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籠目屋商店怪異録 冬ノ巻  作者: 宇佐美夕日


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7/22

幕間 一

出会ってしばらくした日の出来事。

山茶始開よりは前日。

奇妙な女の話をする。


そう言ってしまえば、それで済む。


ただ、それだけで片付けていいものかどうかは、少し迷う。


宇喜田百合という。


年は二十代の半ばほどだろうか。


見た目は、どこにでもいる女に見える。


特別目立つわけでもない。


だが、目に留まらないわけでもない。


そういう曖昧な位置にいる。


百合は、あまり多くを語らない。


聞かれれば答える。


答えるが、それ以上は言わない。


必要な分だけ。


それで済ませる。


――便利なようで、不便な話し方だ。


もっとも、本人はそれで困っていないらしい。


百合の言葉は、少し遅れて効く。


その場では、分かったようで分からない。


だが、あとになって残る。


理由が分からないまま、残る。


だから、関わった者は少し困る。


理解したつもりでいると、少しずれる。


分かったつもりでいると、どこか足りない。


それだけが、残る。


百合は、それを気にしない。


ただ、そこにいる。


そういう女である。


――もっとも。


この話においては、それで十分なのだろう。





その日、六郎は町外れの古本屋にいた。


学生の頃から通っている店だった。


月に一度か、二度。


棚を見て、一冊だけ買って帰る。


それを、ずっと続けている。


店主とは、ほとんど話したことがない。


会話らしい会話は、したことがないと言っていい。


それでも、互いに顔は知っている。


――そういう距離の店だった。





古本屋は、昼でも薄暗かった。


六郎は棚の前に立つ。


指先で本の背をなぞる。


少しだけ引き出して、題名を見る。


戻す。


それを何度か繰り返す。


「お前さん」


本棚の向こうから声がした。


六郎は顔を上げる。


少しだけ、間があった。


呼ばれたのが自分だと気づくのに、時間がかかった。


「……俺ですか」


「お前さんじゃ」


六郎は小さくうなずく。


「はい」


老人は帳面を閉じる。


「ひとつ、頼まれてくれんか」


六郎は少し笑う。


「急ですね」


「急じゃ」


「いや、そういう意味じゃなくて」


老人は手を振る。


「届け物じゃ」


六郎は少し首を傾ける。


「俺がですか」


「お前さんじゃ」


「なんでまた」


老人は少し考える。


「暇そうじゃったから」


六郎は笑う。


「失礼だなあ」


「違うか」


「違わないですけど」


六郎は棚の方を一度見る。


「本、まだ見てる途中なんですけど」


「あとでも見れる」


「まあ、そうですけど」


老人はそれ以上言わない。


六郎は小さく息を吐く。


「……まあ、いいか」


「どこに」


少し間。


「籠目屋」


六郎は首を傾ける。


「かごめや?」


「そうじゃ」


「聞いたことないですね」


「そうかもしれん」


老人は小さくうなずく。


「知らん方が普通じゃ」


「じゃあ、なんで俺に」


「来たからじゃ」


六郎は笑う。


「またそれだ」


老人は気にしない。


小さな包みを差し出す。


「宇喜田のところへ」


六郎は少しだけ間を置く。


「……百合さん、ですか」


「そうじゃ」


六郎はうなずく。


名前に覚えはある。


忘れようがない。


それでも、その名を口にすると、少しだけ引っかかる。


理由は分からない。


六郎は包みを受け取る。


軽い。


「中身、なんですか」


「知らん」


六郎は少し笑う。


「知らないんだ」


「預かっただけじゃ」


「危ないものじゃないですよね」


「どうじゃろうな」


六郎は一瞬だけ黙る。


「……いや、そこは大丈夫って言ってくださいよ」


老人は答えない。


少しだけ口元が動いた気がした。


「場所は?」


老人は簡単に道を告げる。


それほど複雑な場所ではなかった。


六郎はうなずく。


「ああ、あの辺か」


「そうじゃ」


それ以上は言わない。


店の中は、また静かになる。


六郎は棚を一度だけ見渡す。


さっきまで見ていた本が、そこにある。


並びも、変わっていない。


何も変わっていないように見えた。


六郎は包みを持って、店を出た。



通りをいくつか曲がる。


言われた通りの道だった。


目印もあったし、迷うような場所ではない。


それでも、それらしい店は見当たらない。


住宅地に入る。


さらに奥へ。


ない。


六郎は立ち止まる。


周囲を見渡す。


同じような家が並んでいる。


人の気配はある。


だが、店はない。


「……ないな」


頭の中で道を辿り直す。


間違っているところはない。


「まあ、そんなもんか」


引き返そうとする。


そのとき。


視界の端に、何かが引っかかった。


振り返る。


竹で編まれた飾りが、軒先に吊られている。


細い竹を組んだ、見慣れない形だった。


風もないのに、わずかに揺れている。


見覚えがある。


どこで見たのかは思い出せない。


六郎は足を止める。


その奥に、店があった。


さっきまで、なかった場所に。


家と家の間に、少し引っ込むようにして。


「……かごめ屋」


表札を見る。


「籠目屋、か」


声に出すが馴染まない。


戸に手をかける。


少しだけ迷う。


理由はない。


ただ、手が止まる。


「まあ、いいか」


引く。


音はしない。


「いらっしゃい」


奥から声がする。


六郎は入口で足を止める。


土間になっていた。


靴を脱ぐ。


そのまま中へ上がる。


店の中は静かだった。


古い本が並んでいる。


背の色も、紙の色も、少しずつ違う。


その間に、瓶もある。


ガラスのもの、陶器のもの。


中身は見えない。


六郎は少しだけ眉を上げる。


「……本屋、ですよね」


「ええ」


奥に座っていた女が答える。


帳面を閉じる。


顔を上げる。


一度、目が合う。


それだけで、十分だった。


「ですよね」


六郎はもう一度言う。


百合は小さくうなずく。


「だいぶ雑多ですね」


「古いものが多いから」


それ以上は続かない。


六郎は思い出したように、包みを持ち直す。


「ああ、これ」


百合に差し出す。


「預かってきました」


百合はそれを見る。


すぐには受け取らない。


少しだけ間を置いてから、手を伸ばす。


「ありがとう」


それだけ言って、受け取る。


中身は確かめない。


そのまま脇へ置く。


六郎はそれを見てから、視線を外す。


「奥、なんですか」


「座るところ」


「客用ですか」


「そういうこともある」


六郎は笑う。


「またそれだ」


「……座っていいです?」


「ええ」


六郎は奥へ入る。


腰を下ろす。


木が小さく鳴る。


「……落ち着きますね」


「そう」


「理由は分からないですけど」


「そういうものよ」


六郎は少し笑う。


「便利だなあ、それ」


百合は答えない。


六郎は棚の瓶を見る。


本と同じ高さに並んでいる。


違和感はある。


だが、嫌な感じはしない。


「……本屋ですよね」


「ええ」


「ですよね」


「酒、ありますよね」


「あるわ」


六郎は少し首を傾ける。


「売るだけですか」


「飲めるわよ」


少し考える。


断る理由はない。


「じゃあ」


「一杯だけ」


「そう」


百合は盃を出す。


静かに注ぐ。


六郎は受け取る。


少し見てから、口に運ぶ。


「……普通ですね」


「そう」


六郎は少し笑う。


「なんか、こう」


「特別かと思った」


「特別にしたい?」


「いや」


「普通でいいです」


百合は何も言わない。



少しして、六郎が言う。


「ここ、なんなんですか」


「本屋よ」


「それだけじゃないですよね」


「来る人がいるから、あるだけ」


六郎は少し笑う。


「またそれだ」


「前の俺みたいに困ってる人が来るんですか」


「来るわよ」


「解決するんですか」


「することもある」


「しないこともある」


六郎は盃を指で回す。


「……じゃあ、無駄じゃないですか」


百合は六郎を見る。


「そう思う?」


「思いますよ」


六郎は肩をすくめる。


「でも」


「来る側は、来るんでしょうね」


百合はうなずく。


「ええ」


六郎は小さく笑う。


「分かる気がするなあ、それ」


少し沈黙。


六郎はふと視線を上げる。


「……百合さん」


「なに」


「仕事って、してるんですか」


百合は首を傾ける。


「しているわ」


六郎は少し笑う。


「何してるんですか」


「見ての通りよ」


「本屋?」


「そういうこともある」


六郎は息を吐く。


「またそれだ」


百合は六郎を見る。


「あなたは?」


「俺ですか」


「ええ」


六郎は少しだけ考える。


「実家が喫茶店やってて」


「そこで働いてます」


百合はうなずく。


「そう」


それ以上は続かない。


百合は盃に酒を注ぐ。


静かに。


それを置く。


「私の仕事を、手伝ってみない?」


六郎は少しだけ目を細める。


驚いたような顔はしない。


「急ですね」


「そうかしら」


「いや、まあ」


六郎は肩をすくめる。


「何するんですか」


「来る人の話を聞く」


「それだけ?」


「それだけのこともある」


六郎は少し黙る。


盃を見る。


「……バイトみたいな感じですか」


百合は答えない。


少しだけ視線を外す。


六郎は小さく笑う。


「まあ、考えときます」


百合はうなずく。


「ええ」


それ以上は言わない。



六郎は立ち上がる。


「……また来ます」


「ええ」


外へ出る。


靴を履く。


戸を閉める。


音はしない。


振り返る。


店は、そこにある。


最初からあったみたいに。


六郎はそのまま歩き出す。

通りに出る。

通りに出る。


少しだけ考える。


それから、やめる。


「……まあ、いいか」


また行けばいい。


それだけだった。



挿絵(By みてみん)

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