第5話 すべてを失った日
裁判所の扉が開いた。
ゆうさくは、二人の警察官に挟まれながら法廷へ入った。
顔を上げることができなかった。
傍聴席には、被害者の遺族。
そして、会社の人間。
見慣れた顔が並んでいる。
その中には――
自分の家族もいた。
母親。
父親。
妹。
弟。
全員、俯いている。
ゆうさくは一瞬だけ妹と目が合った。
妹はすぐに顔を伏せた。
泣いていた。
「……ごめん」
声には出さなかった。
口だけが動いた。
自分でも、何に対する「ごめん」なのか分からなかった。
被害者家族への謝罪なのか。
自分の家族への謝罪なのか。
それとも――
自分自身への謝罪なのか。
***
裁判が始まった。
検察官が事件の経緯を読み上げる。
強盗。
放火。
殺人。
被害者は一家。
三人の子供を含む。
一つ一つの言葉が、ゆうさくの胸に突き刺さった。
「被告人は金銭を得る目的で――」
違う。
いや。
違わない。
「被害者宅に火炎瓶を投げ込み――」
違わない。
「刃物を用いて脅迫し――」
違わない。
「その結果――」
ゆうさくは目を閉じた。
聞きたくなかった。
それでも、耳を塞ぐことはできない。
「被害者三名を死亡させた」
法廷が静まり返った。
その瞬間。
傍聴席から声が飛んだ。
「ふざけるな!」
ゆうさくが顔を上げる。
被害者の親族だった。
「お前は何なんだ!」
別の声。
「どうしてあの子たちを殺した!」
「金が欲しかっただと!」
「人の家に火をつけて!」
「自分だけ生きてるんじゃねえ!」
怒鳴り声。
泣き声。
嗚咽。
法廷が騒然となる。
ゆうさくは何も言えなかった。
警備員が遺族を制止する。
それでも、
「返せ!」
「俺たちの家族を返せ!」
という声が聞こえ続けた。
ゆうさくは俯いた。
涙が落ちた。
***
弁護士が立ち上がった。
「被告人には――」
ゆうさくは期待してしまった。
少しでも、自分を理解してくれるのではないか。
しかし、
「犯行に至った経緯には、被告人自身の金銭問題や生活上の問題があり――」
そこで遺族から怒号が飛んだ。
「言い訳するな!」
「全部こいつがやったんだろ!」
弁護士は言葉を続ける。
だが、その表情は硬かった。
ゆうさくには分かった。
この人も、自分を救おうとしているわけではない。
法律の仕事として、ただ手続きをしている。
それだけだった。
そして検察官が告げた。
「なお、被告人が関与したと主張している地元の友人らについてですが――」
ゆうさくは顔を上げた。
「捜査の結果、犯行への関与を裏付ける証拠は確認されておりません」
「……え?」
「犯行当時、彼らは別の場所にいたことが確認されています」
「違う!」
ゆうさくが初めて声を出した。
「違います!」
法廷中の視線が集まった。
「俺一人じゃなかった!」
「強盗をやろうって言ったのは……!」
声が震える。
「俺じゃない!」
しかし、誰も答えない。
検察官は淡々と資料を見る。
「被告人自身が犯行現場へ赴き、火炎瓶を投げ、刃物を所持して被害者を脅迫した事実に変わりはありません」
ゆうさくは黙った。
それは事実だった。
誰かに言われた。
仲間に追い込まれた。
騙された。
それでも――
最後に火炎瓶を投げたのは自分だった。
刃物を持ったのも自分だった。
逃げたのも自分だった。
そして、人を殺した。
「……はい」
ゆうさくは小さく答えた。
***
判決の日。
裁判長が判決文を読み上げる。
ゆうさくは目を閉じた。
そして――
刑が言い渡された。
法廷が静まり返る。
遺族のすすり泣きが聞こえる。
ゆうさくは深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
それしか言えなかった。
家族を見る。
母親が泣いている。
父親も顔を覆っている。
妹は泣きながら頭を下げた。
弟も俯いている。
母親が口を動かした。
「ごめんね……」
ゆうさくは耳を疑った。
なぜ母親が謝るのか。
「お母さん……」
声が震えた。
「私たちが……ちゃんと……」
そこまで言って、母親は泣き崩れた。
ゆうさくは首を横に振った。
「違う……」
違う。
悪いのは自分だ。
自分が博打をやめなかった。
自分が借金を重ねた。
自分が嘘をついた。
自分が仲間についていった。
自分が火炎瓶を投げた。
なのに――
家族まで謝っている。
***
裁判が終わってから、家族の人生も崩れ始めた。
妹の結婚話は破談になった。
相手の家族が、
「殺人犯の兄がいる家とは付き合えない」
と告げた。
弟の就職も取り消された。
理由を明確に説明されなくても、家族には分かっていた。
会社もゆうさくを解雇した。
当然だった。
だが、それだけでは終わらなかった。
賠償。
借金。
そして、ゆうさくが残した金銭問題。
一千万円を超える借金が、家族にも重くのしかかった。
父親は頭を抱えた。
母親は眠れなくなった。
妹は結婚を失った。
弟は就職先を失った。
家族全員の人生が変わった。
ゆうさくは留置施設の中で、それを少しずつ知らされていった。
「……俺のせいだ」
誰もいない部屋で呟く。
「全部……俺のせいだ」
***
そして、外ではさらに地獄が始まっていた。
事件はニュースになった。
名前。
顔。
勤務先。
過去。
家族の情報まで、インターネット上に広がっていった。
家族の住んでいる場所まで特定される。
電話が鳴る。
知らない番号。
無言電話。
怒鳴り声。
嫌がらせ。
家の前に人が来る。
郵便受けに紙が入れられる。
父親が仕事から帰ると、玄関に見知らぬ人間が立っている。
「殺人犯の家族が!」
母親はカーテンを閉め切るようになった。
やがて、家族は住み慣れた家を出ることになった。
住む場所さえ失った。
ゆうさくは知らなかった。
自分が刑務所へ送られることで、
家族もまた、社会から追放されていくことを。
***
数週間後。
ゆうさくは輸送車両の後部座席に座っていた。
窓には鉄格子。
外の景色が流れていく。
住宅街。
コンビニ。
学校。
公園。
見慣れた日本の風景。
ゆうさくは窓に額をつけた。
「……帰りたい」
小さく呟く。
もう帰れない。
家族にも。
会社にも。
友人にも。
普通の生活にも。
何もかも。
車は次第に人の少ない場所へ向かっていく。
街が消える。
建物が減る。
山が増える。
運転席の刑務官は何も話さない。
ゆうさくは尋ねた。
「どこまで行くんですか?」
返事はない。
「……刑務所って、どこなんですか?」
しばらくして、刑務官が一言だけ答えた。
「もうすぐです」
車は山道を進んでいく。
そして――
木々の隙間から、それが見えた。
ゆうさくは息を呑んだ。
山の向こう。
空を覆うほど巨大な壁。
何キロ続いているのか分からない。
まるで――
一つの国を丸ごと閉じ込めるような壁だった。
輸送車が、その壁へ向かって進んでいく。
ゆうさくはまだ知らない。
その壁の向こうで、
自分の人生よりも遥かに恐ろしいものが待っていることを。




