ヴァレリウス公爵は執務室の椅子に深く腰を沈め、書類に目を落としていた。
「六日前、南門より近衛騎士団長カイル・ヴァン・ブレイズが出立。同行者は一名。馬二頭」
ヴァレリウス公爵は、書類から目を上げなかった。
「近衛の団長が? ふん。王宮を追われた番犬が、どこへ行こうと知ったことか」
「は。大した人物でもないかと存じまして、すぐにご報告せず……」
「構わん。下がれ」
門番が頭を下げて退室する。
部屋に残った沈黙の中で、ガストが静かに口を開いた。
「南へ向かわせましょう。十名ほど」
公爵が顔を上げた。
「……必要か?」
「念のため」
それ以上の説明はなかった。公爵は一瞬ガストを見て、それから興味を失ったように書類へ視線を戻した。
「……好きにしろ」
「はい」
ガストは部屋を出た。
マルテから王都へ戻る街道は、一本道だった。
午後の光が、乾いた土の上に長い影を落としている。三頭の馬が、一定のリズムで蹄を刻んでいた。
先頭はカイル。隣にテオ。その後ろを、宗一がだらしなく手綱を持ちながらついてくる。
「王都まで、あと三日か」
カイルが前を向いたまま言った。
「継承の儀まで、三日だ。余裕はない」
「まあ、なんとかなるだろう」
宗一の返事に、カイルが小さく息を吐いた。
テオは黙って前を見ていた。マルテを出てから、ほとんど口を利いていない。責めているわけでも、怯えているわけでもない。ただ、何かを腹に収めているような、静かな顔だった。
街道が林の縁を抜けた、その先。
カイルの手が、無意識に剣の柄へ伸びた。
前方、街道を塞ぐように十名の騎馬が横一列に並んでいた。胸には赤い紋章。ヴァレリウスの私兵だ。
「近衛騎士団長カイル・ヴァン・ブレイズ。同行の者共。公爵閣下の命により、同行願いたい」
カイルが剣に手をかけた、その瞬間。
「先に行け。すぐ追いつく」
カイルが振り返る。宗一はすでに馬から降りていた。袂に手を入れたまま、のんびりと私兵の方へ歩き出す。
「ちょっと待て、一人では——」
テオの言葉を、カイルが遮った。
カイルは一瞬だけ宗一の背中を見た。浅葱色の羽織が、午後の光の中でゆっくりと揺れている。
「行くぞ」
二頭の馬が、駆け出した。
私兵たちの視線が、目の前に立つ男に集まった。
武装もしていない。鎧もない。腰に変な形の剣を一本。ふらふらと雪駄で歩いてくる、だらしない羽織の男。
「……お前一人か」
先頭の騎士が、馬上から見下ろした。
「そうだが」
「逃がしたのか、近衛の」
先頭の騎士が剣を抜いた。九本が続く。
「抵抗するなら——」
——シュピン
その先は、誰も聞かなかった。
街道に、静寂が戻った。
十名が、音もなく地面に横たわっている。峰打ちだ。死んではいない。ただ、何が起きたのか、おそらく誰一人理解できていない。
宗一は周囲を見渡した。
林。街道。空。
誰もいない街道で、宗一は少しの間、立ったまま考えた。
「王都って、どっちだ」




