第21話 「外のニュース」
朝。
ゆうさくは、ほとんど眠れなかった。
頭の中に、何度も同じ言葉が浮かんでいた。
――八人目。
昨日、刑務所に入ってきた男。
その男のために、すでに木札が用意されていた。
まるで、
最初から人数が決まっているように。
「……七人じゃなかったのかよ」
独り言が漏れる。
返事はない。
朝食の時間になっても、ゆうさくは食べる気になれなかった。
目の前に置かれた薄い飯。
以前なら、少しでも腹に入れようとした。
今は違う。
食べるたびに思い出す。
宮本。
三浦。
二人を運んだ。
その代わりに、自分は食べている。
「食え」
向かいに座った黒田が言った。
「……いらない」
「食わなきゃ死ぬぞ」
「死んでもいい」
黒田の手が止まった。
「それ、本気で言ってるのか?」
ゆうさくは答えなかった。
そのとき。
刑務所の入口が開いた。
村人が一人、新聞の束を持って入ってきた。
紙の匂いがした。
懐かしかった。
外の世界の匂い。
新聞。
テレビ。
コンビニ。
電車。
道路。
そんな当たり前のものが、
ここでは全部、遠い。
村人は新聞を食料庫の隅へ置いた。
そして何も言わずに出ていった。
ゆうさくは立ち上がった。
新聞を一部取る。
表紙を見た瞬間、
胸が詰まった。
日本国内のニュース。
日付は数日前。
自分がこの壁の中へ入ってからも、
外の世界は動き続けている。
「……まだあるんだ」
ゆうさくはページをめくった。
政治。
株価。
スポーツ。
芸能。
事故。
新しい商業施設のオープン。
誰かの結婚。
誰かの出産。
誰かの昇進。
誰かの旅行。
全部、
自分には関係のない世界だった。
そして、
社会面。
ゆうさくの手が止まった。
そこには、小さな記事が載っていた。
「一家殺傷事件、被害者遺族がコメント」
息が止まる。
自分の事件だった。
記事は小さかった。
世間にとっては、
もう大きなニュースではない。
別の事件。
別の事故。
別の話題。
時間が経てば、
事件は次の事件に押し流される。
けれど。
ゆうさくにとっては、
まだ何も終わっていない。
記事の中には、
被害者遺族の言葉が載っていた。
――今でも、あの日のことを思い出します。
――子供たちが帰ってくることを願ってしまう。
ゆうさくの指が震えた。
新聞を閉じようとした。
しかし。
その下に、
別の記事があった。
「事件加害者の家族、転居」
ゆうさくは息を呑んだ。
母。
父。
妹。
弟。
名前は伏せられている。
だが、
書かれている内容で分かった。
家族が住んでいた場所から、
離れたこと。
周囲との関係が壊れたこと。
仕事を失ったこと。
そして、
家族が抱えていた負債。
ゆうさくは新聞を握りしめた。
「……やめろ」
誰に言っているのか分からない。
記事はさらに続いていた。
母親について。
妹について。
弟について。
家族それぞれが、
自分の事件の影響を受けている。
そして最後に。
小さな一文。
「加害者本人は、現在服役中。」
それだけだった。
ゆうさくは新聞を落とした。
「……俺だけじゃない」
声が震える。
「俺がやったのに……」
自分が刑務所に入れば、
それで終わると思っていた。
少なくとも、
家族とは別の人生になると思っていた。
違った。
自分が起こしたことは、
壁の外でも家族の人生を壊し続けている。
「俺……何してるんだ」
黒田は黙っていた。
ゆうさくは新聞を拾う。
そのとき。
別の記事が目に入った。
「豪華客船、新航路を発表」
写真が載っていた。
巨大な船。
海。
青い空。
そして、
楽しそうに笑う乗客たち。
ゆうさくの記憶が蘇った。
あの夜。
友人たちは、
自分を誘わなかった。
その代わりに、
豪華客船で女性たちと食事をしていた。
無料の招待券。
豪華な料理。
酒。
笑い声。
そして、
自分はその頃、
燃える家の前にいた。
包丁を握っていた。
「……あいつら」
拳を握る。
怒りが湧いた。
だが、
怒る資格があるのか分からなかった。
自分が人を殺した。
それは事実だ。
友人に利用された。
それも事実。
どちらも消えない。
新聞をめくる。
すると、
さらに別の記事があった。
「同窓会で再会した友人たち」
写真。
数人の男女。
その中に――
見覚えのある顔。
ゆうさくの友人だった。
隣には女性。
その女性の腕には、
小さな子供。
別の友人には、
結婚指輪。
記事には、
「家族と幸せな時間を過ごしている」
という趣旨の文章があった。
ゆうさくは、
新聞から目を逸らせなかった。
「……幸せそうだな」
笑った。
笑おうとした。
だが、
涙が出た。
「俺が……あいつらの代わりに……」
言葉が続かない。
自分は何を失ったのか。
友人たちは、
普通の人生を生きている。
自分だけが、
壁の中。
そして、
さらに最悪なのは。
自分自身も、
その友人たちを完全には憎めないことだった。
あの夜。
「先に始めてくれ」
そう言われた。
それでも、
実際に火をつけたのは自分。
包丁を握ったのも自分。
人を殺したのも自分。
だから、
誰か一人に全部の罪を押しつけることはできない。
ゆうさくは新聞を胸に抱えた。
「……帰りたい」
初めて、
小さな声で言った。
「家に帰りたい……」
その瞬間。
背後から声がした。
「帰れないよ」
振り返る。
美月だった。
いつからいたのか分からない。
ゆうさくは新聞を隠そうとした。
美月はそれを見ていた。
「外の新聞?」
「ああ」
「読んだんだ」
「……家族のことが書いてあった」
美月は何も言わない。
ゆうさくは続けた。
「俺がここにいる間も、外は普通に動いてる」
「うん」
「俺がいなくても、世界は何も困らない」
「……うん」
「俺の友達は結婚して、子供がいて……」
声が詰まる。
「俺は、ここで人を運んでる」
美月は俯いた。
「ゆうさく」
「何?」
「それ以上、自分を責めないで」
ゆうさくは笑った。
「無理だよ」
そして新聞を見せる。
「俺は人を殺したんだ」
美月は答えなかった。
しばらくして、
小さく言った。
「だからこそ……」
顔を上げる。
「ここで死なないで」
その言葉が、
ゆうさくの胸に刺さった。
「生きて、外へ行って」
「……外へ?」
「うん」
「本当に出られると思う?」
美月は答えなかった。
ただ、
ゆうさくの手にある新聞を見つめていた。
そして、
小さな声で言った。
「外には……あなたを待っている人がいる」
「誰?」
美月は答えなかった。
そのまま立ち去った。
ゆうさくは新聞を見る。
家族の記事。
友人の記事。
事件の記事。
そして、
自分の名前。
全部が、
一枚の紙の上に存在していた。
その夜。
ゆうさくの部屋の前に、
新しい木札が置かれていた。
一枚。
そこには、
こう書かれていた。
第八番 田中誠
ゆうさくは木札を拾った。
そして気づいた。
裏側に、
小さな文字がある。
――七人目を運べば、外へ。
その下に、
別の筆跡で書かれていた。
――七人目を運んだ者も、外へは出ない。
ゆうさくの指から、
木札が落ちた。
カラン。
静かな刑務所の床に、
乾いた音が響いた。




