第29話「指名」
「……ゆうさく」
自分の声だった。
誰もいない廊下から聞こえた。
ゆうさくは動けなかった。
手元には、三人の名前。
佐伯誠。
田辺剛。
岡本進。
そのうち一人を選べ。
それだけ。
たった一人。
だが、その一人を選べば――
その人間が消える。
「……こんなの」
ゆうさくは紙を見つめた。
「選べるわけないだろ」
返事はなかった。
しかし、紙の文字がゆっくり変化した。
三人の名前の下に、新しい文章が浮かぶ。
指名しない場合、第七番本人を第九番とする。
ゆうさくは息を呑んだ。
「……俺?」
美月が青ざめる。
「そういうことです」
「俺が選ばれる?」
「はい」
「第七番なのに?」
「第七番は、帰還するまで第七番です」
美月は静かに言った。
「でも、指名を拒否した瞬間、第九番として扱われる」
「じゃあ……」
ゆうさくは笑った。
「拒否すれば俺が死ぬ」
「はい」
「選べば、誰かが死ぬ」
「はい」
「ふざけてる……」
美月は目を伏せた。
「この村は、そうやって人を壊すんです」
ゆうさくは三人の名前を見た。
佐伯。
田辺。
岡本。
誰を選んでも同じだった。
田辺には何度も飯を分けてもらった。
岡本とは武器の管理について話した。
佐伯には何度も傷を手当てしてもらった。
その中から一人。
自分が決める。
「……俺には、そんな資格ない」
美月が答えた。
「だから、あなたを選んだんです」
「え?」
「資格がない人間に、選ばせる」
美月は震える声で続けた。
「そうすれば、その人は一生、自分の選択を忘れない」
ゆうさくの胸が締めつけられた。
「俺が……」
「はい」
「選んだ人が死ぬ」
「そうです」
「俺は、そいつの顔を忘れられない」
「そうです」
「……俺が生きている限り」
美月は答えなかった。
それが答えだった。
その夜。
食堂には誰もいなかった。
普段なら、囚人たちが集まる時間。
だが今日は違った。
佐伯。
田辺。
岡本。
三人だけが座っている。
ゆうさくは扉の前に立った。
誰も喋らない。
田辺が先に口を開いた。
「来たか」
「……はい」
「紙、見たんだろ」
「……はい」
田辺は笑った。
「なら、座れ」
ゆうさくは座った。
長い沈黙。
やがて岡本が言った。
「俺を選べ」
ゆうさくが顔を上げた。
「……何?」
「俺だ」
岡本は淡々と言った。
「俺はここに長くいる。もう外に未練はない」
「嘘だ」
ゆうさくが言った。
岡本は笑った。
「わかるか?」
「……はい」
「じゃあ佐伯を選べ」
「え?」
「医者だからな」
岡本は佐伯を見る。
「こいつなら、外に戻って誰かを助けられる」
佐伯が首を振った。
「勝手に決めるな」
「じゃあ田辺だ」
岡本が言う。
「食料管理をしてる。村の仕組みに詳しい」
田辺が笑った。
「俺を選んだら、食い物の管理を誰がする?」
「知るか」
「だろうな」
三人は、まるで普通の会話をしていた。
それが――
ゆうさくには耐えられなかった。
「やめてください」
三人が見る。
「俺に……選ばせないでください」
佐伯が静かに言った。
「だが、選ばなければお前が死ぬ」
「それでいい」
「美月は?」
ゆうさくの顔が止まった。
佐伯は続けた。
「お前が死ねば、第八番はどうなる?」
「……」
「美月はそのまま残る」
「……」
「次の周期で選ばれる」
ゆうさくは拳を握った。
自分が死んでも。
美月は助からない。
つまり――
自分が生きなければ、美月を救えない。
だが、生きるためには――
誰かを選ぶ。
「……俺は」
ゆうさくは震える声で言った。
「また、人を殺すのか」
誰も答えなかった。
佐伯が立ち上がった。
「違う」
「何が違うんですか」
「お前が殺すわけじゃない」
「でも、選ぶ!」
「そうだ」
佐伯はゆうさくを見た。
「だから苦しめ」
ゆうさくは目を見開いた。
「逃げるな」
「……」
「お前は、一度人を殺した」
その言葉に、ゆうさくの表情が変わる。
「そこから逃げるな」
佐伯は続けた。
「この村のせいにするな」
「……」
「友達のせいだけにもするな」
「……」
「借金のせいにもするな」
ゆうさくの目から涙が落ちた。
「お前はやった」
「……はい」
「だから、罪悪感を消すな」
佐伯の声は厳しかった。
「だが、その罪悪感を理由にして、自分まで捨てるな」
ゆうさくは俯いた。
涙が床に落ちる。
「……俺は、普通に生きたかった」
「わかる」
「でも、そのために……」
言葉が詰まる。
「人を殺した」
誰も否定しない。
「そして今度は……」
ゆうさくは三人を見る。
「美月のために、誰かを選ぼうとしてる」
佐伯は答えた。
「それを決めるのは、お前だ」
その言葉が重かった。
その夜。
ゆうさくは一人で中庭に出た。
空には星が見えた。
壁がなければ。
もっと広い空なのだろう。
幼い頃。
父親と一緒に見た夜空を思い出した。
夏の夜。
蚊取り線香の匂い。
冷たい麦茶。
父親の笑い声。
母親が呼ぶ声。
妹が泣いていた。
弟が走っていた。
そんな普通の夜。
それが――
何より遠い。
「……帰りたい」
呟いた。
「帰りたいよ……」
そのとき。
背後から美月が来た。
「ゆうさくさん」
「……美月」
「まだ決めてないんですか?」
「決められない」
「そうですよね」
美月は隣に座った。
二人で夜空を見る。
しばらく沈黙が続いた。
やがて美月が言った。
「私を助けたいですか?」
「……はい」
「だったら」
美月はゆうさくを見る。
「私を選んでください」
ゆうさくの顔が固まった。
「……何?」
「第八番ではなく」
「……」
「第九番として、私を選んで」
「馬鹿なこと言うな!」
「あなたは外へ行ける」
「お前は死ぬだろ!」
「そうです」
「そんなの嫌だ!」
「じゃあ――」
美月は静かに言った。
「誰かを選ぶしかありません」
ゆうさくは何も言えなかった。
美月は立ち上がった。
「私は、あなたに生きてほしい」
「……」
「あなたが外へ行って」
「……」
「普通の生活をして」
「……」
「朝起きて、ご飯を食べて」
美月は少し笑った。
「仕事へ行って」
「……」
「誰かと笑って」
「……」
「いつか、家族を作って」
ゆうさくは俯いた。
「そんなこと……」
「できます」
「俺には資格がない」
「それでも、生きてください」
美月は歩き出した。
数歩進んでから、振り返る。
「ただし――」
その顔には、初めて強い決意があった。
「私を助けるために、誰かを殺したことにはしないでください」
ゆうさくは顔を上げた。
「どういう意味?」
美月は答えなかった。
そのまま去っていった。
翌朝。
食堂に全員が集まった。
御堂もいる。
黒田もいる。
佐伯。
田辺。
岡本。
そして――
美月。
御堂が言った。
「第七番」
ゆうさくは立ち上がった。
「決めたか?」
ゆうさくは三人を見る。
そして――
紙を机に置いた。
「はい」
御堂が笑う。
「誰だ?」
ゆうさくは答えた。
「俺です」
食堂が静まり返った。
「第九番になるのは――」
ゆうさくは自分の胸を指した。
「俺にしてください」
御堂の笑顔が消えた。
「……何?」
「誰も選ばない」
ゆうさくは言った。
「俺が第九番になる」
美月が立ち上がる。
「ゆうさくさん!」
「これでいい」
ゆうさくは笑った。
「俺は一度、人を殺した」
「……」
「だから、これ以上誰かを選んで殺すような真似はしない」
御堂が静かに言った。
「なら、お前は死ぬ」
「はい」
「外へは出られない」
「わかってる」
「美月も助からない」
その言葉に――
ゆうさくの笑顔が消えた。
御堂は続けた。
「お前が死ねば、第八番は予定通り白石美月になる」
「……」
「そして第九番が消える」
「……」
「つまり、お前が自分を選んでも、何も変わらない」
ゆうさくは拳を握った。
その瞬間。
黒田が初めて口を開いた。
「違う」
全員が見る。
黒田は、御堂を睨んでいた。
「第九番には、もう一つルールがある」
御堂の表情が変わった。
黒田は続けた。
「第九番は――」
一呼吸。
「第七番が拒否した場合、村人から一人を選ばなければならない。」
ゆうさくが顔を上げた。
御堂の仮面の奥の目が――
初めて揺れた。
黒田は笑った。
「だから、御堂」
「……」
「お前は困ってるんだろ?」
食堂の空気が変わった。
村人を一人。
囚人ではない。
村人自身を――
犠牲にする。
御堂がゆっくり立ち上がった。
「黒田」
「なんだ」
「余計なことを言うな」
「もう遅い」
黒田はゆうさくを見る。
「第九番の本当の意味を知らなかっただろ」
「……」
「この村が恐れているのは――」
黒田の視線が、神社の方へ向いた。
「囚人が足りなくなることじゃない」
そして――
低く言った。
「村人が選ばれることだ。」
その瞬間。
村のどこかで――
鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
そして――
九回。
ゆうさくは思った。
この村で初めて。
自分が選ぶ側に立ったのではない。
村そのものを、選ばせる側に追い込んだのだ。
だが、その代償が何なのか。
まだ――
誰にもわからなかった。




