第2話 断れなかった
「本当に、これで最後だからな」
ゆうさくはそう言った。
目の前に置かれた黒いバッグを見つめながら。
中には、犯行に使う道具が入っている。
黒い服。
手袋。
刃物。
そして、火炎瓶。
見ているだけで胃が痛くなった。
「そんな顔すんなって」
健太が笑う。
「ただの強盗だよ」
「……火を使うんだろ?」
「最初だけだって」
「もし家の中に人がいたら?」
「だから、出てきたところを脅すんだよ」
健太はまるでゲームの攻略法でも話しているような口調だった。
「金だけ取って逃げる。それだけ」
ゆうさくは黙った。
頭の中では、何度も「やめろ」と声がしていた。
こんなのは間違っている。
分かっている。
分かっているのに、帰れなかった。
ここまで来てしまった。
仲間たちの前で、
「やっぱりやめる」
と言えばいいだけなのに。
その一言が出なかった。
「ゆうさく」
別の男が口を開いた。
「お前、一千万以上借金あるんだろ?」
「……」
「だったらやるしかないじゃん」
「俺は……」
「何?」
「いや……」
「ほらな」
男は笑った。
「結局、お前も金が欲しいんだよ」
その言葉が胸に刺さった。
違う。
金が欲しいんじゃない。
そう言いたかった。
けれど、本当にそうなのか。
借金を返したい。
博打をやめたい。
人生をやり直したい。
そのためには金が必要だった。
だから――
ゆうさくは黙ってバッグを受け取った。
「集合は夜十時」
健太が言った。
「場所は昨日教えたところ」
「みんな来るんだよな?」
「ああ」
「絶対だぞ」
「分かってるって」
その言葉を信じるしかなかった。
***
その夜。
ゆうさくは自分の部屋で鏡を見ていた。
黒い服。
帽子。
手袋。
そして、テーブルの上に置かれた刃物。
自分の姿なのに、自分ではないように見えた。
「……何やってんだ、俺」
手が震えた。
刃物から目を逸らす。
スマートフォンを見る。
時刻は午後九時三十八分。
集合まで、あと二十二分。
やめるなら今だった。
バッグを捨てる。
電話をする。
「やっぱり無理だ」
そう言えばいい。
それだけでいい。
ゆうさくはスマートフォンを手に取った。
健太の番号を表示する。
指が止まる。
電話をかける。
呼び出し音。
一回。
二回。
三回。
出ない。
「……健太?」
もう一度かける。
出ない。
嫌な予感がした。
それでも、約束の場所へ向かった。
***
午後十時。
待ち合わせ場所には誰もいなかった。
古い駐車場。
街灯が一本だけ。
風が冷たい。
ゆうさくは周囲を見回した。
「……遅れてるだけだよな」
十分。
十五分。
二十分。
誰も来ない。
スマートフォンを確認する。
着信なし。
メッセージなし。
「なんだよ……」
不安が膨らんでいく。
二十二時三十分。
ようやく電話が鳴った。
健太だった。
「おい! どこにいるんだよ!」
ゆうさくが叫ぶ。
電話の向こうから、健太の声が聞こえた。
「悪い」
「何が?」
「ちょっと予定が変わった」
「は?」
「先に始めてくれ」
ゆうさくは絶句した。
「……何言ってんだよ」
「簡単だって」
「無理だよ!」
「大丈夫だって」
「お前らは?」
少し沈黙。
そして健太は言った。
「あとから行く」
「本当に?」
「ああ」
「絶対来る?」
「絶対」
電話が切れた。
ゆうさくは、その場に立ち尽くした。
嫌な予感がする。
だが、もう引き返せなかった。
バッグを開ける。
火炎瓶。
刃物。
そして――
ターゲットの住所が書かれた紙。
ゆうさくは、それを握りしめた。
「……これが終わったら」
自分に言い聞かせる。
「全部終わらせる」
博打も。
借金も。
嘘も。
全部。
そして、普通の人生を始める。
そう思いながら、車に乗り込んだ。
***
午後十一時過ぎ。
ゆうさくは目的の家の前にいた。
一軒家。
明かりがついている。
車が一台、駐車されていた。
「……人、いるのか」
喉が鳴った。
帰りたかった。
今すぐ車を走らせたかった。
しかし、ポケットの中のスマートフォンが震えた。
健太からのメッセージ。
――早くやれ。
ゆうさくは画面を見つめた。
そして、ゆっくり車を降りた。
バッグを持つ。
火炎瓶を取り出す。
家を見る。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
そして――
ゆうさくは家へ向かって歩き始めた。




