第20話「七人を運べば」
「……ゆうさく」
父の声だった。
間違えるはずがない。
幼い頃、熱を出した夜。
仕事から帰ってきた父が、布団の横で言った声。
――大丈夫だ。
その声。
あの声だった。
ゆうさくの唇が震える。
「父さん……?」
神谷の言葉を思い出した。
返事をするな。
それでも。
一歩、前へ出ようとした。
その瞬間。
「やめろ!」
黒崎が怒鳴った。
ゆうさくが止まる。
黒崎は初めて、仮面を外していた。
顔が真っ青だった。
「その声を聞いても……絶対に返事をするな」
「でも、今の声は――」
「お前の父親じゃない」
「何で分かる?」
黒崎は答えなかった。
代わりに、田中が呟いた。
「知ってるんだよ」
「何を?」
「この場所は……人間の記憶を使う」
ゆうさくは息を止めた。
「記憶?」
「聞いたことのある声で呼ぶ。母親。父親。恋人。子供。死んだ人間……」
田中は暗闇を見た。
「一番、返事をしたくなる声を使う」
ゆうさくの背中が冷たくなった。
では。
あの声は。
父親の声ではない。
自分の記憶から作られた声。
それなら――
なぜ知っている?
なぜ、自分しか知らないはずの声を。
「田中」
「何だ」
「ここには……何がいる?」
田中は答えなかった。
ただ、
「知らないほうがいい」
と言った。
その直後。
御堂が森の中へ入ってきた。
いつの間に来たのか分からない。
ゆうさくは御堂へ詰め寄った。
「今の声、何ですか」
「知らなくていい」
「宮本は?」
「もう終わった」
「何が終わったんですか!」
御堂はゆうさくを見る。
「仕事だ」
「……殺したんですか」
沈黙。
それが答えだった。
ゆうさくの手が震えた。
「約束は?」
「何の?」
「七人」
御堂は首を傾ける。
「七人を運べば、外へ出すって……」
「言った」
「本当に出してくれるんですよね?」
御堂はしばらく黙った。
そして。
「お前は外に出たいのか?」
「当たり前です」
「なら、続けろ」
それだけだった。
具体的な答えはなかった。
それなのに。
ゆうさくは自分に言い聞かせた。
まだ一人目だ。
あと六人。
六人運べばいい。
そうすれば。
この壁の外へ――
帰れる。
三浦が連れていかれる。
今度は、ゆうさくも歩いた。
足が重かった。
三浦は何度も振り返った。
「おい」
「……」
「ゆうさく」
「何だ」
「俺が死んだら……」
三浦は言葉を探した。
「俺の名前、忘れるなよ」
ゆうさくは答えられなかった。
三浦は笑った。
「……まあ、お前なら忘れそうだけどな」
それが最後だった。
扉が閉じる。
ゆうさくはその場に立ち尽くした。
二人。
宮本。
三浦。
残り五人。
そう考えた瞬間。
自分が何を数えているのかに気づいた。
人間を。
命を。
数字として。
七人。
あと五人。
その計算をしている自分が、恐ろしくなった。
刑務所へ戻る途中。
田中が隣を歩いていた。
「お前、今……何考えてた?」
「……何も」
「嘘だな」
「……」
田中は前を向いたまま言った。
「この場所に長くいると、人間は二種類になる」
「二種類?」
「食われる側と」
一拍。
「運ぶ側だ」
ゆうさくは何も言わなかった。
刑務所が見えてきた。
門の前に、黒田が立っている。
ゆうさくを見るなり言った。
「二人か」
「……ああ」
「田中は?」
「まだ残ってる」
黒田は頷いた。
そして、ゆうさくにだけ聞こえる声で言った。
「お前、何を約束された?」
「外へ出すって」
黒田は目を閉じた。
「……そうか」
「何だよ」
「俺も昔、同じことを言われた」
ゆうさくが顔を上げた。
「え?」
黒田は刑務所の奥を見る。
「三十年前だ」
「三十年前……?」
「俺も七人を運んだ」
ゆうさくの呼吸が止まる。
「七人、全部?」
「ああ」
「じゃあ――」
黒田がゆうさくを見る。
「外へ出たんですか?」
「出てない」
その一言で。
ゆうさくの胸の奥から、
何かが落ちた。
「……じゃあ、何で?」
黒田は答えた。
「八人目を運べと言われた」
「八人目……」
「断った」
黒田の顔に、深い皺が刻まれる。
「だから俺自身が選ばれた」
ゆうさくは言葉を失った。
黒田が続ける。
「この村に『七人』という約束はない」
「……」
「あるのは」
黒田は低く言った。
「足りなくなるたびに、次を差し出すことだけだ」
ゆうさくの頭の中で、
御堂の声が蘇った。
――七人を運べば、外へ。
その言葉の意味が。
少しずつ変わっていく。
「じゃあ……俺は?」
黒田は答えなかった。
その代わり。
刑務所の壁に貼られた新しい紙を指差した。
今日の日付。
その下に、
祭り供給予定 七名
さらに、その下。
小さな欄が一つ。
運搬責任者
そこには、
ゆうさくの名前。
そして――
赤い線で囲まれた文字。
第七番
ゆうさくは紙を見つめた。
「……七人目?」
黒田は静かに言った。
「違う」
「え?」
「それは――」
黒田が紙から目を逸らす。
「七人目を運び終えた後に、何が起こるかを示してる」
ゆうさくは意味が分からなかった。
その夜。
刑務所に、新しい囚人が入ってきた。
男は震えながら周囲を見回した。
そして、ゆうさくを見つけた。
「……ここ、どこなんですか?」
ゆうさくは答えようとした。
しかし。
男の背後。
刑務所の門の外に、
村人が一人立っていた。
その手には、
新しい木札。
まだ何も書かれていない。
村人はゆうさくを見た。
そして木札を差し出した。
そこには、
八人目
とだけ書かれていた。




