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ゴーストインザルーム  作者: 葦原 蒼紫


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第4話 崩壊の足音

 

 巨大な鉄の扉が閉まる鈍い音が、コンクリートの壁に反響する。

 スーパーマーケットから事実上の解雇宣告を受けてから二週間後。私は、都心から電車で一時間以上かかる郊外の、巨大な物流倉庫に立っていた。底を突きかけた通帳残高と、今月末に迫った家賃の支払いを回避するため、面接もなしに即日勤務可という条件だけで飛びついた日雇い派遣の現場である。

 見渡す限りの灰色のコンクリート床と、天井まで届く無機質な鉄のラック。視界を埋め尽くすのは、茶色い段ボールの山と、それらを無慈悲な速度で運び続けるベルトコンベアの黒い帯だけだ。

「はい、次! 手を止めないで!」

 蛍光色のベストを着た現場の社員が、拡声器越しに怒鳴り声を上げる。

 私の仕事は、ベルトコンベアから絶え間なく流れてくる段ボール箱のバーコードをハンディスキャナーで読み取り、指定されたカゴ車へと仕分けていくという、極めて単純かつ肉体的な苦痛を伴う作業だった。

 ピーッ。ガタン。ピーッ。ガタン。

 機械の電子音と、段ボールがぶつかるくぐもった音だけが、脳髄に単調なリズムを刻み込んでいく。

 スーパーのレジ打ちも大概だったが、ここはさらに人間性を剥奪された煉獄だった。ここには、客に愛想を振りまく結衣のような存在すらおらず、理不尽に怒鳴りつけてくる客もいない。ただ、誰もが感情を殺し、与えられたノルマをこなすための生きた機械部品として、冷たいコンクリートの上に立ち尽くしている。

 暖房設備など存在しない巨大な吹き抜けの倉庫内は、外気と変わらないほど冷え切っていた。十二月の底冷えが、安全靴の薄いゴム底を通して足の裏から這い上がり、芯まで凍りつかせる。

 段ボールの硬いエッジと、乾燥した空気のせいで、私の指先は無惨にささくれ立ち、あちこちが小さくひび割れて血が滲んでいた。軍手を通しても伝わってくるその鋭い痛みは、私がこの世界において、いかに価値のない、使い捨ての塵芥であるかを秒単位で突きつけてくる。

 だが、私の心は不思議と穏やかだった。いや、穏やかというよりは、この過酷な現実から完全に乖離し、宙に浮いているような奇妙な浮遊感の中にあった。

 ベルトコンベアの前で無心に箱を右から左へ移しながら、私は脳内で自分の玉座に思いを馳せていた。

 あの東京ドーム公演での潜入告発から、すでに十日以上が経過している。

 私が全財産を投げ打って手に入れた真実は、ネット上でかつてない規模の業火となり、NONELという巨大な偶像を焼き尽くし続けていた。

 昼休憩を告げる、けたたましいブザーが鳴り響く。

 稼働していたベルトコンベアが低い唸りを上げて停止し、生きた機械部品たちは一斉に無言のまま休憩室へと向かって歩き出した。

 私もその群れに混じり、足を引きずるようにしてパイプ椅子が並べられただけの殺風景な休憩室へと向かう。安いレモンの芳香剤と、隣接するトイレから漂うツンと鼻を突くアンモニアの匂いが入り混じった息苦しい空間だ。

 私は一番端の席に座り、ひび割れて血の滲む指先で、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。

 画面を点灯させた瞬間、網膜に飛び込んでくる青白い光。

 それは、凍えきった私の肉体を温める、唯一の絶対的な熱源だった。

 ロック画面を解除し、『Ghost In the Room』のアカウントを開く。

 フォロワー数は、今や八万人という大台に乗ろうとしていた。私の一挙手一投足に、八万の人間が注目し、私の言葉を神の啓示のように待ち望んでいる。

 タイムラインをスクロールすると、私の放った炎が、ついにアイドル本人やファンという枠組みを超え、現実の経済活動を侵食し始めているのが見て取れた。

『NONELがCMやってる飲料水、今日スーパーで見かけたけど全部裏返しにして陳列されてた。あれだけ炎上してたら店側も置きたくないよね』

『スポンサー企業に問い合わせのメール送りました。パワハラとファン差別を容認する反社会的なグループを起用し続けるなら、御社の製品は二度と買いませんって』

『テレビ局にもクレーム入れた。あんな奴ら公共の電波に出すな』

 素晴らしい。

 私が組み立てたガバナンスの欠如や社会的責任という大義名分が、思考停止した大衆に完璧にインストールされている。彼らは私から与えられた正義の棍棒を振り回し、企業という巨大な権力に向かって、嬉々として一斉攻撃を仕掛けているのだ。

 私は、ささくれ立った指で画面を操作し、ダイレクトメッセージの受信箱を開いた。

 無数に届く信者からの称賛のメッセージに紛れて、ひときわ目立つアイコンからの通信があった。

 アカウント名『黒曜』。

 アイコンは、目深にフードを被った黒ずくめの人物のシルエットだ。フォロワー数四万人を誇る、アイドル界隈では名の知れた暴露系のアカウントである。

 私と同じように、社会の不条理を鋭い言葉で糾弾し、これまで幾つもの小さな炎上を主導してきた同業者であり、今回のNONEL炎上騒動においては、私のポストを最も頻繁に引用リポストし、炎を拡大させるための強力な拡声器の役割を果たしてくれていた。

 黒曜からのダイレクトメッセージには、こう書かれていた。

『Ghost In the Roomさん、連日の追及お疲れ様です。貴方の東京ドームでの現場レポートは、界隈の歴史に残る完璧な告発でした。おかげで、彼らのスポンサー数社が水面下で対応を協議し始めているというタレコミが、私の裏ルートにも入ってきています』

 私は口角を微かに吊り上げた。

 この底辺の物流倉庫の、アンモニア臭い休憩室のパイプ椅子に座りながら、私は見えない世界の権力者たちと確実に繋がり、社会を動かしているのだ。

『ありがとうございます』

 私は、ひび割れた指先でフリック入力を始めた。相手が四万人のフォロワーを持つ大物であっても、八万人を率いる私の方が完全に格上である。言葉遣いは丁寧だが、どこか王者が臣下を労うような、余裕に満ちたトーンを意識して文章を構築した。

『すべては、真実から目を背け、傲慢に振る舞い続けた彼ら自身の自業自得です。我々はただ、腐敗したシステムに光を当てたに過ぎません。スポンサーが動けば、テレビ局も彼らを起用しづらくなるでしょう。このまま一気に、彼らの社会的生命を断ち切りましょう』

 送信ボタンを押す。

 数秒と経たずに、黒曜から既読がつき、すぐに返信が返ってきた。

『仰る通りです。彼らのような存在を許せば、真面目に努力している他の者たちが報われません。我々の手で、この業界を浄化しましょう。これからも、貴方の発信を全面的にバックアップさせていただきます』

 私は満足げに頷き、スマートフォンをポケットにしまった。

 私たちは、この狂った世界に正義の鉄槌を下す革命家なのだ。

 黒曜という強力な同盟者を得たことで、私の軍隊はもはや誰にも止められない巨大なうねりとなっていた。アイドル事務所の権力や、テレビ局の忖度など、数万人の消費者の声という正義の暴力の前では、紙切れのように脆弱な防壁に過ぎない。

 ピー、ピー、ピー。

 無機質なフォークリフトのバック音が、倉庫の奥から響いてきた。休憩時間の終わりを告げる、現実世界からの忌まわしい呼び声だ。

 私は立ち上がり、冷え切ったコンクリートの床を踏みしめた。

 これからまた夕方まで、数千個の段ボール箱のバーコードを読み取り続ける、脳死の作業が待っている。肉体は悲鳴を上げ、手は血に塗れるだろう。

 だが、今の私にはそれが全く苦にならなかった。

 この惨めで薄汚れた現実は、私が神としての役割を果たすための、ほんの仮の姿に過ぎないのだから。私は英雄なのだ。英雄は、いつだって孤独で、世間からは理解されず、泥にまみれながら真実のために戦うものだ。

 私は誇り高い足取りで、再び轟音の鳴り響くベルトコンベアの前へと戻っていった。

 この時、私の背後に、破滅という名の黒い足音がすぐそこまで忍び寄っていることなど、全能感に酔いしれた私の耳には一ミリも届いていなかった。

 物流倉庫での単純作業は、私の肉体を確実に蝕んでいった。

 毎日数千個の段ボールをスキャンし、カゴ車へと放り込む動作の反復は、首から肩にかけての筋肉を石のように硬直させ、ひび割れた指先からは常に微量の血が滲んでいた。安全靴の中で蒸れた足は悪臭を放ち、帰りの電車で座席に座ることすらためらわれるほどの惨めな姿だった。

 しかし、私の精神はかつてないほどに研ぎ澄まされ、高く飛翔していた。

 夜、カビ臭い六畳間に帰り着き、ノートパソコンの電源を入れる。

 その瞬間から、私は底辺の派遣労働者から、数万の軍勢を従える絶対的な司令官へと変貌を遂げる。

 私の放った炎は、東京ドーム公演の告発から一週間が経過しても、全く衰える気配を見せていなかった。いや、むしろ延焼のスピードは加速し、その炎の性質はより過激で暴力的なものへと変質していた。

 ファンどもや野次馬たちの怒りの矛先は、もはやNONELのメンバー本人たちだけには留まらなかった。

 私が火をつけた家族への利益供与という疑惑は、特定班と呼ばれる執念深いネットの住人たちによってさらに掘り下げられ、緋月の姉の勤務先や、実家の住所らしきものまでが、真偽不明のままネット上の掲示板に晒し上げられていた。

『これ、お姉ちゃんの働いてるサロンらしいよ。ファンのお金でエステ三昧とか許せない』

『実家の写真見つけた。めちゃくちゃ豪邸じゃん。私たちのCD代で建った家だと思うと吐き気がする』

 タイムラインには、個人のプライバシーを暴き立てる暴力的な情報が濁流のように流れていく。

 本来なら犯罪行為とも言えるそれらの書き込みを、私は一切止めることはしなかった。むしろ、このような個人情報の特定は推奨されるべきではないが、ファンを欺き続けた結果として大衆の怒りが爆発したという社会的背景は、重く受け止めるべきであると、いかにも中立で高潔な批評家を装いながら、巧妙に引用リポストして拡散を手助けした。

 彼らが苦しめば苦しむほど、私の削られた自尊心は満たされていく。

 テレビの音楽番組でNONELの出演シーンが不自然にカットされたり、彼らが起用されていた商品の広告バナーがウェブサイトからひっそりと消えたりするたびに、私は自分が世界を正しい方向へと導いているのだという、強烈な万能感に酔いしれた。

 その金曜日の夜も、私は週末に向けた新たな攻撃のシナリオを練るために、パソコンの前に座っていた。

 明日はNONELが、生放送の大型音楽特別番組に出演する予定になっている。炎上騒動の渦中にある彼らが、どのような顔でテレビの前に現れるのか。その一挙手一投足を監視し、少しでも不自然な態度があれば、即座に反省の色がない、視聴者を舐めているという新しい火柱を上げてやるつもりだった。

 私は、強力な同盟者である暴露系アカウントの黒曜の動向を確認しようと、彼のIDを検索窓に打ち込んだ。

 四万人のフォロワーを持つ彼は、私と連携してNONELを叩くことで、さらに影響力を拡大しているはずだった。明日も共に、この狂った世界に正義の鉄槌を下すための完璧な布陣を敷かなければならない。

 しかし、検索結果に表示された彼のプロフィール画面を見た瞬間、私の指先がピタリと止まった。

 最後に彼がポストをしたのは、丸二日前のことだった。

 毎日、息をするようにアイドルのスキャンダルやゴシップを投下し続けていた彼が、四十八時間も沈黙している。それは、情報発信を存在意義とする彼のようなアカウントにとっては、極めて異常な事態だった。

 そして何より、私の目を釘付けにしたのは、彼のプロフィール画面の最上部に固定されたポストとして表示されていた、たった一つの異質な投稿だった。

『この度、私が発信したNONEL様および関係者様に関する一連の投稿について、多大なるご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます』

 息を呑んだ。

 あの、私にすり寄り、共に業界を浄化しようと息巻いていた黒曜の文章とは到底思えない、ひどく事務的で、怯え切ったような謝罪文。

 そのテキストの下には、一枚の画像が添付されていた。

 見慣れない、分厚く白い書類の束を撮影した写真。

 私はマウスのホイールを回し、その画像を拡大した。

 画質が荒く、文字の大部分は黒く塗りつぶされていたが、書類の最上部に印字された太いゴシック体のタイトルだけは、私の網膜に暴力的なまでの鮮明さで焼き付いた。

『発信者情報開示に係る意見照会書』

 ドクン、と。

 心臓が、肋骨を内側から強く蹴り上げるような、不快な音を立てた。

 続くテキストには、彼が完全に白旗を上げた事実が、惨めなほど克明に記されていた。

『先日、プロバイダを通じて、私の投稿に対する発信者情報開示請求が届きました。弁護士を通じて確認したところ、私のこれまでの発言が名誉毀損および業務妨害に該当する可能性が極めて高いとのことでした。対象の投稿はすべて削除し、以後は一切の関与を絶ちます。このアカウントも近日中に削除いたします。本当に申し訳ありませんでした』

 部屋の空気が、急激に冷え込んだように感じた。

 いや、違う。私自身の体温が、血の気が引くのと同時に急速に失われているのだ。

 開示請求。名誉毀損。業務妨害。

 現実世界で私が最も恐れている法律と権力という名の巨大な暴力が、インターネットの匿名性という分厚い壁を物理的にぶち破り、同盟者の喉元に噛み付いたのだ。

 黒曜の謝罪ポストには、数千件の返信がぶら下がっていた。

 昨日まで彼を持て囃していたファンや野次馬たちが、今度は一斉に彼を攻撃し始めている。

『ダサすぎ。開示請求された途端に逃げるとか』

『やっぱりただのアンチの捏造だったんじゃん。訴えられて人生終わればいいよ』

『Ghost In the Roomさんの情報に乗っかってイキってただけのアホ』

 私はガタガタと震える右手を左手で押さえつけながら、深呼吸を繰り返した。

 恐怖が、胃の奥底から真っ黒な泥のようにせり上がってくる。

 彼がやられたのなら、当然、この炎上の主犯である私のもとにも、同じ書類が届くのではないか。あの巨大な芸能事務所の弁護士たちが、私のIPアドレスを特定し、このカビ臭いアパートのドアを叩きにくるのではないか。

 しかし、その恐怖が私の精神を完全に支配する直前、私の脳内に根を張った巨大な自己正当化のシステムが、猛烈な勢いで作動し始めた。

「……馬鹿な男」

 私は、震える唇から細い声を絞り出し、画面の中の黒曜を冷ややかに嘲笑った。

 そうだ、こいつはただの三流のゴシップ屋だ。感情に任せてアイドルを罵倒し、憶測だけで過激な言葉を投げつけていたに過ぎない。だから、名誉毀損などという法的リスクに足を掬われるのだ。

 だが、私は違う。

 私は彼らのように、汚い言葉で誹謗中傷をしたことなど一度もない。

 私の投稿を見返してみろ。コンプライアンスの欠如、社会的責任、ファンへの搾取構造。すべてが、社会問題を憂う一人の市民としての、高潔で論理的な批評の範疇に収まっている。ドームでの現場レポートだってそうだ。私は私の目にはこう見えたという事実を、消費者としての正当な権利に基づいて問題提起しただけだ。そこにいかなる感情論も、私怨も存在しない。

 公益性を伴う正当な批評は、法律によって守られている。

 あの巨大な事務所の弁護士とて、論理の隙が全くない私の高尚なテキストを前にしては、手出しなどできるはずがない。黒曜は、その知性の低さゆえに詰めを誤り、自滅しただけのことだ。

「私と一緒にしないで……。私は、神の視点を持っているのよ」

 私は、自分自身に言い聞かせるように、誰もいない六畳間で強く呟いた。

 恐怖は、完全に強烈な優越感と特権意識へと変換されていた。

 無能な同盟者が一人消えたところで、私の軍勢が揺らぐことはない。むしろ、感情的なだけの馬鹿が淘汰され、純粋で高度な論理だけが残ったのだ。これで私の革命は、より美しく、より研ぎ澄まされたものになる。

 私は黒曜の謝罪ポストを無表情で閉じ、明日行われるNONELの生放送出演に備えて、キーボードの上に両手を構え直した。

 崩壊の足音は、すでに私の背後、すぐ耳元まで迫っていた。

 しかし、神の玉座に座り、全能感という強力な麻薬に完全に脳を破壊された私には、その現実の足音が、革命を告げる華々しいファンファーレにしか聞こえていなかったのだ。

 土曜日の夜八時。

 私は薄暗い六畳間の中央で、パイプ椅子に浅く腰掛け、部屋の隅にある小さな液晶テレビの画面を食い入るように見つめていた。膝の上には、開いたままのノートパソコンが青白い光を放っている。

 画面の中では、民放の大型音楽特別番組が生放送で進行していた。

 きらびやかなセット、過剰な照明、そしてわざとらしい拍手と歓声。私が日常的に憎悪している、資本主義のグロテスクな見本市だ。

 お目当てのNONELが登場したのは、番組も中盤に差し掛かった頃だった。

 司会者のアナウンサーに名前を呼ばれ、ひな壇から中央のステージへと移動してくる五人の姿がカメラに抜かれる。

「……ふっ」

 私は、テレビ画面に映し出された彼らの顔を見た瞬間、思わず嘲笑を漏らした。

 明らかに、顔色が悪い。

 いつもなら傲慢なほどに自信に満ち溢れ、カメラを舐め回すような視線を送ってくるはずの緋月が、今日は不自然なほど俯き加減で、目の下にはメイクでも隠しきれない濃い隈が張り付いていた。他のメンバーたちも同様だ。無理に笑顔を作ろうとしているが、その表情筋はひどく強張っており、あのドーム公演で見せたような、自分たちが世界の中心だという覇気は完全に消え失せていた。

 連日の大炎上、スポンサー企業からの非難、そして身内である黒曜のようなアカウントへの法的措置の準備。彼らを取り巻く環境は、私が着火した業火によって、今や文字通り火の車なのだろう。

 数万のファンから向けられる疑心暗鬼の視線と、ネット上に溢れ返る呪詛の言葉。それが彼らの精神を確実に削り取っているのが、ブラウン管越しにも痛いほど伝わってきた。

 痛快だった。

 私が、この底辺の六畳間から放った見えない言葉の刃が、あの煌びやかなテレビの向こう側にいる選ばれた人間たちの心臓を、確実に貫き、出血させているのだ。

「ざまあみろ。お前たちが搾取してきた代償よ」

 私は独り言を呟きながら、ノートパソコンのキーボードに手を伸ばした。

 彼らが憔悴しているからといって、ここで手を緩めるような三流のアンチではない。彼らが弱みを見せた時こそ、最も鋭利なメスを急所に突き立てるのが、真の批評家の役割だ。

『現在生放送中の音楽番組におけるNONELの態度だが、あまりにも目に余る。連日の騒動による心労をアピールしたいのかもしれないが、公の電波でそのような私情を持ち込み、暗い表情を振りまくこと自体が、エンターテインメントを提供するプロとして三流の証明である』

 私はカタカタと乾いた音を立てて、澱みなくテキストを打ち込んでいく。

『彼らは反省している被害者を演じることで、同情を買おうとしているのだろう。しかし、根本的な構造問題――ファンへの搾取、権力勾配、家族への利益供与――について何一つ説明責任を果たしていない状態で、そのような小手先の演技を見せられても、消費者の不信感は募るばかりだ。彼らに必要なのは同情を誘う顔ではなく、誠実な謝罪と、社会人としての自覚である』

 送信ボタンを叩く。

 数秒後、私のタイムラインは再び熱狂の渦に包まれた。

『Ghost In the Roomさんの言う通り! 疲れたアピールウザすぎ。プロなら笑顔でやれよ』

『なんか被害者ぶっててイライラした。自業自得なのに』

『黒曜さんが訴えられたらしいけど、Ghost In the Roomさんは負けないで! 私たちの代弁者なんだから!』

 信者たちの言葉が、私という神の権威をさらに強固なものにしていく。

 私は、黒曜の開示請求の件で一瞬だけ感じた恐怖などとうに忘れ去り、モニターの放つ光を全身に浴びて、全能感の麻薬に深く、深く溺れていった。

 だが、私の意識が完全に電子の海へとダイブしている間、現実世界における私の肉体は、確実に破滅への時限爆弾のスイッチを踏み抜いていたのだ。

 月曜日の昼下がり。

 私は派遣先の巨大な物流倉庫で、いつものようにベルトコンベアの前で無心に段ボールのバーコードをスキャンしていた。

 午前中の作業を終え、休憩を告げるブザーが鳴る。

 私は重い足を引きずり、アンモニアとレモンの芳香剤の匂いが混ざる休憩室へと向かった。

 部屋の隅にあるパイプ椅子に腰を下ろし、安物の菓子パンをかじりながら、すぐに制服のポケットからスマートフォンを取り出す。これが私の唯一の食事だ。パンの味などどうでもいい。私の網膜は、常にSNSのタイムラインと通知の数字だけを求めている。

 画面に没頭していると、少し離れた長机に座っている、二十代前半の若い派遣スタッフたちの会話が、不意に私の耳に飛び込んできた。

「ねえ、昨日もNONELのこと叩いてたアカウント見た? ゴーストなんとかってやつ」

「見た見た。相変わらず長文ですごかったよね。でもさ、あの人、絶対に現場の人間か、関係者だと思わない?」

 私の指が、スマートフォンの画面上でピクリと止まった。

「わかる! だって、ドームの裏方スタッフの動きとかまで見てたんでしょ? 普通の客席からじゃ絶対見えないって」

「それにさ、あの人の投稿時間、なんか変じゃない? 平日の昼間はピタッと止まるのに、休憩時間っぽい時間帯だけ、ものすごい長文で連投してくるじゃん。なんか、スマホ打つのめっちゃ早い人なんじゃないかって」

 私は息を殺し、菓子の袋を握りしめたまま、彼女たちの会話に全神経を集中させた。

「あ、それ思った。そういえばさ……うちの現場にも、休憩中ずっとスマホをものすごい勢いで打ってる人、いるよね」

 ドクン。

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 若いスタッフたちの一人が、チラリと、本当にチラリとだけ、部屋の隅に座る私の方へ視線を向けたのがわかった。私は慌ててスマートフォンを隠そうとしたが、それはかえって不自然な動作になってしまった。

「……え、まさか。あの人?」

「しっ、声大きい。でも、あの人いっつも一人でムスッとしてるし、なんか闇抱えてそうじゃない? 前にスーパーでレジ打ちしてたとか、派遣会社の人が言ってた気がする」

 ネットの海に身を隠している幽霊の正体が、この現実の薄汚れた倉庫の中で、無遠慮に暴かれようとしている。

 私の背中を、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。

 ネットの特定班の執念を、私は甘く見過ぎていた。

 彼らは、私の何気ない投稿時間、改行の癖、使用する語彙、そして過去に呟いた通勤電車の不満やスーパーのレジ打ちの愚痴といった断片的な情報をかき集め、私がどのような生活を送っている人間なのかを、すでにプロファイリングし始めているのだ。

 そして、その噂は、この底辺の労働現場という閉鎖空間において、最高の暇つぶしのゴシップとして急速に広まりつつある。

「ねえ、あの人が本当にゴーストなんとかだったら、ヤバくない? 黒曜ってアカウントみたいに、そのうち開示請求されて捕まるんじゃ……」

「関わらない方がいいよ。ああいうの、逆恨みとか怖いし」

 ヒソヒソという声が、耳障りなノイズとなって私の脳髄を引っ掻き回す。

 私は菓子パンを握り潰し、立ち上がった。

 彼女たちの視線が、一斉に私の背中に突き刺さるのを感じる。私は誰の顔も見ず、逃げるように休憩室を後にした。

 トイレの個室に駆け込み、鍵をかける。

 息が荒い。鏡に映る自分の顔は、青ざめ、脂汗にまみれ、ひどく醜く歪んでいた。

 違う。私はあの狂ったアイドルたちを裁く、高潔な神だ。

 こんな、時給千円で使い捨てられる底辺の労働者たちに、噂され、見下されるような存在ではない。

 私は個室の中で震える手でスマートフォンを開き、自らのタイムラインを確認した。

 八万人のフォロワー。絶え間なく続く称賛のリポスト。

「私は、間違っていない……」

 便器の蓋の上に座り込み、私は自分自身に呪文のように言い聞かせた。

 現実世界の私がどれほど惨めで、孤立し、身バレの恐怖に怯えようとも、インターネットという強固な玉座がある限り、私は無敵なのだ。

 だが、私が自らを慰めるために見つめていたその小さな画面の向こう側で、すでに巨大な資本と権力という名の本物の暴力が、私の首を確実に絞め上げるための法的準備を終えようとしていることに、私はまだ気づいていなかった。

 トイレの個室で震えをやり過ごした後、私は再びベルトコンベアの前へと戻った。

 午後の作業は、これまでの人生で最も長く、そして最も息苦しい時間だった。

 機械的な電子音と段ボールの擦れる音に混じって、少し離れたレーンで作業をしている若いスタッフたちの話し声が、すべて私への嘲笑と詮索に聞こえてくる。誰かが私の方を向いてコソコソと耳打ちをするたび、背筋に冷たい氷を押し当てられたような悪寒が走った。

「私が、Ghost In the Roomだとバレるはずがない。ただの妄想だ」

 ハンディスキャナーを握る手に力を込め、血の滲む指先の痛みに意識を集中させることで、どうにか正気を保とうとした。

 私は彼らのように、職場の休憩室でベラベラと私語を交わすような隙は見せていない。ただ、一人でスマートフォンを見つめ、静かに、そして圧倒的な速度でタイピングをしていただけだ。それだけで、あの巨大な炎上の首謀者と結びつけるなど、飛躍にも程がある。

 だが、一度植え付けられた疑心暗鬼の種は、私の精神を内側から確実に蝕んでいった。

 その日以降、私は休憩室を使うことをやめた。昼休憩のブザーが鳴ると同時に、誰もいない非常階段の踊り場や、カビ臭い女子トイレの個室に逃げ込み、そこで息を潜めながら冷え切ったパンを齧るようになった。

 現実世界での私は、完全に逃亡者のそれだった。

 誰とも目を合わせず、声も発さず、ただ機械のように働き、時間が来れば逃げるようにして倉庫を後にする。

 しかし、私のその不自然で逃避的な態度は、かえって現場の人間たちの不気味な女という印象を決定づけ、噂に信憑性を持たせる結果となってしまったのだ。

 それから数週間後のことだ。

 冷たい雨が降る、金曜日の午後。午前の作業を終え、いつものようにトイレの個室へと向かおうとした私の背中を、思いがけない声が引き止めた。

「……ちょっといいかな」

 振り返ると、そこに立っていたのは現場の社員ではなく、私が登録している派遣元の担当営業だった。安物のスーツを着た、三十代半ばのひどく事務的で冷たい目をした男だ。

 彼がわざわざこの郊外の現場まで足を運んでくるということは、つまり、そういうことだ。

 ドクン、と。

 心臓が、これまでで一番大きく、嫌な音を立てた。

 私は無言のまま、彼に促されてバックヤードの隅にある、普段は使われていない埃っぽい面談室へと連行された。パイプ椅子が二脚だけ置かれた、窓のない圧迫感のある部屋だ。

 担当営業は椅子に座ることもせず、立ったまま、手に持ったバインダーに目を落として淡々と口を開いた。

「契約の件なんだけど。今月末で、一旦終了という形にさせてもらうことになったから」

 息が止まった。

 今月末。つまり、あと数日後だ。家賃の支払いも滞りかけているこの状況で、突然の収入源の断絶。それは、私の物理的な生存に対する死刑宣告に等しい。

「……どうしてですか。遅刻も欠勤もしていません」

 私の口から絞り出された声は、ひどく掠れ、惨めなほどに震えていた。

「いや、ここの現場の社員さんからね、少しクレームが入ってて。君、勤務中もずっとスマホ見てて、上の空だって。それに……」

 担当営業はそこで言葉を濁し、周囲に人がいないことを確認するように、わざとらしく声を潜めた。

「君、ネットで何かトラブル起こしてない?」

 心臓を、冷たい鉄の爪で鷲掴みにされたような感覚だった。

 全身の血の気が引き、指先から急速に温度が失われていく。

「現場の若い子たちが、君のこと、なんかSNSで炎上してるアカウントの持ち主じゃないかって噂しててね。変なトラブルに巻き込まれるのは会社としても困るんだよ」

 特定班の噂が、ついに派遣会社の耳にまで届き、私を排除するための正当な理由として機能したのだ。

 私は何も言い返せなかった。

 違います、それは誤解ですという弁明の言葉すら、喉の奥にこびりついて出てこない。弁明する言葉など、最初から私の中には存在しなかったのだ。

 ネットの世界で、私はこれまで散々、企業やアイドルのコンプライアンスや社会的責任を声高に糾弾してきた。少しでも不誠実な態度があれば社会悪だ、排除すべきだと正義のメスを振り下ろしてきた。

 その私が今までネット上で偉そうに振りかざしてきたコンプライアンスや社会的責任という言葉が、今度は私自身を社会から追放するための正当な理由として、私の喉元に突きつけられていたのだ。

「うちはただでさえ、現場との信頼関係で成り立ってる商売だからさ。不穏な噂が立つスタッフを置き続けるわけにはいかないんだ。わかるよね?」

 わかるよね、という言葉は、同意を求めているのではない。ただの通告だ。

 この男の目には、私がGhost In the Roomであろうがなかろうが関係ない。ただ、現場の空気を悪くし、面倒なトラブルの火種になりそうな薄汚れた部品を、新しいものと交換するだけのことだ。

「……わかり、ました」

 私は、自分の靴のつま先を見つめたまま、ただそれだけを口にするのが精一杯だった。

 その日の夕方。

 月末を待たずして、私はロッカーの荷物をまとめ、誰に見送られることもなく無言で倉庫を去った。

 降りしきる冷たい雨の中を、駅に向かって歩く。

 傘をさす気力すらなく、安物のトレンチコートは重く水を吸い込み、私の体温を容赦なく奪っていく。

 スーパーをクビになり、逃げ込んだ日雇いの物流倉庫からも、私は完全に追い出された。

 正義や論理など、この現実の社会では何の役にも立たない。ただ、空気を乱す者、不気味な者、そして立場の弱い者が、無慈悲に切り捨てられていくだけだ。

 私は、完全に社会からの接続を絶たれた。

 アパートに帰り着き、鍵をかける。

 もう、外に出る理由すら失われた。

 明日から行くべき場所も、私を必要とする人間も、私に賃金を与えてくれるシステムも、この現実世界には一つも存在しない。

 部屋には、飲みかけのペットボトルや、コンビニ弁当の空き箱が地層のように積み重なり、酸っぱい腐敗臭を放っていた。

 私は濡れたコートを脱ぎ捨てることもせず、ただ万年床の上に横たわり、シミだらけの天井の木目を虚ろな目で見つめ続けた。

 ポストには、毎日何かしらの督促状が投函される音が響くが、見に行く気力すらない。

 私は、ただの腐りかけの肉の塊だった。

 しかし、その惨めな肉体のすぐ傍らで、ノートパソコンの黒い筐体だけが、私を呼ぶように静かに佇んでいた。

 現実がどれほど崩壊しようとも、私にはあの玉座がある。

 いや、現実がすべて失われたからこそ、もはや私には、あのインターネットの海に身を投じるしか、生存の証明を残す術がなくなってしまったのだ。

 私は泥のように重い身体を引きずって起き上がり、震える指でパソコンの電源ボタンを押し込んだ。

 震える指でパソコンの電源ボタンを押し込むと、ファンの低い回転音が静まり返った六畳間に微かな振動をもたらした。

 暗闇の中で、モニターの青白い光が私の顔を照らし出す。

 社会から完全に切り離され、行き場を失った私の肉体にとって、この光だけが唯一の生命維持装置だった。私は縋るようにブラウザを開き、Ghost In the Roomのタイムラインを表示させた。

 フォロワー数は八万人を維持している。

 しかし、タイムラインの熱気は、私が東京ドームの現場レポートを投下した数日前の狂乱に比べると、明らかに潮が引き始めているように感じられた。

 ネットの有象無象どもは、他人の不幸や炎上に群がって石を投げることには熱心だが、その熱しやすく冷めやすい性質ゆえに、一つの話題に長く執着することはできない。彼らの関心はすでに、別の有名人の不倫疑惑や、政治家の失言といった新しい娯楽へと移りつつあった。

 私への称賛のメッセージも、心なしか勢いが落ちている。

 火種が小さくなっている。このままでは、私が命を削って起こした革命が、ただの一過性のネットの炎上として消費され、忘れ去られてしまう。

 焦燥感が、空きっ腹の胃をギリギリと締め付けた。

 私は、現実世界で彼らがどれほどのダメージを負い、どれほど惨めな姿を晒しているのかを確認しなければ気が済まなかった。ネットの文字情報だけでは足りない。彼らが頭を下げ、社会から抹殺されていく具体的な映像という成果が必要だった。

 私は部屋の隅で埃を被っていた小さな液晶テレビに手を伸ばし、電源を入れた。

 画面がパッと明るくなり、耳を劈くような凄まじい歓声が六畳間に流れ込んできた。

 私は、反射的に目を細めた。

『さあ、全国五大ドームツアーの最終日! NONELの登場です!』

 朝の情報番組の、エンタメコーナーの特集だった。

 画面の中では、あの五人の男たちが、数万人の熱狂の渦の中心で、スポットライトを全身に浴びて輝いていた。

「……え?」

 私の口から、間の抜けた声が漏れた。

 彼らの顔に、数日前の生放送で見せたような疲労や怯えの色は微塵もなかった。

 あの炎上騒動など、まるで最初から存在しなかったかのようだった。少しだけ疲れた顔をしていた緋月も、今は圧倒的な王者の風格を取り戻し、客席に向かって傲慢なほどに美しい笑顔を振りまいている。柚煌も、蒼波も、翠弦も、宵理も、誰一人欠けることなく、彼らの強固な城で歌い踊っていた。

 ナレーションが、明るく弾んだ声で彼らの偉業を讃え上げる。

『一時はネット上の心ない噂に悩まされた彼らですが、ファンとの絆はより一層深まり、見事ドームツアーを完走しました! さらに本日は、大型清涼飲料水の新しいCMキャラクターに就任したことも発表され——』

 嘘だ。

 私はテレビの画面にすがりつくように顔を近づけた。

 スポンサー企業は彼らを降板させるはずではなかったのか。彼らのパワハラやファン差別、そして家族の傲慢な振る舞いは、社会的に許されない悪として裁かれたはずではないか。

 だが、画面の中の現実は、私の構築した論理を無慈悲なまでに粉砕していた。

 私が人生のすべてを賭け、自分の身を焦がしてまで放ったあの業火は、彼らにとっては、一瞬服の裾を焦がしただけの小さな火の粉に過ぎなかったのだ。

 大企業という巨大な資本の壁は、ネットの匿名の炎上程度で揺らぐほど脆くはなかった。彼らは一時的に身を潜めて嵐が過ぎるのを待ち、むしろその痛みを試練という美しい物語にすり替え、より強固な絆をファンと結び直し、さらに高い場所へと昇っていったのだ。

 それに引き換え、私はどうだ。

 社会的な信用を失い、職を失い、全財産は数千円。

 テレビの中の鮮やかな極彩色と、私の部屋の絶望的な薄暗さ。

 その圧倒的なコントラストに、私はもう、怒りすら湧かなかった。

 ただ、自分の存在の底知れない軽さと無意味さが、ぽっかりと空いた胸の穴を吹き抜けていくだけだった。私は神でも、預言者でも、革命家でもなかった。安全圏から石を投げて喜んでいたつもりが、いつの間にか自分自身が社会の底辺へと転がり落ち、誰の目にも留まらないゴミ溜めで一人干からびようとしているだけの、惨めな三十代の女だった。

 私は震える手でテレビの電源コードを掴み、コンセントから乱暴に引き抜いた。

 プチッ、という短い破裂音とともに、NONELの放っていた極彩色の光と、数万人の熱狂的な歓声がブラックアウトする。

 途端に、六畳間は元の耳鳴りがするほどの重い静寂と、カビと生ゴミの悪臭に包まれた。

 敗北。完全なる敗北だった。

 彼らは無傷だ。いや、私が身を焦がして放った炎すらも彼らは強固な薪に変え、より巨大で眩い光となってしまったのだ。

 一方で、現実の私はどうだ。派遣の仕事は無惨に打ち切られ、大家からの家賃督促の着信音が毎日鳴り響いている。

 社会から完全に接続を絶たれた、ただの腐りかけの肉の塊。それが、今の私だった。

 胃の腑が、ギリギリと音を立てて収縮した。

 空腹だった。丸二日、水道水しか飲んでいない。

 私は万年床の上に崩れ落ち、蜘蛛の巣のようにひび割れたスマートフォンの画面を点灯させた。

 電池残量は十五パーセント。

 Ghost In the Roomのアカウントを開く気にはなれなかった。

 開けば、底辺へと転落した私を嘲笑し、石を投げる有象無象の通知が汚水のように溢れ出しているかもしれない。かつての私の誇り高き軍隊は、今や私を嬉々として処刑するための暴徒と化している可能性すらある。黒曜がそうであったように。

 そして、私の視界の端には映っていなかったが。

 この薄暗いアパートの一階にある、私の部屋番号が書かれた錆びた郵便受けの中には、数日前に配達された、見慣れない法律事務所からの分厚い封筒が、いつ爆発するとも知れない地雷のように、静かに眠り続けていたのだ。

 崩壊の足音は、もはや足音ではなく、私の喉元に鋭い刃を突きつけていた。


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