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王立劇場で十二年間、名無しの代役でしたが、外れ役紋【空白】で旅一座を始めます~訳あり役者の舞台は今日も満員です~  作者: やまご


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第50話 次の町にも、空いた席を一つ

 百幕祭の翌朝、〈青い天幕〉が最初にした仕事は、三百席の裏から番号札を外すことだった。


「二百十一番は、どこですか」


 ファナが椅子の山から顔を出す。


 トワが、赤い背もたれを描いた札を見せた。


「赤は四十脚あります!」


 所有者ごとに結んだ糸の色と、脚の傷、貸出台帳の番号を照合する。


 石工組合の長椅子十脚。


 フィオラの折り畳み腰掛け。


 グレンツの観覧椅子。


 レナートの床板。


 ミレナの宿と出店から借りた椅子。


 カーデルの角灯。


 一晩で集まった物を、勢いのまま返すことはできない。


 板は百二十枚を一枚ずつ重ね、使用しなかった亀裂入りの一枚を別に戻す。


 灯りは二十基。火皿を洗い、油の残量を記録する。


 八本の支柱は、縄の擦れた場所へ印をつけた。


 乾いた布のうち一枚には、広場の泥が染みていた。


「洗えば落ちると言っています」


 持ち主の染色組合員が言う。


「貸出条件に、泥がついた場合は洗濯代を払うとあります」


 リヴィアは規定の代金を渡した。


 脚の緩んだ椅子も一脚あった。


 ダガンが持ち主へ状態を見せ、直して返すか、修理費を払うか選んでもらう。


「今、直せるなら頼む」


「接合部を削る。前と同じ形には戻らん」


「座って揺れなきゃ、前よりいい」


 ダガンは新しい木栓を打ち、持ち主が座って確かめてから返却欄へ署名した。


 午前の鐘までに、借用品はすべて持ち主へ戻った。


 次は金の清算だった。


 四時間未満の作業者へ払う銅貨。


 布の洗濯代。


 追加で使った油と縄。


 祭りの会場使用料。


 五人と手伝った四人の報酬。


 安全積立と、次の町までの食費、飼料。


 先に必要な分を取り、最後に利益を数える。


「残りました」


 ノアが帳簿を三度見直した。


「間違いでは?」


 ファナが聞く。


「私も、まず疑いました」


 百幕祭の出演料と三百席の売上は、嵐の追加費用を引いても黒字だった。


 巡業中も少しずつ返してきた、車輪修理、馬屋、印刷所への古い借金。


 団員の給金も安全費も削らず、最後の残額まで払える。


「全部返せば、財布がまた空になりませんか」


 リヴィアが尋ねる。


「必要経費と二公演分の予備は、もう分けました」


「本当に?」


「料金規定を作った本人から、ここまで疑われるとは」


 ノアは少し傷ついた顔をしたが、五人全員へ帳簿を回した。


 トワも、ダガンも、ファナも確認する。


 数字は合っていた。


 リヴィアとノアは三つの支払先を回り、受領印をもらった。


 最後は、古いポスターの借金が残る印刷所だった。


 店主は借用証書へ完済印を押す。


「次は、売れる前に百枚も刷るなよ」


「五十枚では?」


「公演地を決めてから相談しな」


 ノアは素直にうなずいた。


 銀貨四十三枚から始まった〈青い天幕〉の借金は、ゼロになった。


 トワは最初の帳簿を開き、銀貨四十三枚と書かれた数字の隣へ、大きなゼロを描いた。


 その周りを青い鳥が飛び、下では財布を抱えた座長が踊っている。


「私は、こういう踊り方をしません」


 ノアが抗議する。


「借金がなくなったのですから、少しくらい踊ってください」


 ファナが腕を取ろうとし、ノアは帳簿を抱えて逃げた。


 ダガンは笑いながらも、残った金を使う相談は更新が終わってからだと念を押した。


 五人は祝いの酒ではなく、通りの店で温かいパンを一つずつ買った。


 明日も働ける金を残して祝う。


 それも〈青い天幕〉が、旅の途中で覚えたことだった。


 昼前、五人は王都東門脇の巡業管理局へ向かった。


 旅立つ前と同じ窓口に、眼鏡をかけた女性役人が座っている。


 リヴィアは七つの印が埋まった青い札を差し出した。


「旅一座〈青い天幕〉。仮巡業札の更新を申請します」


 役人は一つずつ、各町から届いた公演記録と照合した。


 交差するつるはし。


 風の中に開いた手。


 開いた砦門と車輪。


 五本の波を渡る舟。


 継ぎ跡のある椅子と川。


 四つの扉と足跡。


 そして、大小の客席に囲まれた開いた門。


「七つの町、すべて規定を満たしています。期限まで、残り十一日」


「危なかったですね」


「制度は、感想で期限を延ばしません」


 以前と同じ事務的な口調だった。


 それが今は、少しありがたい。


 七つ集めたから認められる。


 リヴィアだから特別に許されるのではない。


「構成員名簿を更新します」


 五人は、自分の仕事内容を確認した。


 座長・脚本・演出――ノア・ヴァイス。


 主演・全体進行――リヴィア・フェン〈創演〉。


 影絵・舞台美術――トワ。


 歌唱・出演・宣伝――ファナ・ベル。


 舞台機構・安全責任者――ダガン。


 補助、その他、必要に応じて。


 名前のない仕事は、一つも残さなかった。


 役人は仮と刻まれた細い金具を、巡業札から外した。


 代わりに、翌年の秋まで有効な正式印を取りつける。


「今後は有料興行を続けられます。町ごとの会場許可、安全検査、収支報告は、これまでどおり必要です」


「七つの満員印は、また集めるのですか」


 ファナが尋ねる。


「集めても構いませんが、更新条件ではありません」


「では、次から満員にしなくても?」


「経営上の問題は、ご自分たちで判断してください」


 ダガンが低く笑った。


「正しい。次は、客席の七割で払える値段に戻すぞ」


 最後に、舞台馬車を保証物とする登録へ解除印が押された。


 印を集められなければ回収されるはずだった馬車は、正式に〈青い天幕〉の所有となった。


 役人が保証札を外すと、台帳の金具へ小さな傷だけが残った。


 最初に見たとき、その札は一座が失うものを示していた。


 今は七つの印が、一座の手で残したものを示している。


 リヴィアは更新された札を、今度はノア一人へ預けず、五人全員が見える机の中央へ置いた。


「次回の更新は一年後です」


 役人が巡業札を返す。


「次の行程届を」


 五人は、そこで初めて顔を見合わせた。


 七つ目の印を得ることばかり考え、次の町を決めていなかった。


「本日中なら、後から提出できます」


「そうします」


 管理局を出ると、舞台馬車には封書が二十三通届いていた。


 百幕祭を見た劇場からの出演依頼。


 役紋局からの研究協力。


 王都の新聞社からの取材。


 貸切公演なら王立劇場以上の報酬を出すという貴族の招待もある。


「銀貨が多い順に並べますか」


 ファナが尋ねる。


「道が近い順だ」


 ダガンが答えた。


 トワは、絵の入っている一通を先に選んだ。


 差出人は、王国西端の国境町アステラ。


 二つの言葉を使う住民が暮らし、同じ芝居を見ても台詞の半分しか分からない人がいるという。


 手紙の最後には、こう書かれていた。


 ――声がなくても届く舞台を作った一座なら、私たちも同じ客席へ座れますか。


 その下に、国境の向こうから来たらしい文字が並んでいる。


 誰も読めなかったが、開いた両手の絵が添えられていた。


「アステラまで、何日ですか」


 リヴィアが尋ねる。


 ダガンが地図の道と橋を調べる。


「急がず八日。途中で馬車を点検するなら九日」


「会場は?」


「市場の倉庫を貸す、とあります」


「必要な客席数は百人。切符代の半分は、国境の両替所を通す必要があります」


 ノアが条件を読む。


 問題はある。


 けれど、何から確かめればよいかは分かる。


「次の町は、アステラにしましょう」


 誰かに命じられた行き先ではない。


 五人で費用と日数を確認し、自分たちで選んだ次の舞台だった。


 行程届を書き終えたあと、一座は百幕祭の小舞台へ寄った。


 エナ、カイ、ヨシュ、ミレイの『四通の間違い手紙』が始まるところだった。


 開演前、四人の名と、出演以外の仕事まで読み上げられる。


 三場面目でヨシュが一言忘れた。


 リヴィアは口を開かなかった。


 袖にいるミレイが決めた合図を送り、ヨシュは自分で次の台詞を思い出す。


 十五分の喜劇は、誰も誰かの名を隠さず終演した。


 リヴィアは客席から拍手を送った。


 もう、彼らの代わりに舞台へ上がる必要はない。


 午後、出発前の積み込みを行った。


 三脚の椅子には、新しい金具と滑り止めをつけた。


「客席を買い足しませんか」


 ファナが聞く。


「町ごとに必要な数が違う。運ぶだけで馬の負担になる」


 ダガンの判断で、持っていくのは今までどおり三脚だけになった。


 リヴィアは、そのうち染みの残る一脚へ青い丸を描いた。


「売らない席ですか」


 ノアが尋ねる。


「開演までは」


 共同席の残高は、百幕祭で増えていた。


 次からは一公演につき一席だけ、事前には売らずに残す。


 切符を買えない者。


 自分が芝居を見てよいのか迷っている者。


 まだ役も仕事も決まっていない者。


 理由や名前を客席の前で説明させず、申し出た人へ渡す。


 誰も来なければ、その日は空いたままにする。


 費用は共同席から払い、安全費や団員の給金には手をつけない。


「有名になって、客席が足りなくなっても?」


 ノアが確認する。


「そのときほど、残します」


 トワが青い丸の横へ、小さな開いた手を描いた。


 新しい料金規定へ、五人が署名する。


 夕方、舞台馬車は王都西門を出た。


 最初に王都を出た朝とは違い、見送る人がいた。


 エナたち四人。


 祭りの管理官。


 椅子を運んだ人々。


 けれど楽団も、華やかな行進もない。


 返却を終えた者から仕事へ戻り、手を振り終えた者から自分の町へ帰っていく。


 トワには別れの声が聞こえない。


 その代わり、門のそばにいる全員が両手を開いて掲げた。


 トワも舞台馬車の後ろから、同じ手を返す。


 御者台では、ノアが新しい台本の表紙を膝へ載せていた。


 題名は、まだ空欄。


 その下には、五人の名が書かれている。


 最後に一行だけ、余白が残されていた。


 ――次の町の客席。


 リヴィアは七つの印が並ぶ巡業札を、御者台の内側へ掛けた。


 馬車には五人の名前と、まだ書かれていない物語と、三脚の椅子。


 そのうち一つには、青い丸がある。


 まだ名前のない誰かが座れるように。


 〈青い天幕〉は、次の町にも、空いた席を一つ運んでいく。


 ――第一部・完――

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