第12話 選ばれる者
朝になっても、森川は戻らなかった。
誰も探さなかった。
誰も名前を呼ばなかった。
ただ一人。
ゆうさくだけが、昨夜転がってきた仮面を見つめていた。
「一人目……」
その言葉が頭から離れない。
祭りまで、まだ時間がある。
なのに、もう一人消えた。
いや。
正確には――
消された。
ゆうさくは食堂へ向かった。
いつものように、囚人たちが並んでいる。
だが、森川の場所だけが空いていた。
誰も座らない。
誰も近づかない。
そこには昨日まで、森川が使っていた茶碗だけが置かれていた。
「食え」
田辺が言った。
「……森川は?」
「食え」
「でも――」
「食え!」
怒鳴られた。
ゆうさくは黙って箸を持った。
味がしなかった。
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食事が終わると、黒田が呼んだ。
「お前、御堂家の仕事をしているな」
「ああ」
「なら、分かるはずだ」
黒田は一枚の紙を見せた。
昨日、倉庫で見たものだった。
数字が並んでいる。
食料。
薪。
薬。
そして囚人数。
「これ……」
「祭りの準備表だ」
黒田は指で一列をなぞった。
「村人」
次に、
「食料」
そして最後に、
「生贄」
ゆうさくの喉が鳴った。
「何人……?」
「毎年、変わる」
「どうやって決める?」
黒田は少し黙った。
「村人が決めるんじゃない」
「じゃあ誰が?」
黒田は答えなかった。
代わりに、
天井を見た。
「……神様だ」
ゆうさくは眉をひそめた。
「本当にいると思ってるのか?」
「いるかどうかなんて関係ない」
黒田の声は低かった。
「村人が信じている」
「それだけ?」
「それだけで、人は人を殺せる」
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その日の仕事は、村の奥にある倉庫だった。
ゆうさくは荷物を運んだ。
御堂家の印が入った箱。
中身は知らされない。
聞く必要もない。
そういう生活に、少しずつ慣れてきていた。
それが、
一番怖かった。
刑務所に入った直後は、
「ここから出たい」
それだけだった。
だが今は違う。
米が食べられる。
布団が少し暖かい。
村の中を自由に歩ける。
村人に殴られることも減った。
祭りからも、
一時的に外されている。
その代わり、
御堂家の命令には逆らえない。
誰かに荷物を届けろと言われれば届ける。
誰かを呼んでこいと言われれば呼ぶ。
何を運んでいるか聞かない。
誰に届けるのか聞かない。
そして、
見たものを口外しない。
それだけ。
「犬……か」
ゆうさくは自嘲した。
だが、
犬でもいい。
生きられるなら。
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昼。
村の水路で、ゆうさくは美月と会った。
美月は仮面をつけていなかった。
村人なのに。
それが、この村では珍しかった。
「森川さん……」
美月が言った。
ゆうさくは足を止めた。
「知ってるのか?」
「うん」
「どこへ行った?」
美月は答えなかった。
代わりに水路へ視線を落とした。
「聞かないほうがいい」
「でも――」
「あなたまで消える」
その言葉に、ゆうさくは黙った。
美月は小さな声で続けた。
「御堂家の仕事をしているから、今は大丈夫」
「今は?」
「……ずっとじゃない」
ゆうさくは美月を見た。
「俺は祭りから外された」
「それは知ってる」
「なら安心じゃないのか?」
美月は悲しそうに笑った。
「違うよ」
「何が?」
「選ばれない人間が、選ばれないとは限らないから」
意味が分からなかった。
そのとき、
背後で足音がした。
美月の顔が強張る。
ゆうさくが振り返る。
村人が三人立っていた。
誰も喋らない。
ただ、
ゆうさくと美月の距離を見ている。
一人が腰の刀に手を置いた。
ゆうさくの心臓が跳ねた。
美月が一歩前へ出る。
「やめて」
村人は動かない。
「この人は御堂様の命令で動いています」
それでも、
刀から手は離れない。
美月がゆうさくを見る。
「行って」
「でも……」
「早く」
ゆうさくは歩き出した。
数歩進んでから振り返る。
美月は一人で立っていた。
村人たちは、
ゆうさくが離れると何事もなかったように去っていった。
なぜだ。
なぜ、
自分だけなのか。
他の囚人が美月と話しても、
ここまでにはならない。
その疑問が、
ゆうさくの中に残った。
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夕方。
刑務所に戻ると、
三浦が待っていた。
「お前」
「何?」
「最近、いいもん食ってるらしいな」
ゆうさくは答えなかった。
三浦が近づく。
「村長の犬になったんだって?」
「……そうだ」
「気に入らねえな」
拳が飛んできた。
ゆうさくは避けられなかった。
床に倒れる。
「お前だけ飯が違う」
「……」
「お前だけ村を歩ける」
「……」
「お前だけ、美月と話せる」
その言葉で、
ゆうさくは三浦を見た。
三浦の目は、
怒りよりも嫉妬で濁っていた。
「勘違いするな」
ゆうさくは立ち上がった。
「俺は好きでこうなったんじゃない」
「じゃあ辞めろよ」
「できるならな」
三浦は黙った。
その言葉だけは、
反論できなかった。
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夜。
ゆうさくは一人で廊下を歩いていた。
すると、
奥から声が聞こえた。
「ゆうさく」
黒田だった。
「なんだ?」
「こっちへ来い」
黒田の部屋に入る。
机の上に、
古い名簿があった。
「これは?」
「昔の囚人名簿だ」
黒田がページを開く。
名前。
年齢。
罪。
入所日。
そして――
退所日。
だが、
退所日の欄には奇妙な共通点があった。
すべて、
空欄だった。
代わりに、
名前の横に小さな印がついている。
黒田は言った。
「この印がある奴は消えた」
ゆうさくはページをめくる。
一人。
二人。
三人。
十人。
数十人。
さらに古いページ。
そこには、
数百人分の名前があった。
「こんなに……?」
「三十年分だ」
「三十年……」
黒田は一冊の名簿を閉じた。
「片桐も」
別の名簿を開く。
そこには、
片桐修の名前。
横に、
小さな黒い印。
「森川も」
新しいページ。
森川圭。
同じ印。
ゆうさくは息を止めた。
「じゃあ……」
黒田は言った。
「お前が来る前にも、何人も消えている」
「全部……生贄?」
黒田は否定しなかった。
「そしてな」
黒田が、さらに古い名簿を出した。
紙が黄ばんでいる。
そこに記された名前を、
ゆうさくは見た。
――御堂。
「……え?」
村長と同じ名字。
黒田が言った。
「昔、この刑務所にいた囚人だ」
ゆうさくの背筋が凍った。
「村長が?」
「違う」
黒田は首を振った。
「村長の――」
一拍。
「先祖だ」
ゆうさくは名簿を見つめた。
その名前の横には、
他の消えた囚人と同じ黒い印があった。
だが、
その下にだけ、
別の文字が残されていた。
古い筆跡だった。
『生贄にならなかった者』
ゆうさくは顔を上げた。
「どういう意味だ?」
黒田は答えなかった。
ただ、
窓の外を見た。
村の中心。
御堂家の屋敷。
そのさらに奥にある、
神社。
そこから、
また鐘が鳴った。
ゴォン。
一回。
ゴォン。
二回。
そして――
三回。
黒田が呟く。
「今年の人数が決まった」
「……何人?」
黒田は目を閉じた。
「七人」
ゆうさくは息を呑んだ。
「七人のうち――」
黒田がゆっくり名簿を閉じる。
「お前が入っているかどうかは、まだ分からん」
その直後。
刑務所の玄関から、
金属音が響いた。
ガチャリ。
扉が開く。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは、
見知らぬ男だった。
痩せた身体。
ぼろぼろの服。
そして――
まだ新しい囚人服。
男は周囲を見回した。
「……ここが刑務所ですか?」
誰も答えない。
男は震えながら、
小さな声で言った。
「俺……」
そして、
一枚の紙を握りしめた。
「死刑になる前に、ここへ送られたんです」
黒田の顔から、
血の気が引いた。
「名前は?」
男は答えた。
「……田中、誠です」
その瞬間。
ゆうさくは気づいた。
森川が消えた。
そして、
新しい囚人が来た。
まるで、
空いた場所を埋めるように。
黒田が小さく呟いた。
「……七人分の席を、空けるつもりだ」
ゆうさくの背中に、
冷たい汗が流れた。
この刑務所では、
囚人が減ることは、
終わりではない。
新しい囚人が来る。
そして、
また一人。
また一人。
消えていく。
まるで最初から、
人数が決められているかのように。
その夜。
ゆうさくは眠れなかった。
そして明け方。
枕元に、
一枚の紙が置かれていることに気づいた。
誰が置いたのか分からない。
紙には、
たった一行。
『今年の七人目は、お前だ』
と書かれていた。




