第36話 街で見かけた
石造りの都に、朝の光が降り注いでいた。
馬車の轍の音と人々の喧騒が、高い壁に反響して空へと抜けていく。
ニーナは並ぶ露店に足を止め、魔道具の陳列に顔を近づけていた。
「宗さん見て、あのランプ! あんなに小さいのに、街灯と同じ明るさが出るんですって」
「……そうだな。よく光ってる」
宗一の返事は素っ気ない。懐に手を入れたまま、雪駄の音だけが続く。
王城へと続く重厚な鉄門が、重々しく閉まった。
近衛騎士団長カイルは、馬車から降りた公爵派の貴族が城内へ消えるのを見届け、小さく息を吐いた。
王の盾。それが近衛の誇りのはずだった。
だが、今日も守ったのは王ではない。派閥争いに明け暮れる貴族の背中だ。
「団長、お疲れ様です。このあと昼飯行きませんか。あそこの肉料理屋、今日こそ団長の奢りで」
任務を終えた部下たちが、屈託のない声を上げる。
カイルは頷こうとした。
その視線が、通りを横切る一行を捉えた。
石の都に似つかわしくない、鮮やかな浅葱色の羽織。
昨夜、蝋燭の消えた詰め所で、一人で抱えた疑念。そして、掲示板の前であの署名の違和感を口にした少女。
部下を不安にさせるわけにはいかない。街の人間に話せることでもない。
だが、あの男なら。
「……先に行っててくれ。少し、気になることがある」
「えっ、団長? また仕事ですか?」
部下の返事を背中で聞きながら、カイルはすでに人混みへと足を踏み出していた。
人通りの落ち着いた角。
カイルは一行に追いつき、前を行く宗一の肩へ手を伸ばした。
「少しいいか」
次の瞬間、お凛がいなくなっていた。
気づいた時には、背後に冷たい殺気があった。
カイルの背筋が凍った。音も気配も、何も悟れなかった。
不意を突かれたとはいえ、あり得ない。
——今の自分は、それほど乱れているのか。
「よせ、お凛。敵意がないことはわかっているだろう」
宗一の声が、静かに割り込んだ。
お凛が音もなく、宗一の斜め後ろへと引いた。殺気が霧散する。
宗一がゆっくりと振り返る。その目には、驚きも警戒もない。
「何かご用ですか」
「……失礼した。近衛騎士団長のカイルという者だ。昨日、掲示板の前で見かけてな」
カイルは居住まいを正した。不覚の屈辱よりも、この男になら、という感覚の方が上回っていた。
ニーナが首を傾げる。
「あ、昨日の騎士様。私はニーナです。こっちが宗さんで、こちらがお凛さん」
お凛が鋭い目を一瞬ニーナに向け、短く添えた。
「こちらは『瀬能宗一』様でございます」
「瀬能殿……。少し、時間をいただけないか。折り入って話したいことがある」
カイルの声に、切実な重さがあった。
「だったら、あそこのお店ででも——」
ニーナの言葉を、宗一が軽く遮った。
「せっかくだから、私たちの宿でどうですか。立ち話もなんだし」
カイルは一瞬、目を細めた。
「……感謝する」
短い言葉だった。




