第10話 村の犬
「――ゆうさく」
自分の名前が呼ばれた。
村人が持っていた木札。
そこに、
確かに自分の名前がある。
「祭りの準備に参加しろ」
ゆうさくは動けなかった。
「……何をするんですか」
村人は答えなかった。
木札を裏返す。
そこには、
別の文字が書かれていた。
ゆうさくには読めない。
古い文字だった。
「来い」
それだけ言って、
村人は歩き始めた。
ゆうさくは周囲を見る。
誰も助けてくれない。
黒田も、
高橋も、
西村も。
ただ黙って見ている。
ゆうさくは立ち上がった。
村人の後を追う。
刑務所の門を出る。
集落の中を歩く。
昼間とは違っていた。
家々の前には、
奇妙な飾りが吊るされている。
白い布。
黒い縄。
木で作られた人形。
そして、
至るところに仮面が置かれていた。
「……祭りって、こんなものなんですか」
村人は振り返らない。
やがて、
巨大な屋敷が見えてきた。
村長――
御堂源一の屋敷だった。
門だけで、
普通の家より大きい。
敷地の中には、
数十人の村人がいた。
誰もが黙々と作業している。
刀を研ぐ者。
木材を運ぶ者。
仮面を作る者。
食料を数える者。
その中央に、
一人の男が立っていた。
黒崎宗司。
祭りの責任者だった。
「こいつか」
「はい」
村人が答える。
黒崎はゆうさくを見る。
「犯罪は?」
「強盗殺人」
「子どもも?」
「……はい」
黒崎は、
少しだけ考えた。
「使えるな」
ゆうさくは眉をひそめた。
「何に……?」
黒崎は答えず、
木箱を指差した。
「運べ」
木箱は重かった。
ゆうさくが持ち上げる。
なんとか歩く。
「そこじゃない」
「……え?」
「奥だ」
言われた場所まで運ぶ。
次。
また次。
昼まで、
それを繰り返した。
水を飲む暇もない。
昼食もない。
やがて足が震え始める。
それでも、
止まれなかった。
「遅い」
背後から声。
ゆうさくが振り返る。
村人が立っている。
「すみません」
「謝る必要はない」
「……」
「役に立て」
その言葉が、
妙に冷たかった。
夕方。
ようやく刑務所へ戻される。
ゆうさくは倒れ込むように座った。
高橋が水を差し出した。
「飲め」
「……ありがとう」
一気に飲む。
「なんだった?」
「祭りの準備」
「それだけ?」
「……」
ゆうさくは、
しばらく黙った。
「村人に使われた」
高橋は苦笑した。
「それが普通だ」
「普通……?」
「ここじゃ、そういうことだ」
ゆうさくは拳を握る。
「俺は囚人だぞ」
「知ってる」
「だからって――」
「だから使われるんだ」
高橋の言葉が、
胸に刺さった。
その夜。
ゆうさくは眠っていた。
突然、
扉が開いた。
「起きろ」
村人だった。
「……何ですか」
「来い」
「今から?」
「そうだ」
ゆうさくは起き上がった。
連れて行かれた場所は、
村の外れにある倉庫だった。
中には、
大量の荷物が積まれている。
そして――
一台の古い無線機。
「これ……」
ゆうさくが見る。
村人は何も言わない。
代わりに、
別の男が入ってきた。
御堂源一だった。
「ゆうさく」
「……はい」
「お前は外の世界を知っているな」
「もちろん……」
「なら、これを読め」
机の上に、
新聞が置かれた。
日付は、
数日前。
ゆうさくの手が止まる。
外の世界。
自分がいた世界。
そこには、
何も変わらない日常の記事が並んでいた。
新しい店。
スポーツ。
事故。
政治。
結婚。
子どもの誕生。
普通の人間たちの生活。
ゆうさくは、
新聞をめくった。
そして――
小さな記事を見つけた。
「……」
指が震える。
そこには、
自分の家族に関する記事があった。
大きな記事ではない。
地方欄。
だが、
間違いなく自分の家族だった。
「……母さん」
声が漏れる。
記事には、
家族が抱えた借金と賠償問題。
生活苦。
そして、
母と妹が夜の仕事に就いていたことが書かれていた。
ゆうさくは、
新聞を握りしめた。
「嘘だ……」
御堂は黙っている。
「……母さんが?」
記事の続きには、
母親が体調を崩し、
感染症に関わる重い合併症を起こしたこと。
そして――
死亡したことが記されていた。
ゆうさくの呼吸が止まった。
「……母さん」
新聞が手から落ちる。
「俺の……せいだ」
御堂は否定しなかった。
次の紙を出す。
「妹は?」
ゆうさくが震える声で聞く。
「生きている」
「……」
「だが、借金と賠償の問題は残っている」
ゆうさくは目を閉じた。
「父さんは?」
御堂は別の紙を出した。
父は、
家族の借金を返すため、
危険な遠洋漁船に乗っていた。
さらに――
祖父も同じ船に乗っていた。
「祖父まで……」
紙をめくる。
そこには、
事故の記録。
祖父が船から転落し、
行方不明になったこと。
そして弟は――
船上作業中の事故ではない。
家族を支えるために働いていた工場で、
重大な事故に遭った。
両足を失った。
「……弟が?」
ゆうさくは、
もう新聞を読めなかった。
手が震えている。
「なんで……」
誰に向けた言葉なのか、
自分でも分からない。
「なんで、そこまで……」
御堂は静かに言った。
「お前が残したものだ」
「……」
「金だけではない」
ゆうさくは顔を上げた。
「お前の罪は、お前一人では終わらなかった」
その言葉で、
胸を抉られた。
だが――
御堂はさらに一枚の紙を出した。
ゆうさくは、
それを見た。
そこには、
自分が知っている名前が並んでいた。
健太。
そして、
他の地元の友人たち。
「……」
写真があった。
結婚式。
笑顔。
家族写真。
子どもを抱いている。
何枚も。
何人も。
ゆうさくは、
言葉を失った。
「……幸せそうだ」
御堂が言った。
ゆうさくは答えない。
友人たちは、
結婚していた。
子どももいる。
家を買った者もいた。
会社で昇進した者もいる。
休日には、
家族で出かけている。
その写真の中に、
自分はいない。
当然だった。
自分だけが、
ここにいる。
「……あいつら」
ゆうさくの拳が震える。
あの日。
自分を犯罪へ誘った男たち。
自分を笑っていた男たち。
そして――
自分を置いて、
豪華客船で楽しんでいた男たち。
彼らは、
今も普通に生きている。
子どもを抱いて。
家族と笑って。
「……なんで」
涙が落ちた。
「俺だけ……」
御堂は、
その様子をじっと見ていた。
そして言った。
「外の世界に戻りたいか?」
ゆうさくは、
顔を上げた。
「……はい」
即答だった。
「なら、働け」
「……?」
「村のために」
「何を?」
「運ぶ」
「……」
「聞く」
「……」
「届ける」
「……」
「必要なら、人を連れてくる」
ゆうさくの表情が固まった。
「人を……?」
「意味は今知らなくていい」
御堂は立ち上がった。
「お前が役に立てば、待遇は変わる」
「……外へ?」
「それは約束できない」
その言葉に、
ゆうさくの胸が沈む。
だが、
御堂は続けた。
「ただし――」
一枚の紙を机に置く。
「働き続ければ、村の中で自由に動ける」
ゆうさくは紙を見る。
刑務所の中だけではない。
村の中を自由に移動できる許可。
村人からの暴力を受けにくくなる権利。
食事の増量。
そして――
祭りの対象から外すこと。
「……祭りに?」
御堂は笑わなかった。
「そうだ」
ゆうさくは紙を見つめる。
これが、
代償なのか。
自由になるために、
村の言うことを聞く。
逆らわない。
働く。
必要なら、
人間に関わる仕事もする。
それでも――
生きられる。
その可能性だけが、
ゆうさくには魅力的だった。
「……分かりました」
御堂が頷く。
「明日から来い」
「はい」
ゆうさくは立ち上がる。
倉庫を出る。
夜の村を歩く。
その途中、
美月を見かけた。
彼女は一人で、
仮面を作っていた。
ゆうさくと目が合う。
「ゆうさく……?」
「……」
ゆうさくは何も言えなかった。
美月が近づこうとする。
しかし――
その瞬間。
周囲の村人が一斉にこちらを見る。
美月は足を止めた。
ゆうさくも、
それ以上近づかなかった。
二人の間には、
数メートルの距離。
なのに、
それが巨大な壁のように感じられた。
美月が小さく言った。
「……気をつけて」
「何に?」
美月は答えなかった。
ただ、
悲しそうに仮面を見つめた。
「村の人たちの命令には……」
一拍。
「逆らわないで」
「……分かった」
ゆうさくは刑務所へ戻った。
その日から、
ゆうさくの生活が変わった。
食事が少し増えた。
殴られる回数も減った。
村の中を歩くことも許された。
そして、
村人から仕事を与えられるようになった。
荷物を運ぶ。
食料を届ける。
道具を回収する。
時には、
誰かを呼びに行く。
誰も、
ゆうさくを「囚人」と呼ばなくなった。
代わりに、
別の呼び方をするようになった。
「犬」
最初にそう呼んだのは、
三浦だった。
「お前、村長の犬になったのか?」
ゆうさくは答えなかった。
「犬なら犬らしく、尻尾振ってろよ」
周囲から笑い声が起きる。
だが、
ゆうさくは耐えた。
外へ戻るため。
母に謝るため。
妹に謝るため。
弟に謝るため。
父に。
祖父に。
そして――
自分自身の人生を、
もう一度やり直すため。
その夜。
ゆうさくは布団の中で、
初めて思った。
「……生きていれば」
何かが変わるかもしれない。
まだ、
完全には終わっていない。
そう思いたかった。
だが、
その頃。
村の神社では――
御堂源一が、
古い祭具の前に立っていた。
榊原宗一が、
低い声で尋ねる。
「今年の数は?」
御堂は答えた。
「足りている」
「新入りも?」
「……ああ」
榊原は、
仮面の奥で目を細めた。
「ゆうさくも?」
御堂は一瞬だけ黙った。
そして、
静かに言った。
「まだだ」
その言葉を、
神社の奥にいた誰かが聞いていた。
誰か。
人間なのか。
それとも――
人間ではない何かなのか。
分からない。
ただ、
神社の奥から、
小さな音がした。
コン。
コン。
コン。
御堂と榊原は、
同時に頭を下げた。
そして、
二人とも震えていた。
村人が恐れるもの。
囚人がまだ知らないもの。
その存在は、
ゆうさくの名前を――
すでに知っていた。




