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第37話 騎士の苦悩

 宿の一室。扉が閉まり、外の喧騒が薄い壁一枚を隔てて遠のいた。宗一は壁に背を預け、懐に手を入れたまま視線を投げる。


「で、話というのは?」

 カイルは答えず、無意識に視線を部屋の四隅や天井へと走らせた。騎士としての習性が、密談の場の安全を疑っている。


「大丈夫だ。誰も聞き耳を立ててる奴なんていない」

 宗一が、部屋の隅の暗がりに佇むお凛にわずかに顎をしゃくった。お凛は無言で会釈すると、音もなく気配を消して戸口へと移動する。昼間、この街の雑踏で見せたあの「一切の隙がない」挙動。それを思い出し、カイルはわずかに喉の力を抜いた。彼女が保証するなら、ここがフェルデシアで最も安全な場所なのだろう。


「……とはいえ、何をどう話したら良いものか」

 カイルは膝の上で拳を握り、言葉を選ぶ。

「昨日、広場でニーナ殿が言った言葉……。王の署名が違う、と。……あれ以外に、何か感じたことはないか」

「あれ以外、と言われても……」


 ニーナが困惑し、宗一とお凛を見る。

 カイルの物言いは、核心を避けていた。「あれ」「それ」「あそこ」。

 憶測がそのまま反逆の罪になりかねない恐怖が、その口を重くさせている。


「まあ、なんだ、カイルさん。せっかく意を決して『我々に』声をかけてくれたんだろう?」

 宗一が壁際から一歩、踏み出した。

「腹をわって話そう」


 カイルは、小さく息を吐いた。確かに自分から声をかけておきながら、情報を伏せるのは道理が通らない。

 カイルは手短に、城内の惨状を口にした。二人の公爵が「補佐」を名目に執務室を占拠したこと。近衛が王の護衛任務をとかれ、今は看板の管理という雑務に甘んじていること。そして、あの完璧すぎる署名の不気味さ。


「私は……空っぽの檻を守っているのではないか。……あそこに、もう陛下はいらっしゃらないのではないか。それが、恐ろしいのだ」

 沈黙。その澱みを、宗一の声が切り裂く。


「なるほどな。……だが、安心しろ。あんたの王様はまだ生きてる」

 カイルが目を見開く。

「……何だと?」

 影の中から、お凛の低い声が響いた。昨夜、城の深部で嗅いだ薬草の匂い。扉を隔てて聞こえた、重い咳き込みと水を飲む音。

「死人に薬は不要です。陛下は、まだあそこにいらっしゃいますよ」


 カイルの肩から、目に見えて力が抜けた。絶望の底に、一本の光が差し込んだような顔だった。


「で、カイルさん。これからどうする?」

 宗一の問いに、カイルは再び言い淀む。

「どうする、か……。だが、今の私に何ができる。部下も私兵に監視され、大義名分も……」


「はっきりしろ!!」

 不意に、ニーナが卓を叩いた。

「この国を王様の手に取り戻すのか、このまま公爵にいいようにされるのか、どっちかしかないでしょ!」


 カイルが顔を上げる。少女の真っ直ぐな、そして生々しい怒り。理屈で塗り固められていたカイルの心が、その一撃で砕けた。

「……ニーナ殿の言う通りだ。…………貴殿らの力を貸してほしい」

「いいよ」

 ニーナが即座に頷く。

「感謝する。……だが、これ以上の密談をここでするわけにはいかない。騎士団長が宿に何度も出入りすれば、公爵の耳に入るのも時間の問題だろう」


 カイルの瞳に、かつての「盾」としての光が戻っていた。

「詰め所も危険だ。……私が、市中に拠点となる家を手配する。明日の朝、そこへ移ってほしい」


「カイルさん……」

 ニーナが重々しく言った。

「家賃、騎士団持ちですよね?」

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