第27話 銀貨のパン
あっという間にうどんを平らげた宗一とニーナは、ふうと息をついて熱い茶をすすった。
「恐るべし……うどん、恐るべし」
よほど美味しかったのか、ニーナはずっとブツブツと呟いている。
「さて。お凛、なぜお前がここにいるんだ?」
お凛はカウンターの向こうで居住まいを正し、深く頭を下げた。
「お恥ずかしい限りです。私にも皆目見当がつきません。京での任務の最中、不意に意識が途切れ……目を覚ました時には、この街の近くの何もない草原に倒れておりました」
「草原、か」
「はい。着の身着のまま数日さまよい、ようやくこの街に辿り着きました。とりあえず生活のために、手持ちの技術で屋台を開き糊口を凌いでいた次第です」
「私も似たようなものだ。雨の夜に気づいたら草原だったよ」
宗一は湯呑みを弄りながら、事もなげに言った。
一人だけ完全に話についていけていないニーナが、恐る恐る口を開く。
「……えっと。宗さん、こちらの方は?」
ピキッ。
屋台の空気が、一瞬で絶対零度に凍りついた。
「……宗……さん……?瀬能様。こやつ、斬りましょうか?」
冗談ではない、本気の殺意だった。
「え、ちょ、ちょっと——な、なに——?」
ニーナは声を裏返らせながら、気づけば宗一の袖をぎゅっと掴んでいた。
「よせ、お凛」
宗一は茶をすすったまま、飄々とした声で制止した。
「ニーナは、私の雇い主だ」
「…………は?」
「まあ、積もる話もあるが……私たちは先ほど、この街に着いたばかりだ」
宗一は雪駄を鳴らして立ち上がると、ぽかんとしているニーナの首根っこを軽く掴んだ。
「今日はもう宿へ帰るよ。続きは明日にでも話そう」
お凛は慌ててカウンターから飛び出し、深く、深く頭を下げた。
「はっ……! では明日、私がこの街をご案内いたします!」
宿への帰り道。
宗一は問わず語りに話しだした。
「お凛は仕事仲間だったんだ。以前、私は衛兵のような仕事をしていたと言っただろう。それも少し特殊なもので、情報がものをいう場面が少なくなかった」
ニーナは言葉を発しないことで、宗一に先を促した。
「誰が、いつ、どこにいるか。何がどこにあるか。お凛は私の部下としてそういった情報を集める仕事をしていた」
それ以上詳しく話すことはなかった。
「あいつも、苦労人なんだよ」
翌日。
お凛の案内のもと、三人は要塞都市ガルディスのメインストリートを歩いていた。
王都の玄関口というだけあって大通りは広く、行き交う馬車や商人の数も多い。しかし、どこか街全体にピリピリとした余裕のない空気が漂っていた。
「あ、いい匂い! 焼きたてのパンだ!」
屋台から漂う香ばしい匂いに釣られ、ニーナは意気揚々と駆け寄った。
「おじさん、これ一つちょうだい!」
「はいよ。銀貨一枚だ」
「…………はい?」
ニーナは自分の耳を疑った。
「銀貨、一枚……? 銅貨じゃなくて?」
「だから銀貨一枚だって言ってんだろ。買わねえなら冷やかしはお断りだ」
店主の苛立った声に、ニーナは慌てて財布から銀貨を取り出した。
パンを受け取りながら、ニーナは信じられないものを見る目でそれを見つめる。
「高っ! めっちゃ高っ!! なによこれ、相場の何十倍じゃない!」
文句を言いながら、それでも腹の虫には勝てず、ニーナがパンに大きく口を開けてかじりつこうとした、その時だった。
タタタッ!
路地裏から小さな影が飛び出してきて、ニーナの手からパンをひったくった。
「ああっ!? ちょっと、泥棒!!」
「私めが」
である彼女にかかれば、ただのひったくりなど瞬きする間に捕縛することなど容易い。
しかし、スッと伸びてきた宗一の手が、お凛の肩を静かに制した。
「……瀬能様?」
「いい。あれはあいつに任せよう」
宗一が顎でしゃくった先では、街の底辺で生きてきた野良猫のような身軽さと直感を持つニーナが、猛烈な勢いでひったくりを追いかけていた。宗一とお凛も、少し距離を開けてその後を追う。
「待ちなさい! それ、すっごく高かったんだからね!」
入り組んだ路地を抜け、薄暗い区画へ。
ニーナはようやくひったくりの腕を掴み、路地裏の突き当たりへと追い詰めた。
「捕まえたっ! ほら、返しなさ——」 怒鳴りかけたニーナの声が、途中でピタリと止まった。
腕を掴まれたひったくりは、まだ十歳にも満たない小さな子供だった。
骨と皮ばかりに痩せ細り、着ている服はボロボロの布切れ同然。怯えたようにパンを抱き抱えるその目の奥には、這いつくばるような飢えがあった。
ニーナは、ゆっくりと周囲を見渡した。
華やかな大通りから一本入っただけのその場所は、崩れかけた荒屋がひしめき合い、同じようにガリガリに痩せ細った無数の人々が、虚ろな目でこちらを見ていた。
追いついてきたお凛が、宗一の後ろに控えながら静かに告げる。
「……ここは、貧民街でございます」
お凛の冷徹な声の奥に、わずかな沈痛な響きが混じっていた。
「雇い主殿もお気付きの通り、ここ数年、この街の物価が異常に高騰しており、日々の生活に困る者が急増してございます。……ここは、そうして行き場を失った者たちが、身を寄せ合って生き延びている場所なのです」
ニーナは、腕を掴んでいた子供の手をゆっくりと離した。
(……同じだ)
亡き父の残した多額の借金を背負い、パーティをクビになり、明日の宿代も食べるものも無くて、絶望しながらギルド前の階段に座り込んでいたあの日の自分。
銀貨一枚の重みも、その日暮らしで這いつくばる過酷さも、ニーナは痛いほど知っている。
冷たい風が、貧民街の路地を吹き抜ける。




