第49話 七つ目の満員印
輪になった光は、三百席の足元で止まった。
門は、まだ閉じている。
喝采魔法が先に答えを出すことはない。
舞台の上で物語を作り、客席がそれを受け取ったときにだけ、〈創演〉は次の形を生む。
リヴィアは鍵束を腰へ戻した。
「鍵がないなら、私はここで待ちます」
門番が最初に選んだのは、何もしないことだった。
開ける権限も、壊す権限も与えられていない。
命じられたとおり閉じた門を守り、誰かが正しい鍵を持ってくるのを待つ。
輪の向こうから、ファナが歩いてきた。
肩に石粉色の布を掛け、両手には欠けた石槌を持っている。
「門の外に、帰りを待っている人がいます」
「鍵を持っていますか」
「持っていません」
「では、通せません」
ファナは門を壊そうとはしなかった。
石槌を置き、片腕を二度叩く。
グラーデンで、坑道の奥へ合図を送った動き。
最初の客席で、ゴードが同じように腕を二度叩いた。
隣の者へ伝わり、五十人が音を立てずに続ける。
トワの白幕には、暗い坑道ではなく、その外で湯を沸かし、名を数え、綱を編む人々の影が映った。
門番は初めて、門の外にも仕事があると知る。
「ですが、声が届きません」
リヴィアは六つ目の客席へ向きを変えた。
「ここからでは、誰が待っているのか分からない」
トワが胸へ手を置く。
青い札が上がった。
三百人の手のひらが、もう一度開く。
六枚の白布へ映った手が、風に揺れながらつながっていく。
声の代わりに、ここにいると伝える手。
聞こえないことを消す光ではない。
見える合図を、三百人が選んだことで生まれた影だった。
門番は鍵束ではなく、その手を見る。
「そこにいることは、分かりました」
門の下に、小さな通用口が現れた。
ダガンが舞台床の下で留め金を外す。
魔法が作った扉ではない。
夜通し測り、削り、五十二人で組み上げた木の扉だ。
門番は通用口を開き、一人ずつ名前を尋ねる。
石工。
食堂で湯を沸かした者。
伝言を運んだ子ども。
帰ってきた兵士。
鎧を脱いだパン職人。
ファナは輪を歩くたび、肩の布や帽子を替え、違う仕事を持つ者になる。
リヴィアは、一人も英雄という一語へまとめなかった。
「全員、戻りましたか」
門番が尋ねる。
トワの影が、一人ずつ数える。
最後の影が通るまで、門番は通用口を閉めない。
グレンツの客席では、ローデンたちが仕事着の胸へ手を置いていた。
待つ時間を、客席は急かさなかった。
やがて、小さな扉の向こうから子どもが現れる。
ファナは外した上着の襟へ、青いボタンを一つ残していた。
「鍵はないけど、これは持ってる」
「ボタンでは、門は開きません」
「知ってるよ」
「では、なぜ私へ?」
「何も持っていないって言うから」
門番は、差し出されたボタンを受け取れない。
命令書には、門を開ける鍵以外を受け取れと書かれていない。
けれど、受け取るなとも書かれていなかった。
リヴィアは自分の意思で手を伸ばす。
「これは、私が受け取ります」
ミレナの客席で、レオが自分の上着のボタンを押さえた。
隣に座る母親が、笑いながら片手を開く。
門番の何もなかった胸に、青いボタンが留められた。
そこでファナが、短い旋律を歌った。
白い札が上がる。
最初の五十人が歌を受け取り、次の客席へ渡す。
音程も速さも、少しずつ違う。
二つ目では低くなり、三つ目では手拍子が混じった。
四つ目へ届くころには、ファナが最初に歌った旋律とは別のものに聞こえる。
彼女は直さなかった。
変わった旋律を受け取り、自分の声を重ねて次へ送る。
トワの影も歌に合わせて白幕を移り、六つ目を越えて最初の場所へ戻ってきた。
歌と影が円を一周する。
中央の門へ、五本の綱がつながった。
一つ目を、門番が握る。
二つ目は、歌いながらファナが取る。
三つ目は、トワが影の鳥を動かす横で、ヨシュが合図に合わせて引く。
四つ目には、舞台裏からダガンの手が伸びた。
最後の一本は、最前列の外側へ置かれている。
係員に案内され、エッダが席を立った。
「年寄りに力仕事をさせるのかい」
「交代しますか」
「誰が引かないと言った」
客席に笑いが起こる。
五人が綱を張る。
中央の門は少し動き、途中で止まった。
装置の故障ではない。
この場面では、まだ誰も同じ方向を選んでいない。
門の内側へ入る。
外側へ出る。
鍵が来るまで待つ。
三枚の札が、トワの白幕へ現れる。
その隣に、何も描かれていない四枚目をユリクが掲げた。
「門を、作り直す」
客席から一人の声が上がる。
今度は台本にある言葉だった。
ただし、誰が最初に言うかは決めていない。
「壊すのではなく?」
門番が問う。
「通る人が決められる門にする」
別の客が答える。
「閉めたいときは?」
「皆で閉める」
「誰が門番になりますか」
「一人にしない」
返事は、六つの方向から届いた。
リヴィアは中央の門を見た。
十二年間、彼女は誰かが欠けた場所を埋めてきた。
必要と呼ばれれば立ち、終われば名前を消した。
今、門を開くために必要なのは、誰か一人がすべての綱を握ることではない。
「では、あなたたちの名前を教えてください」
門番が言う。
客席は一斉には答えなかった。
近くの者同士で名を告げ、聞こえなければ指で示し、名を知られたくない者は無理に言わない。
トワは、空白の人影も白幕へ残した。
名前を言わない者まで、いないことにはしなかった。
門番は最後に、自分の胸へ触れる。
「あなたの名前は?」
ファナが、子どもの役のまま尋ねた。
完成稿では、ここで門番は答えない。
まだ名前を選べないまま、皆と門を押すことになっていた。
だが、リヴィアにはもう、隠す理由がない。
「私の名前は、リヴィア・フェン」
役ではなく、自分の名を告げた。
「この門を、皆さんと作り直す者です」
五本の綱が、同時に引かれる。
木の歯車が回り、留め金が外れた。
人の手で組んだ門が、人の力で開いていく。
その周りを、〈創演〉の光が駆けた。
石槌。
開いた手。
車輪。
五本の波。
継ぎ跡のある椅子。
四つ目の扉。
そして王都で、名前のない仕事へ初めて書き込んだ五人の名。
六つの町と王都で生まれた線が、リヴィアの胸元で一つにつながる。
空白の中心は、塗り潰されなかった。
幾つもの道が出入りできる、開いた場所として残った。
〈創演〉の役紋が、完成した。
光は傷を治さない。
濡れた地面を乾かしもしない。
ただ、三百席を囲む巨大な門の幻影を、朝の空へ描いた。
内側にも外側にも客席がある。
どちらからでも開けられる門だった。
最後の台詞を終え、リヴィアは一人だけ高い台へ上がらなかった。
ファナ、トワ、ダガン、ノアと同じ高さで並ぶ。
ノアは舞台へ出ず、輪の外から五枚の名札をヨシュへ渡した。
トワが一枚ずつ掲げ、ファナが名前を読み上げる。
「舞台機構・安全責任者、ダガン!」
大きな拍手。
「影絵・舞台美術、トワ!」
拍手とともに、百を超える開いた手が上がる。
「脚本・演出、ノア・ヴァイス!」
ノアは輪の外で頭を下げた。
「歌唱・出演、ファナ・ベル!」
笑いと喝采が返る。
最後の名札を、トワが掲げた。
「主演・全体進行、リヴィア・フェン!」
三百人が彼女の名を呼んだ。
銀の仮面も、借りた役名もない。
これまでで最も大きな拍手が、リヴィア自身の名へ届いた。
十二年間、拍手を受けるたび、それは本来の役者へ返すものだと思っていた。
今、この拍手だけは、誰かへ譲る必要がない。
リヴィアは胸元の役紋を隠さず、三百席すべてへ時間をかけて頭を下げた。
「ありがとうございます」
自分の名で、初めて拍手を受け取った。
終演後、祭りの職員が半券と共同席台帳を照合した。
有料入場者、三百名。
途中退場、なし。
臨時舞台の安全違反、なし。
巡業札の最後の円へ、百幕祭の印が押された。
開いた門を、大小の客席が囲む印。
七つ目の満員印だった。
広場の外で、ベルモンド支配人が待っていた。
「答えを聞かせてもらえるか」
リヴィアは、署名のない王立劇場の契約書を返した。
「契約しません」
「報酬か、権限に不足があるなら――」
「条件の問題ではありません」
王立劇場が変わろうとしていることも、提示された役職が十二年前に欲しかったものだということも認める。
「それでも私は、自分で新しい舞台を選びます」
「あの一座に必要とされているからか」
「いいえ」
リヴィアは迷わなかった。
「私が、あの一座で次の芝居を作りたいからです」
ベルモンドは契約書を受け取った。
「分かった、リヴィア・フェン」
代役ではなく名を呼び、それ以上は引き留めなかった。
借りた椅子と板の返却が始まる。
リヴィアが貸出台帳を持ち上げると、ノアが反対側を持った。
「次の台本にも、その次にも、あなたの名前を書きたい」
大勢へ向けた声ではない。
それでも、途中で詰まらずリヴィアへ届いた。
「座長としての依頼ですか」
「脚本家としても」
ノアは一度、息を整えた。
「私個人としても、そう願っています」
リヴィアは、二人の間にある台帳へ自分の手を重ねた。
「私も、あなたの隣で次の物語を作りたいです。仕事としてだけではなく」
派手な喝采は起こらない。
二人は、まだ返していない三百脚を前に、少しだけ笑った。
明日は、巡業札を更新する日。
七つの印を得た〈青い天幕〉の次の台本は、まだ一行も書かれていなかった。




