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第34話 深夜、騎士団詰め所

 深夜。近衛騎士団の詰め所。


 窓から差し込む月光が、床に長い影を落としていた。

 机の上で、一本の蝋燭が心細げに揺れている。 カイルはその明かりの下で、掲示板に貼り損ねた「御触れ」の予備を見つめていた。


(……あれ? このサイン、ロギスで見たのとちょっと違う気がする……)

 昼間、広場で聞いた少女の声が、石壁に反響するように耳の奥で繰り返される。 カイルは無意識に、右手の指先を見た。

 糊と紙に塗れた手。かつては剣だこが誇りだったはずの指先が、今は白くふやけていた。


 数年前まで、王宮には「風」が吹いていた。 フィリップ王の執務室。すぐ後ろに控えるカイルの耳には、王がペンを走らせる微かな音が聞こえていた。思案の吐息。インクの匂い。紙の上を踊る筆先。 そこには確かに、生きている人間がいた。


 だが、今はどうだ。

 ヴァレリウスとゴルドー、二人の公爵が「補佐」を名目に執務室を占拠して以来、王の姿は霞のように消えた。謁見を求めても、扉の前に立つ私兵が「陛下はご気分が優れない」と繰り返すばかり。

 そして、たまに下される書状。そこに記された署名は、筆圧も掠れも、寸分狂わぬ「死んだ筆跡」に変わっていた。


(……もし。もし、陛下が既にお命を落とされていたら)

 カイルの指先が、震えた。

 もし王がいなければ。自分が守り続けているこの「盾」という誇りも、この組織も、すべては空っぽの玉座を守るための滑稽な茶番劇に過ぎなくなる。


(考えるな。……そんな不敬、許されるはずがない)

 認めるわけにはいかなかった。 真実を疑うことは、自分という騎士の崩壊を意味する。だから彼は思考を殺した。公爵兵に嘲笑われ、雑務に顎で使われても、それは「陛下の命」であると思い込むことで、自分自身を騙し続けてきたのだ。


「団長、まだ起きてたんですか」

 若い男が入り口に立っていた。 騎士の一人、レオンだった。

「……ああ。明日の配置を確認していただけだ」

「今日、剣を抜きましたか。団長」

 カイルは答えなかった。 レオンも、それ以上は言わなかった。

「……今は耐えろ。我々は近衛だ。この看板を、自分から降ろすわけにはいかん」

 声に出して、気づく。 自分は今、自分に言い聞かせている。


 カイルは、鞘に収められた自分の剣の柄を、指が白くなるほど強く握りしめた。

 蝋燭の炎が、ぷつりと消えた。

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