第28話「第九番のルール」
「今度は……二人必要なんです」
美月の声が、倉庫の中に落ちた。
ゆうさくは木札を見つめていた。
第七番は、一人で帰還してはならない。
その下には、さらに文字が浮かび上がっている。
美月が震える指で読み上げた。
「第七番が帰還する場合――」
一行。
「第八番を伴うこと」
その下。
「第八番が帰還する場合――」
さらに一行。
「第九番を差し出すこと」
ゆうさくの喉が鳴った。
「……つまり」
「あなたと私が外へ出る」
美月が言った。
「その代わりに、第九番が必要」
「佐伯さん……」
ゆうさくの声が消えた。
美月は頷いた。
「今の第九番候補は、佐伯さんです」
「じゃあ……」
ゆうさくは木札を握りしめた。
「俺と美月が外に出るために、佐伯さんが死ぬ」
「そうです」
あまりにも簡単な答えだった。
ゆうさくはその場にしゃがみ込んだ。
「……俺」
声が出ない。
頭の中に、別の光景が浮かんだ。
炎。
煙。
逃げ惑う人。
泣き声。
ナイフ。
そして――
「助けて」
あの子どもの声。
ゆうさくは耳を塞いだ。
「また……俺が選ぶのか」
美月が近づく。
「あなたが選ぶわけじゃありません」
「同じだ!」
ゆうさくが叫んだ。
「俺が外に出たいって言ったら、佐伯さんが死ぬんだろ!」
倉庫の壁に声が反響した。
「俺が生きたいって思うたびに……誰かが死ぬ!」
美月は黙っていた。
ゆうさくは立ち上がった。
「高橋さんも」
「……」
「宮本さんも」
「……」
「三浦さんも」
「……」
「田中さんも」
名前を口にするたび、胸が締めつけられる。
自分が運んだ。
自分が見送った。
自分が生き残った。
そして――
それを「仕方なかった」と思おうとしていた。
ゆうさくは震える手で顔を覆った。
「俺……」
声が小さくなる。
「俺は、あの人たちが死んだあと……飯を食った」
美月が顔を上げる。
「腹が減ってたから」
「……」
「普通に食ったんだ」
ゆうさくは笑った。
自嘲するような、乾いた笑いだった。
「高橋さんが消えた次の日も、俺は飯を食った」
「……」
「宮本さんがいなくなった夜も寝た」
「……」
「三浦さんが消えたあとも、俺は……」
言葉が詰まった。
「俺は生きてた」
美月は何も言えない。
ゆうさくは続けた。
「俺が生きるために、誰かが死ぬことに……慣れてきてる」
その言葉を口にした瞬間。
自分自身に吐き気がした。
そして――
あの夜の記憶が重なった。
金が欲しかった。
借金を返したかった。
普通の生活に戻りたかった。
だから火をつけた。
だからナイフを持った。
だから――
殺した。
「……俺は、もう一度同じことをするのか」
美月が首を振った。
「違います」
「何が違う?」
「あなたは、今は殺したくないと思っている」
「でも外に出たい」
「はい」
「なら同じだろ」
美月は答えなかった。
その沈黙が、何より苦しかった。
そのとき。
倉庫の扉が開いた。
佐伯だった。
「……聞こえたよ」
ゆうさくが振り返る。
「佐伯さん……」
佐伯は静かに笑った。
「俺が第九番なんだろ?」
誰も答えない。
それが答えだった。
佐伯は木札を見た。
「なるほど」
「佐伯さん」
「いい」
「よくない!」
ゆうさくが叫ぶ。
「俺は……」
「お前のせいじゃない」
「違う!」
ゆうさくは首を振った。
「俺が外に出たら、あなたが死ぬ」
「そういう場所なんだろ」
「だからって!」
佐伯はゆうさくの肩に手を置いた。
「お前は、ここへ来る前から十分苦しんでる」
「……」
「だがな」
佐伯の目が鋭くなる。
「罪悪感と責任は、同じじゃない」
ゆうさくは顔を上げた。
「どういう意味ですか」
「お前が背負うべき罪は、お前が実際にやったことだ」
佐伯は静かに言った。
「俺たちがここで死ぬことまで、お前一人の罪にするな」
その言葉が、逆に苦しかった。
「……でも」
「ただし」
佐伯が続けた。
「お前がここで誰かを殺して外へ出ようとするなら――」
目が変わった。
「それは、お前自身の選択だ」
ゆうさくは息を呑んだ。
佐伯は去っていった。
倉庫に残された二人。
美月が言った。
「佐伯さんは……あなたに選ばせようとしている」
「何を?」
「自分を犠牲にして外へ行くのか」
「それとも――」
美月は言葉を止めた。
ゆうさくが続きを言った。
「ここに残るか」
「はい」
ゆうさくは木札を見た。
第七番。
第八番。
第九番。
たった三つの番号。
それだけなのに――
三人の人生が乗っている。
「……第九番には、もう一つルールがある」
美月が言った。
「何?」
「第九番は、必ず囚人でなければならない」
「だから佐伯さん?」
「そう」
「村人は?」
「駄目です」
「じゃあ、俺が第九番を変えることは?」
「できません」
「なぜ?」
美月は答えた。
「第九番だけは――」
一度、息を吸う。
「第七番が指名することになっているからです」
ゆうさくの顔が固まった。
「……俺が?」
「第七番には、その権利があります」
「権利……」
ゆうさくは吐き捨てるように笑った。
「そんなもの、権利じゃない」
「……」
「殺す人間を選べるだけじゃないか」
美月は何も言わなかった。
ゆうさくは壁に背を預けた。
頭の中に、裁判の光景が蘇る。
裁判官。
検察官。
弁護士。
そして――
被害者遺族。
自分を睨む目。
怒り。
憎しみ。
涙。
あのとき自分は思った。
刑務所に入ればいい。
罪を償えばいい。
少なくとも――
それで終わると思っていた。
だが違った。
ここでは、罪を償う場所すら与えられない。
「……俺は」
ゆうさくが呟く。
「法律で裁かれたかった」
美月が見る。
「死刑でもよかった」
「……」
「俺がやったことなら、俺が罰を受ければよかった」
ゆうさくの目に涙が浮かんだ。
「でもここじゃ……」
声が震える。
「俺が死ぬ代わりに、他の誰かを選ばされる」
その瞬間。
倉庫の外から鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
九回。
今度は――
はっきりと九回鳴った。
村全体が静まり返る。
そして、倉庫の扉の下から一枚の紙が差し込まれた。
誰も触れない。
ゆうさくが拾う。
そこには、たった一文。
第七番・ゆうさくに、第九番の指名権を与える。
その下。
赤い文字。
期限――明朝。
さらにその下には――
候補者の名前が三つ並んでいた。
佐伯誠
田辺剛
岡本進
ゆうさくの指が震えた。
三人とも――
知っている。
一緒に飯を食った。
話をした。
笑ったこともある。
そして今。
その中から一人を選べば――
残り二人は生き残る。
選ばなければ――
美月は八番として残り続ける。
自分も第七番として残る。
そして、いつか自分が消える。
ゆうさくは紙を握った。
その瞬間。
背後から、あの声がした。
「ゆうさく」
振り返る。
誰もいない。
だが声は続いた。
「誰を殺す?」
ゆうさくは目を閉じた。
そして初めて――
あの夜の自分と、
今の自分が、
同じ場所に立っていることに気づいた。
金のために一人を殺した男。
そして――
外へ出るために一人を選ぼうとしている男。
違うのは、
理由だけだった。
ゆうさくの手から紙が落ちた。
「……俺は」
震える声。
「また、選ぶのか……」
その瞬間。
廊下の奥で、
三人の男が同時に名前を呼ばれた。
「佐伯誠」
「田辺剛」
「岡本進」
そして最後に――
誰もいないはずの場所から、
ゆうさく自身の声が聞こえた。
「……ゆうさく」
彼は顔を上げた。
第九番の選定が始まった。




