第27話「第九番」
黒田の視線の先。
そこには――
刑務所があった。
古い洋館。
高い塀。
そして、いつもなら見えるはずのない二階の窓に――
人影が立っていた。
「……誰だ?」
ゆうさくが呟く。
黒田は答えない。
美月も、その方向を見ていた。
「新しい人……?」
「違う」
黒田が言った。
「もういる」
「どういう意味?」
「第九番は、これから来るんじゃない」
黒田はゆっくり歩き出した。
「最初から、あそこにいる」
三人は刑務所へ戻った。
夜の村は静かだった。
誰も歩いていない。
村人たちは家の中へ消えている。
いつもの仮面も見えない。
それなのに――
何かに見られている。
ゆうさくは何度も振り返った。
誰もいない。
だが、視線だけは消えない。
刑務所の門をくぐる。
玄関には、いつも通り囚人たちがいた。
田辺。
石井。
岡本。
長谷川。
そして――
高橋の姿はない。
当然だった。
彼は第四番として消えた。
ゆうさくは胸の奥が痛んだ。
自分が運んだ。
自分の手で。
「ゆうさく」
声がした。
佐伯だった。
「どこへ行ってた?」
「……村だ」
「また御堂家か」
ゆうさくは答えなかった。
そのとき。
廊下の奥から声がした。
「おい」
全員が振り返る。
小田切だった。
彼は階段の前に立っていた。
「見ろ」
床に紙が落ちている。
誰かが置いたらしい。
小田切が拾う。
「また名簿だ」
ゆうさくが近づく。
紙には、番号が並んでいる。
第一番。
第二番。
第三番。
第四番。
第五番。
第六番。
第七番。
第八番。
そして――
第九番。
だが。
名前だけが空欄だった。
「未定……か」
田辺が呟く。
小田切は首を振った。
「違う」
「何が?」
「この紙、さっき書かれたものじゃない」
小田切が紙を裏返す。
古い。
紙そのものが黄ばんでいる。
「何十年も前から、この形式だった」
ゆうさくは背筋が寒くなった。
「じゃあ、第九番は……」
「毎回、空欄なんだ」
小田切が答える。
「最後まで書かれない」
「どういうこと?」
「誰かが最後に決めるんだろう」
その瞬間。
二階から――
物音。
全員が顔を上げた。
ドン。
何かが落ちた。
続いて。
ガリッ。
床を引っ掻くような音。
「誰かいるのか?」
岡本が叫ぶ。
返事はない。
小田切が階段を上がる。
ゆうさくも後ろに続いた。
二階の廊下。
突き当たりの部屋。
普段は誰も使っていない。
扉が少しだけ開いていた。
小田切が押す。
ギィィ……。
中には何もない。
机。
椅子。
古い棚。
壁に時計。
そして――
床に一枚の紙。
小田切が拾う。
「……これは」
全員が覗き込む。
そこには、
第九番候補
と書かれていた。
その下に――
名前。
ゆうさくは目を疑った。
「……嘘だろ」
書かれていたのは――
佐伯誠
元医師。
五十六歳。
囚人たちの治療をしている男だった。
「俺?」
佐伯が呟く。
誰も答えない。
佐伯は紙を見つめた。
「……いつからだ」
小田切が答える。
「わからない」
「俺は何もしてない」
「ここでは関係ない」
小田切は冷静だった。
「罪の種類も、年齢も、性格も関係ない」
「じゃあ何で?」
小田切は紙の端を指差した。
そこに、小さな数字があった。
滞在年数 七年
ゆうさくの胸がざわついた。
「……七年」
黒田が現れた。
「それだけじゃない」
黒田は紙を見るなり、顔をしかめた。
「第九番は、囚人から選ばれるとは限らない」
「じゃあ誰が?」
黒田は黙った。
ゆうさくが聞く。
「村人?」
「場合による」
「場合によるって?」
黒田は廊下の窓を見た。
「不足したら、何でもいい」
「不足?」
「人数だ」
黒田は言った。
「七人で終わる年もある」
「終わらない年もある」
「そして――」
黒田がゆうさくを見る。
「足りない年は、八人目、九人目が必要になる」
ゆうさくの頭に、嫌な考えが浮かんだ。
「じゃあ……俺が外に出たら?」
黒田は答えない。
「美月が八番になる」
「そうだ」
「その次は?」
「九番」
「佐伯さん?」
「今はな」
ゆうさくは拳を握った。
「じゃあ俺が残れば?」
「お前が七番のままだ」
「……」
「美月は八番のまま」
「……」
「佐伯は九番候補」
つまり。
誰か一人を救えば。
別の誰かが選ばれる。
この村では――
救済そのものが、犠牲を必要としている。
そのとき。
玄関から声がした。
「ゆうさく」
全員が振り返る。
御堂だった。
一人で立っている。
「来い」
「嫌だ」
「仕事だ」
「もう、俺は御堂家の犬じゃない」
御堂は少しだけ笑った。
「では、今日から何になる?」
ゆうさくは答えられなかった。
御堂は紙を一枚差し出した。
「これを持って、北の倉庫へ行け」
「何だ?」
「確認するだけだ」
「断ったら?」
御堂は佐伯を見る。
ゆうさくの顔色が変わった。
「……佐伯さんに何かする気か」
「何もしない」
御堂は淡々と言った。
「ただ、選ばれた者は運ばなければならない」
ゆうさくは紙を奪った。
「……俺が行く」
「そうか」
御堂は満足そうに笑った。
「やはり、お前は扱いやすい」
その言葉に――
ゆうさくは何も言えなかった。
北の倉庫。
そこには大量の箱が積まれていた。
食料。
衣服。
薬。
燃料。
そして――
見たことのない黒い箱。
御堂から渡された鍵を使う。
カチャ。
開いた。
中には大量の写真。
囚人たち。
村人たち。
そして――
ゆうさく自身。
「……」
写真には日付があった。
事件の前。
事件の後。
逮捕された日。
裁判の日。
家族が泣いている写真。
そして――
この村へ送られる前。
ゆうさくは写真を落とした。
「俺を……ずっと撮ってたのか」
背後から声。
「違う」
振り返る。
美月だった。
「撮っていたんじゃない」
「じゃあ?」
「記録していた」
「同じだろ」
「違う」
美月は一枚の写真を拾った。
それは――
ゆうさくがまだ子どもの頃の写真だった。
「……これ」
写真の裏を見る。
そこには日付。
そして、名前。
第七番候補
ゆうさくの手が震える。
「なんで……」
写真の隅。
小さな文字があった。
候補者本人には、選定を知らせないこと。
ゆうさくは写真を握り潰した。
「俺は……子どもの頃から?」
美月は何も言わない。
そのとき。
倉庫の外から足音がした。
一人ではない。
大勢いる。
美月が振り返る。
「逃げて」
「また?」
「今度は違う」
扉の向こうから声がする。
「第七番」
ゆうさくの体が固まった。
「第七番」
別の声。
「第七番」
三人目。
四人目。
声が増えていく。
美月がゆうさくの腕を掴んだ。
「聞かないで」
だが。
最後の声だけは違った。
低く。
静かで。
すぐ近くから聞こえた。
「第七番」
ゆうさくは振り返った。
そこには――
誰もいない。
ただ床に、一本の木札が落ちていた。
ゆうさくが拾う。
表には、
第七番
裏には――
一行だけ。
帰還条件を変更する。
そして、その下。
新しい文字が浮かび上がるように――
ゆっくりと墨が滲んだ。
第七番は、一人で帰還してはならない。
ゆうさくは息を止めた。
美月が震える声で言う。
「……条件が、変わった」
「何に?」
美月は木札の裏を見つめた。
そして――
小さく呟いた。
「今度は……二人必要なんです」




