第35話 深夜、宿の一室
深夜。宿の一室。
窓から差し込む月光が、床に長い影を落としていた。
卓上で、一本の蝋燭が心細げに揺れている。宗一は椅子に深く腰掛け、暗闇の中に視線を投げている。
音もなく、部屋の隅の影が濃くなった。
「戻りました」
お凛が跪いていた。宗一は短く促す。
「……話せ」
「はい。王政内部は、ヴァレリウス公爵派とゴルドー公爵派の二陣営に完全に割れています。発端は数年前、ダミアン伯爵家の家督争いに両公爵が介入し、対立を深めたこと。それが今や、次期王位の問題にまで発展しております」
お凛の声は、乾いた風のように淡々としていた。
「ヴァレリウスは王弟クロヴィス様を、ゴルドーは王子ジュリアン様を擁立。本来、お二人は非常に仲が良かったとのことですが、現在は物理的に引き離され、面会も叶わぬ状態です。近衛騎士団は、その対立が激化した時期に王の護衛任務を解かれました」
「王はどうしている」
「フィリップ王は城の奥に。ですが、執務室には常にいずれかの公爵、あるいは双方が詰め、外部との接触は遮断されています。事実上の隔離状態です」
宗一は、ふいにつぶやいた。
「ヴァレリウス……ロギスのあの男か。ということは、ガルディスを統治しているのはゴルドーだな。あの嫌がらせのような『税』の問題は、ここにつながっていたわけか」
かつて物流都市ロギスで遭遇した傲慢な公爵の姿を思い出す。
ヴァレリウスがロギスの領主に勝手な増税を許し、それを私物化させていたのは、単なる腐敗の黙認ではない。それによって物流を滞らせ、隣接する宿敵ゴルドーの領地であるガルディスを疲弊させるため。
王都での権力争いを有利に進めるための「道具」として、地方の街が使われていたのだ。
傍らで話を聞いていたニーナが、震える声で口を開いた。
「……許せないわ」
算盤を握る指に力がこもる。
ガルディスの貧民街で、泥を啜るように生きていた子供たち。 王都の喧騒の中で、朝から一生懸命に働く労働者たち。
誰もが必死に命を繋いでいる。この街は、その営みの積み重ねでできているはずなのに。
「あの人たちは、あんなに必死に生きているのに。上でふんぞり返っている奴らが、自分たちの下らない意地の張り合いのために、街を腐らせて、人を道具みたいに扱って……」
低く、しかし鋭いニーナの言葉を、宗一は黙って受け止めた。
窓の外を見やる。澱んだ空気は、夜になっても晴れることはない。
「……まだ、全容が見えたわけじゃない。今はこれ以上の手の打ちようがないな」
宗一が立ち上がる。
「まあ……王都についたばかりだし、もう少し街を見て回ろう」
「……そうね。分かったわ」
ニーナが短く応じた。
宗一は卓上へと手を伸ばした。
蝋燭の炎が、ぷつりと消えた。




