第18話「運ぶ者」
朝。
いつものように、鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
その音を聞いた瞬間、刑務所の空気が変わった。
誰も喋らない。
食事を運んでいた田辺も、手を止めた。
黒田は窓の外を見たまま、低く呟いた。
「……今日か」
「何が?」
ゆうさくが聞く。
黒田は答えなかった。
代わりに、神谷が言った。
「祭りの前は、選ばれた奴を運ぶ」
「どこへ?」
神谷は少し間を置いた。
「知ってるだろ」
「東の門……?」
「その先だ」
ゆうさくの喉が鳴った。
東の門。
その言葉を聞くたび、胸の奥に小さな希望が生まれる。
外へ続く道。
壁の外。
普通の世界。
家族。
そして――
自分の人生。
もう一度、やり直せるかもしれない。
「俺が運ぶ」
ゆうさくが言った。
黒田が振り返った。
「……何?」
「七人を運べば、外へ行けるって書いてあった」
刑務所の中に、沈黙が落ちた。
神谷がゆうさくを見た。
その目には驚きがなかった。
むしろ――
哀れみがあった。
「誰に聞いた?」
「御堂さんだ」
「直接?」
「……いや。でも、書いてあった」
神谷は目を伏せた。
「そうか」
「何だよ」
「いや」
神谷はそれ以上言わなかった。
黒田だけが、苦い顔をした。
「ゆうさく」
「何?」
「その約束を信じるのか?」
「……信じたい」
「そうか」
黒田はそれ以上、止めなかった。
その日の昼。
御堂が刑務所へやって来た。
いつもの仮面。
いつもの刀。
だが今日は、一人ではなかった。
青年の森田。
高木。
そして祭り責任者の黒崎。
三人が並んでいる。
御堂が言った。
「ゆうさく」
「はい」
「仕事だ」
差し出された紙には、三人の名前が書かれていた。
宮本浩二。
三浦修司。
田中誠。
その下に、
運搬担当 ゆうさく
と書かれている。
「今日から始める」
「……三人とも?」
「まず三人だ」
ゆうさくは紙を握った。
「七人ですよね」
御堂は答えなかった。
「七人を運べば、俺は外へ?」
御堂がゆっくり顔を上げる。
仮面の奥の目が見えない。
「仕事を最後まで果たせばな」
「外へ出してくれるんですね?」
「約束しよう」
その言葉を聞いた瞬間。
ゆうさくの胸に、久しぶりの温かさが戻った。
外。
その二文字だけでよかった。
「やります」
御堂は頷いた。
「賢い選択だ」
そして宮本たちが連れてこられた。
宮本は震えていた。
三浦は怒っていた。
田中は――
笑っていた。
「お前が運ぶのか?」
田中がゆうさくを見る。
「……ああ」
「何でお前なんだよ」
「俺なら村人に近づける」
「違う」
田中の笑顔が消えた。
「そういう意味じゃない」
ゆうさくは黙った。
田中が近づいてくる。
そして、小さな声で言った。
「お前……外へ出られると思ってるのか?」
「……御堂さんが約束した」
田中はしばらくゆうさくを見つめた。
「そうか」
それだけだった。
三人は手を縛られなかった。
逃げる意味がないからだ。
刑務所の門が開く。
外の空気が流れ込んでくる。
宮本が震えた。
「嫌だ……」
三浦が叫ぶ。
「ふざけんな!」
村人が一斉に振り返った。
銃。
刀。
仮面。
それだけで三浦は黙った。
ゆうさくは三人の前を歩いた。
村の道を進む。
家々の間を抜ける。
村人たちは、誰も声をかけない。
ただ見ている。
まるで――
荷物を見るように。
しばらく歩くと、宮本が呟いた。
「ゆうさく……」
「何?」
「俺たち……死ぬのか?」
答えられなかった。
「お前は外に出るんだろ?」
「……そうだ」
「だったら……」
宮本が泣きそうな顔で笑った。
「俺たちの分まで、生きろよ」
ゆうさくの足が止まりそうになった。
けれど止まらなかった。
歩いた。
歩き続けた。
やがて東の門が見えてきた。
巨大な門。
その向こうには、森がある。
さらにその向こうには――
壁。
いや。
壁の外がある。
ゆうさくは門の前で立ち止まった。
黒崎が言った。
「ここから先は、祭具管理の区域だ」
「俺も行くのか?」
「お前の仕事だ」
門が開いた。
ギギギギ……。
嫌な音がした。
宮本が後ずさる。
「嫌だ……」
三浦も拳を握った。
「俺は行かねえ」
その瞬間。
森田が三浦の肩を掴んだ。
「行け」
「離せ!」
「行け」
声が低かった。
感情がなかった。
三浦は抵抗をやめた。
三人が門の向こうへ入る。
ゆうさくも続いた。
その瞬間。
背後の門が閉まった。
ドン――。
音がした。
完全に閉じた。
ゆうさくは振り返る。
門には、小さな札が掛かっていた。
今まで見たことのない文字。
古い筆跡だった。
ゆうさくは近づいて読む。
そこには――
「供給者」
と書かれていた。
「……供給者?」
その言葉を口にした瞬間。
隣にいた田中が笑った。
「やっぱりな」
「何が?」
「お前は知らないんだな」
「何を?」
田中は答えなかった。
その代わり、門の向こうを指差した。
森の中。
一本の細い道が続いている。
その道の先には、小さな建物があった。
建物の前に、七つの木箱。
その横に――
八つ目の箱が置かれている。
ゆうさくは息を止めた。
「……八つ?」
田中が呟いた。
「今年も足りないんだよ」
「何が?」
田中はゆうさくを見る。
その顔から、笑みが消えていた。
「人間が」
その瞬間。
建物の奥から、
カン――
と金属音が鳴った。
一度。
二度。
三度。
村人たちが一斉に頭を下げた。
黒崎まで。
森田まで。
御堂はいない。
なのに全員が同じ方向を向いている。
建物の奥。
何も見えない暗闇へ。
宮本が震えながら呟いた。
「……誰か、いるのか?」
誰も答えなかった。
そして。
暗闇の中から、
仮面が一つだけ、こちらを向いた。
ゆうさくは動けなかった。
その仮面には――
目がなかった。
ただ、口だけがあった。
大きく開いた、
笑っているような口。
田中が震える声で言った。
「見るな……」
「え?」
「それを見たら――」
田中は途中で言葉を止めた。
そして、ゆうさくの腕を掴んだ。
「絶対に、名前を言うな」
「誰の?」
田中の顔が青ざめる。
「お前の名前を」
その直後。
暗闇の奥から、
小さな声がした。
「……ゆうさく」
自分の名前だった。
ゆうさくの背中に、冷たいものが走った。
誰も教えていない。
ここにいる全員が、息を止めていた。
そして。
八つ目の仮面が、
ゆっくり――
笑った。




