表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/31

第3話 なけなしのパン

 飛び出してきた男は、変な格好だった。

 青みがかった上着をだらしなく羽織り、底の薄い簡素な履き物を履いている。腰には何か、剣のようなものを差していた。無精髭に、手入れされていない黒髪。年齢は三十前後か、もっと上か。


 その男が、ニーナの目の前で急停止した。

 息が乱れていなかった。全力で走ってきたはずなのに、呼吸が全く乱れていなかった。


「頼む、追われている。助けてくれ」

 男が言った。低い声だった。


 路地の奥から怒声が近づいてくる。ニーナは一瞬だけ男の目を見た。状況は切迫しているはずなのに、どこか他人事みたいな目だった。


 助けてやる義理はなかった。ただ――座ったまま落ち込んでいるのが、急に馬鹿らしくなった。立ち上がった瞬間、宗一がすっとニーナの背後に入った。


男たちがニーナに気づいた。

「おい、そいつと知り合いか」

「ええ。うちの遠縁です。何かやらかしましたか」

「子供を攫おうとしてたんだ」

「あー」ニーナは少し考えるふりをした。

「その子、泣いてませんでした?この人、昔から泣いてる子供を放っておけない性分で。声をかけただけだと思うんですけど」

「……それは」

「田舎から出てきたばかりで、街の事情をわかってなくて。ご迷惑おかけしました」

 男たちはニーナを見て、宗一を見た。宗一はうんうんと頷いていた。

 男たちはしばらく宗一を眺めてから、舌打ちをして去っていった。


「遠縁、ね」

 宗一が言った。

「ありがとう、は?」

「……ありがとう」

「もう少し心を込めて」

「ありがとうございました」


 ニーナは改めて男を見た。格好は明らかに異質。所作がどこか、この街の人間と違う。目線の置き方、間の取り方。うまく言葉にできない違和感だった。


「あんた、どこから来たの」

「知らん」

「知らないってどういうこと」

「知らん」

 ニーナは少し考えてから、別の角度で聞くことにした。

「名前は」

「瀬能宗一」

「セノウ、ソウイチ」ニーナは繰り返した。聞いたことのない響きだった。


「私はニーナ。で、宗一、今日泊まる場所は」

「ない」

「お金は」

「ない」

「食べ物は」

「ない」

 ニーナは空を見上げた。青すぎる空だった。


 その時、音が聞こえた。

 盛大な、疑いようのない音だった。宗一の腹から、全てを物語る主張が響いた。宗一は無表情のまま、少しだけ目を逸らした。

 ニーナは深く息を吐いた。鞄を開けて、包んであったパンを取り出した。今日の昼飯の残りだった。

「ほら」

 宗一はそれを受け取り、一口食べた。表情は変わらなかった。ただ、二口目が早かった。

「……うまい」

「麦パンよ。普通の」


 宗一は黙って食べた。ニーナは階段に腰を下ろして、その様子を眺めた。


 泊まる場所もない。金もない。食べ物もない。それでいてこの男は、どこか深刻そうじゃなかった。追われていた時も、今も、どこか遠くを見ているような目をしていた。


 厄介なものを拾った、とニーナは思った。そしてなぜか、その厄介さから目が離せなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ