第6話 刑務官のいない刑務所
車が止まった。
ゆうさくは、長い間眠っていたらしい。
目を開ける。
窓の外には、何もなかった。
道路。
森。
そして――巨大な壁。
壁は、近くで見るとさらに異様だった。
見上げても頂上が見えない。
左右を見ても、果てがない。
まるで一つの国を丸ごと閉じ込めるために造られたようだった。
「……ここは……」
運転席から返事はなかった。
後部座席の扉が開く。
「降りろ」
ゆうさくは言われるまま外へ出た。
足元には古いコンクリート。
その先に、巨大な門があった。
門の両脇には男が二人立っている。
いや。
男というより――巨人だった。
二人とも身長は二メートル近い。
分厚い肩。
異様に太い腕。
腰には刀。
そして肩から銃を下げている。
二人はゆうさくを見ると、しばらく無言で見つめた。
「……」
ゆうさくは目を逸らした。
怖かった。
裁判所で向けられた視線とも違う。
警察官の視線とも違う。
人間を見る目ではない。
家畜を見る目。
そんな気がした。
「新入りか」
「……はい」
「何をやった」
ゆうさくは答えられなかった。
男は興味を失ったように鼻を鳴らした。
「中で聞け」
門が開いた。
ゴゴゴゴゴゴ――。
その音が、腹の奥まで響いた。
ゆうさくは一歩踏み出した。
その瞬間。
背後で門が閉じた。
ドンッ。
巨大な音だった。
ゆうさくは振り返る。
門は、完全に閉じている。
「……」
もう一度、壁を見る。
越えられる高さではない。
逃げられる場所でもない。
「行け」
背中から声がした。
ゆうさくは歩き始めた。
しばらく進むと、建物が見えてきた。
刑務所だった。
ただし――
何かがおかしい。
刑務所なのに、刑務官がいない。
看守もいない。
警察官もいない。
監視塔もない。
あるのは巨大な建物と、広大な敷地だけ。
そして、その中を歩いているのは――
囚人だった。
数十人。
全員、自由に歩いている。
談笑している者もいる。
筋トレをしている者もいる。
食事を作っている者もいる。
武器のようなものを扱っている者までいた。
「……刑務官は?」
思わず口から出た。
案内役の男が振り返る。
「いない」
「え?」
「ここには刑務官はいない」
ゆうさくは立ち止まった。
「じゃあ……誰が管理してるんですか?」
男は答えなかった。
その代わり――
建物の奥を指差した。
そこに老人がいた。
白髪。
痩せた身体。
だが、その場にいる誰よりも存在感があった。
老人の周囲には数人の男がいる。
老人はゆっくりと歩いてきた。
「新入りか」
「……はい」
「名前は?」
「ゆうさくです」
老人はしばらくゆうさくの顔を見た。
「何人殺した?」
ゆうさくの喉が鳴った。
「……四人です」
老人の目が細くなった。
「子どもは?」
ゆうさくは答えなかった。
それだけで十分だった。
老人は小さく息を吐いた。
「そうか」
周囲の空気が変わった。
さっきまでゆうさくを見ていた囚人たちが、一斉にこちらを向いた。
「子どもを?」
誰かが呟いた。
「女もか?」
「……」
ゆうさくは俯いた。
「……はい」
次の瞬間。
一人の男が笑った。
「最悪だな」
別の男が言った。
「ここでも底辺決定だ」
「何だよ。こんな気弱そうな奴が子ども殺したのか?」
「信じられねえ」
ゆうさくは何も言えなかった。
老人が言う。
「俺は黒田玄蔵だ」
その名前を聞いた瞬間、周囲の何人かが静かになった。
「ここでは俺が一番長い」
老人――黒田玄蔵は続けた。
「ただし、俺が法律じゃない」
「……」
「ここには法律も刑務官もいない」
黒田はゆうさくを見た。
「あるのは、囚人同士のルールだけだ」
「ルール……?」
「そうだ」
黒田が歩き出す。
「この場所には、いろんな犯罪者がいる」
その言葉に、ゆうさくは周囲を見た。
確かに異様だった。
一見すると普通の囚人もいる。
だが――
目が違う。
何人かは、明らかに普通ではない。
黒田が説明する。
「ヤクザ同士の抗争で、敵対組織を何十人も殺した男」
一人の大男がこちらを見る。
「革命を起こすために警官隊と戦って、何人も殺した男」
別の男が腕を組む。
「暴走族がうるさいって理由だけで、日本刀を持って連中を襲った男」
さらに別の男が笑う。
ゆうさくは息を呑んだ。
そんな人間が――
同じ刑務所にいる。
黒田は続ける。
「他にもいる」
「……」
「人を殺したことを後悔していない奴もいる」
「……」
「自分の信念のためなら何百人でも殺すと言う奴もいる」
黒田は足を止めた。
そして、ゆうさくを見た。
「だがな」
低い声だった。
「この中で、女や子どもを狙った奴は嫌われる」
ゆうさくの胸が締め付けられた。
「女や子どもに危害を加えた奴は、ここでは人間扱いされない」
「……」
「お前は――」
黒田がゆうさくを見下ろす。
「一番下だ」
その言葉が落ちた瞬間。
背後から肩を押された。
ドンッ。
ゆうさくは地面に倒れた。
「おい、新入り」
誰かが笑っている。
「お前、飯を運べ」
「……はい」
「返事は?」
「はい!」
「声が小せえ」
「はい!」
「聞こえねえよ!」
「はい!」
周囲から笑い声が上がる。
ゆうさくは立ち上がった。
それから数時間。
掃除。
荷物運び。
食器洗い。
雑用。
何を言われても逆らえなかった。
逆らえば殴られる。
そして――
殴られても誰も助けない。
むしろ笑われる。
「子ども殺し」
「人間のクズ」
「ここでも最下層か」
その言葉が何度も飛んできた。
ゆうさくは黙って耐えた。
夜。
ようやく与えられた部屋に戻る。
狭い。
古い。
鉄格子すらない。
鍵もない。
扉を開ければ外に出られる。
なのに――
誰も出ない。
ゆうさくは不思議に思った。
そして、その答えは翌朝わかった。
朝食を取りに外へ出た時だった。
刑務所の門の向こう。
巨大な集落が見えた。
家。
畑。
工房。
学校のような建物。
そして――
歩いている人々。
全員、仮面をつけていた。
ゆうさくが見ていると、一人の村人がこちらを向いた。
身長はゆうさくよりはるかに高い。
肩幅も広い。
腕も太い。
腰には刀。
肩には銃。
ゆうさくが目を合わせると――
村人は近づいてきた。
「……」
ゆうさくは後ずさった。
村人が手を伸ばす。
「お前」
「は、はい」
「これを運べ」
指差した先には、大きな箱があった。
「はい」
ゆうさくが持とうとする。
しかし重すぎて動かない。
村人は眉をひそめた。
「使えない」
「すみません……」
村人はゆうさくを睨んだ。
そして、突然箱を蹴った。
「ぐず」
「……」
村人はそれ以上何も言わず、歩いていった。
ゆうさくはその背中を見つめた。
「……何なんだよ、ここ」
隣にいた高橋和也が答えた。
「村人だよ」
「村人……?」
「ああ」
高橋は小声で続けた。
「俺たちは、あいつらに逆らえない」
「どうして?」
高橋は笑わなかった。
「逆らった奴を見れば分かる」
その瞬間だった。
遠くから――
ドンッ。
銃声が響いた。
ゆうさくは飛び上がった。
村人たちは何事もなかったように歩いている。
誰も騒がない。
誰も驚かない。
高橋だけが小さく呟いた。
「ここでは、あれが普通なんだ」
ゆうさくは震えながら集落を見た。
そして、さらに遠くを見る。
壁の向こう側。
森がある。
深い森。
木々が生い茂り、霧がかかっている。
高橋が言った。
「あの森には入るなよ」
「……何で?」
「熊がいる」
「熊?」
「ああ」
高橋の顔から笑みが消えた。
「昔、刑務所の中まで入ってきたことがある」
「……」
「五人殺された」
ゆうさくは息を呑んだ。
「五人……?」
「ああ」
「警察は?」
高橋はゆっくり首を振った。
「いない」
「じゃあ……誰が助けるんだ?」
高橋はゆうさくを見る。
「誰も助けない」
その言葉が、妙に重かった。
ゆうさくは壁を見る。
ここには警察もいない。
刑務官もいない。
法律もない。
逃げ道もない。
村人は、自分たちを人間として見ていない。
そして刑務所の中では――
自分は最底辺。
ゆうさくは初めて理解した。
この場所では、
「罪を償う」
という言葉すら意味を持たない。
罪を背負った人間が、
罪を背負った人間同士で、
さらに序列を作っている。
そして自分は――
その一番下だった。
その日の夜。
ゆうさくは布団の中で小さく呟いた。
「……外に帰りたい」
返事はなかった。
窓の外から、
遠くで何かの獣が鳴いた。
――ウォォォォン。
ゆうさくは目を閉じた。
まだ知らなかった。
この場所には、
刑務所の人間でさえ知らない、
もっと恐ろしいルールがあることを。
そして――
そのルールが、
一年に一度だけ姿を現すことを。
巨大集落最大の祭り。
その祭りでは毎年、
大量の「人間」が必要になる。




