第3話 なけなしのパン
飛び出してきた男は、変な格好だった。
青みがかった上着をだらしなく羽織り、底の薄い簡素な履き物を履いている。腰には何か、剣のようなものを差していた。無精髭に、手入れされていない黒髪。年齢は三十前後か、もっと上か。
その男が、ニーナの目の前で急停止した。
息が乱れていなかった。全力で走ってきたはずなのに、呼吸が全く乱れていなかった。
「頼む、追われている。助けてくれ」
男が言った。低い声だった。
路地の奥から怒声が近づいてくる。ニーナは一瞬だけ男の目を見た。状況は切迫しているはずなのに、どこか他人事みたいな目だった。
助けてやる義理はなかった。ただ――座ったまま落ち込んでいるのが、急に馬鹿らしくなった。立ち上がった瞬間、宗一がすっとニーナの背後に入った。
男たちがニーナに気づいた。
「おい、そいつと知り合いか」
「ええ。うちの遠縁です。何かやらかしましたか」
「子供を攫おうとしてたんだ」
「あー」ニーナは少し考えるふりをした。
「その子、泣いてませんでした?この人、昔から泣いてる子供を放っておけない性分で。声をかけただけだと思うんですけど」
「……それは」
「田舎から出てきたばかりで、街の事情をわかってなくて。ご迷惑おかけしました」
男たちはニーナを見て、宗一を見た。宗一はうんうんと頷いていた。
男たちはしばらく宗一を眺めてから、舌打ちをして去っていった。
「遠縁、ね」
宗一が言った。
「ありがとう、は?」
「……ありがとう」
「もう少し心を込めて」
「ありがとうございました」
ニーナは改めて男を見た。格好は明らかに異質。所作がどこか、この街の人間と違う。目線の置き方、間の取り方。うまく言葉にできない違和感だった。
「あんた、どこから来たの」
「知らん」
「知らないってどういうこと」
「知らん」
ニーナは少し考えてから、別の角度で聞くことにした。
「名前は」
「瀬能宗一」
「セノウ、ソウイチ」ニーナは繰り返した。聞いたことのない響きだった。
「私はニーナ。で、宗一、今日泊まる場所は」
「ない」
「お金は」
「ない」
「食べ物は」
「ない」
ニーナは空を見上げた。青すぎる空だった。
その時、音が聞こえた。
盛大な、疑いようのない音だった。宗一の腹から、全てを物語る主張が響いた。宗一は無表情のまま、少しだけ目を逸らした。
ニーナは深く息を吐いた。鞄を開けて、包んであったパンを取り出した。今日の昼飯の残りだった。
「ほら」
宗一はそれを受け取り、一口食べた。表情は変わらなかった。ただ、二口目が早かった。
「……うまい」
「麦パンよ。普通の」
宗一は黙って食べた。ニーナは階段に腰を下ろして、その様子を眺めた。
泊まる場所もない。金もない。食べ物もない。それでいてこの男は、どこか深刻そうじゃなかった。追われていた時も、今も、どこか遠くを見ているような目をしていた。
厄介なものを拾った、とニーナは思った。そしてなぜか、その厄介さから目が離せなかった。




