第1話 やめたかった
「もう、やめよう」
ゆうさくは、そう言いながらパチンコ台を見つめていた。
画面の中では、派手な演出が何度も繰り返されている。
赤い文字。
大きな音。
光る数字。
けれど、ゆうさくの頭には何も入ってこなかった。
財布の中身は、ほとんど空だった。
残っているのは、千円札が一枚。
それでも席を立てない。
「あと一回……」
自分でも分かっていた。
これが最後ではない。
負ければ、また金を借りる。
勝てば、その金でもう一度遊ぶ。
そして、また負ける。
その繰り返しだった。
「ゆうさく!」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、地元の仲間の健太が立っていた。
「まだやってんのかよ」
「……うん」
「今日、このあと行くだろ?」
「どこに?」
「決まってんじゃん」
健太は笑った。
その笑顔を見ただけで、ゆうさくには分かった。
また博打だ。
「今日はやめとく」
「なんで?」
「金ないから」
「借りればいいじゃん」
簡単に言われた。
「誰に?」
「会社の人とか」
「もう借りてる」
「じゃあ別の奴」
「……もう無理だよ」
健太は少し黙った。
そして、笑った。
「ゆうさく、お前真面目すぎるんだよ」
その言葉を聞いて、ゆうさくは目を逸らした。
真面目。
そう言われるのが、一番嫌だった。
自分は真面目なんかじゃない。
会社では何度も嘘をついている。
「親の病院代が必要なんです」
「車が壊れました」
「給料日に必ず返します」
そんな嘘を何度ついたか分からない。
借りた金は、ほとんど博打に消えた。
最初は数万円だった。
次は十万円。
その次は二十万円。
気がつけば、借金は一千万円を超えていた。
それでも、博打をやめられなかった。
「なあ、ゆうさく」
健太が肩を叩いた。
「今日勝てば全部戻せるって」
「……そんなわけないだろ」
「でも勝つかもしれないじゃん」
その言葉に、ゆうさくは黙った。
勝つかもしれない。
その「かもしれない」に、何年も人生を預けていた。
***
ゆうさくには、夢があった。
大した夢ではない。
彼女が欲しかった。
結婚したかった。
仕事から帰ったら「おかえり」と言ってくれる人がいて。
休日には一緒に買い物に行って。
子供ができたら、家族みんなで食卓を囲む。
そんな生活がしたかった。
友人の結婚式に出席したとき、心の底からそう思った。
自分も、いつか。
そう思っていた。
だから、博打をやめようと思ったことは何度もある。
何度も、何度も。
スマートフォンから消した。
店の前を通らないようにした。
給料日に金を使わないようにした。
それでも、仲間から電話がかかってくる。
「今日、新台入ったぞ」
「みんな集まってる」
「お前だけ来ないの?」
そして、ゆうさくは行ってしまう。
最初は一時間だけのつもりだった。
気がつけば朝だった。
負けていた。
また借りた。
また嘘をついた。
また自己嫌悪に陥った。
それでも、数日後には同じ場所に座っていた。
「……俺、何やってんだろ」
誰にも聞こえない声で呟く。
隣では健太が笑っている。
「そんな深刻になるなって」
ゆうさくは答えなかった。
その日も負けた。
財布の中身は完全になくなった。
帰り道、スマートフォンを開く。
会社の上司からメッセージが来ていた。
――無理するなよ。必要なら相談しろ。
その文章を見た瞬間、胸が痛くなった。
この上司には、何度も助けてもらった。
金を借りたこともある。
そのたびに、
「無理するなよ」
と言ってくれた。
なのに、その金さえ博打に使った。
「……最低だな、俺」
スマートフォンを閉じる。
夜の街を歩く。
家に帰れば、一人だった。
静かな部屋。
誰もいない。
食卓もない。
会話もない。
ただ、借金だけが残っている。
ゆうさくはベッドに座った。
そして、ぼんやり天井を見る。
「普通に生きたかったな……」
その呟きは、誰にも届かなかった。
その翌日。
健太から電話がかかってきた。
「ゆうさく、ちょっと話がある」
「何?」
「金、作る方法がある」
「……また博打?」
「違う」
健太の声が少し低くなった。
「強盗」
ゆうさくは黙った。
一瞬、意味が分からなかった。
「……は?」
「だから、強盗」
「冗談だろ」
「本気」
「俺はやらないぞ」
「まだ何も説明してないじゃん」
「強盗なんて無理だよ」
「でも金ないんだろ?」
「だからって……」
健太は笑った。
「ゆうさく」
その声には、いつもの軽さがなかった。
「このままだったら、お前どうするんだ?」
ゆうさくは答えられなかった。
電話の向こうから、健太の声が続く。
「借金、一千万円以上あるんだろ?」
「……」
「普通に働いて返せるのか?」
返せない。
それは自分が一番よく分かっていた。
「一回だけだよ」
健太が言った。
「一回強盗して金を取る」
「それで借金返して」
「博打もやめる」
「そしたら、お前が言ってた普通の生活に戻れるだろ?」
ゆうさくの心臓が、嫌な音を立てた。
普通の生活。
その言葉だけが、頭に残った。
彼女。
結婚。
家庭。
笑い声。
そんな未来が、ほんの一瞬だけ見えた気がした。
「……俺は」
ゆうさくは呟いた。
「人を傷つけるのは嫌だ」
「誰も傷つけないって」
「本当に?」
「ああ」
「本当に、誰も?」
「大丈夫だって」
電話を切ったあとも、ゆうさくはしばらくスマートフォンを握ったままだった。
やめたかった。
博打も。
借金も。
嘘も。
こんな生活も。
全部終わらせたかった。
だから――
このときのゆうさくはまだ知らなかった。
自分が「一度だけ」と思って踏み出したその一歩が、
二度と戻れない場所へ続いていることを。




