第47話 町から町へ、客席が届く
最初に戻ってきたのは、椅子でも板でもなかった。
赤い線を引かれた募集紙だった。
「共同席を報酬にするなら、一席の値段と作業時間を先に決めてください」
百幕祭の舞台管理官が言った。
「手伝ったあとで、満員印のために無償だったことにされては困ります」
「一時間ごとの作業賃を示します。四時間分で共同席一席。それより短い場合は銅貨で支払います」
リヴィアは、ミレナで作った料金規定を広げた。
借りる品には、持ち主、数量、傷の有無、返却時刻を書く。破損や汚れが出た場合は、百幕祭の売上から弁償する。
共同席は四十席まで。祭りの受付で労働との交換を確認し、有料入場として記録してもらう。
「未成年者の夜間作業は禁止。四時間ごとに交代。ダガンさんが危険と判断した物は、好意であっても使いません」
管理官は規定を最後まで読み、募集紙へ許可印を押した。
「百幕祭の宿舎と各町の出店にも、写しを回します。今から届くのは、すでに王都へ来ている人と物だけです」
遠い町から十四時間で助けが来るわけではない。
けれど百幕祭には、王国中から役者、職人、商人、観客が集まっている。
〈青い天幕〉も出場が決まった日に、これまで巡った六つの町へ招待状を送っていた。
誰が王都まで来られたのか、リヴィアは知らなかった。
円形広場の入口に、三つの机を置いた。
ノアは貸出台帳と作業台帳を受け持つ。トワは、椅子、板、柱、灯りを絵で示した案内札を作る。ファナは祭りの食堂と宿舎を回り、募集紙を読み上げる。
ダガンは検査場所へ白い縄を張った。
「持ち込まれた物を、勝手に広場へ運ぶな。ここで俺かカイの確認を受けろ」
「私も止めてよいのですか」
駆けつけたカイが尋ねた。
「安全確認の担当として名を書いたんだろう」
小舞台で十五分の喜劇を上演する予定だったエナ、カイ、ヨシュ、ミレイが、四人そろって来ていた。
エナとミレイは布と座具の受付へ、ヨシュは番号札と伝言係へ入る。
作業は、運搬、検査、記録、設営準備の四班に分けた。
交代時刻を大板へ書き、食堂から買った温かいスープを休憩所へ置く。共同席を選んだ者にも食事は別に支給し、途中で体調が悪くなれば、作業時間が足りなくても席を取り上げない。
「席を得るために、無理をする人が出ませんか」
ノアが尋ねた。
「出ます」
芝居を見たい者ほど、痛みや疲れを隠すかもしれない。
「本人の申告だけにしません。班ごとに休憩を確認します」
ノアは大板の最上段へ、全体進行――リヴィア・フェンと書いた。
王立劇場にいたころなら、そこは空欄だった仕事だ。
リヴィアは文字を消さず、その下へ班長たちの名を加えた。
「先輩、何をすればいいですか」
エナに聞かれ、リヴィアは担当表を渡した。
「私に確認しなくても、この範囲は皆さんで決めてください。危険と金額に関わる変更だけ、ノアかダガンへ」
四人は一度だけ顔を見合わせ、それぞれの机へ散った。
募集を出して一時間。
集まったのは、椅子三十九脚、板二十六枚、柱二本、灯り五つ。
作業者は十七人。
数だけなら増えていたが、背脚の割れた椅子が四脚、雨を吸った板が七枚あった。
「乾けば使えます」
持ち込んだ男が言う。
「明日の朝までには乾かん」
ダガンは返却の札をつけた。
「数に入れるな」
断るたび、残りの数字が遠くなる。
それでもリヴィアは、使えない物を帳簿へ足さなかった。
別の劇団からは、六十脚を貸せるという申し出が来た。
ただし、その劇団の公演は明日の午後である。〈青い天幕〉の終演後、一時間以内に返してほしいという条件だった。
「解体と点検を含めれば、一時間では返せません」
「でも、今だけなら数はそろうでしょう」
「返せない約束で、そちらの舞台を壊すわけにはいきません」
リヴィアは六十脚を受け取らなかった。
募集紙の数字が一度に埋まる話だったが、帳簿には不採用と理由を残す。
自分たちの公演を開くために、別の一座の幕を上がらなくしてはならない。
二時間目の鐘が鳴るころ、石粉のついた荷車が広場へ入ってきた。
「長椅子十脚。四人ずつ座れる」
先頭にいたのは、グラーデンのゴードだった。
その横で、エッダが前掛けのポケットから貸出票を出す。
「石工組合の王都詰所から借りてきたよ。あんたたちの最初の芝居に貸したのと、同じ寸法だ」
「どうして王都に?」
「招待状を送ったのは、そっちだろう」
「来てくださるとは書かれていませんでした」
「行くとも書かなかったからね」
長椅子は重かった。
石工たちは二人一組で持ち、ぬかるみを避けて検査場所へ運ぶ。ゴードが座面へ白墨で四つの区切りを引いた。
管理官が幅を測り、四十席として認める。
エッダは広場の泥を見回した。
「空の椅子は、待っていれば埋まるもんじゃない。運ぶ人間が要るんだよ」
次に届いた荷車には、風の町フィオラの印があった。
乾いた布、折り畳みの腰掛け、風除けに使う細い支柱。
荷台から降りたサナを見つけ、トワの手が止まる。
サナは娘を抱き締める前に、濡れた上着と指先を確かめた。
「怪我は?」
トワが、ない、と手話で答える。
「では仕事に戻りなさい。私は貸出条件を説明するから」
布は祭りの染色組合が展示に使っている物だった。端を切らないこと。泥がついた場合は洗濯代を払うこと。明日の正午までに返すこと。
サナは条件を一つずつノアへ読ませ、間違いがないと確かめてから署名した。
トワは母親の名がついた札を布へ結び、ようやく笑った。
夜半前、広場へ規則正しい足音が近づいた。
グレンツのローデンと、仕事着に記章だけをつけた十二人だった。
中止になった行列の観覧台から、床板と支柱を借り受けている。祭りの行列責任者と消防団、両方の許可証もそろっていた。
「英雄の救援隊ではありません」
ローデンがダガンへ書類を渡す。
「解体と運搬の作業班です」
「なら、持ち場を決める。昔の階級は広場へ持ち込むな」
「承知しました、安全責任者」
十二人は命令を待たず、床板の泥を落とす者、反りを調べる者、運ぶ者に分かれた。
レナートから来た荷運び人たちは、五本の綱を張って荷車をぬかるみから引き出した。
積んでいたのは、水運組合の展示台に使う乾いた板と縄だった。
「ファナ! 歌うだけなら手伝わんぞ!」
「板を運びながら歌います!」
「息が余ってるなら二枚持て!」
ファナは本当に二枚持とうとして、ダガンに一枚へ減らされた。
板は百三十二枚まで集まった。
そのうち十二枚は、節の位置と反りが基準を外れた。
使える板は、必要数と同じ百二十枚。
一本でも割れれば足りない。
「予備を探し続けます」
リヴィアが言うと、ダガンはうなずいた。
「使える物がそろっただけだ。まだ舞台にはなっていない」
夜明けが近づくにつれ、広場へ入る荷車は増えた。
ミレナの布商たちは、王都の宿と出店から借りた椅子を一脚ずつ集めてきた。レオの母親は、所有者ごとに色の違う糸を背へ結んでいる。
レオは七列目と書いた札を一枚、勝手に作っていた。
「円い客席に、七列目があるかはまだ分かりません」
リヴィアが言う。
「じゃあ、舞台が半分隠れるところ」
「見えない席を希望しないでください」
「前に見えなかったところが、今度は見えるか確かめるんだ」
その理由では断れなかった。
カーデルの一団は、行列用の角灯十五基を運んできた。
ユリクが、何も描かれていない札を灯りの一つへ結ぶ。
主任監督官は、火皿が風除けの硝子で覆われていることと、消火砂を一基につき一箱置くことを条件に、屋外使用を認めた。
これで灯りは二十。
柱は八。
作業者は交代を含めて五十二人。
足りないのは、椅子だけになった。
夜明けの鐘が鳴ったとき、ヨシュが三度目の数を読み上げる。
「二百九十七席です」
あと三席。
祭りの宿舎も食堂も、貸せる椅子は出し尽くしていた。
リヴィアは、舞台馬車の後部を見た。
王立劇場を辞めた夜、〈青い天幕〉にあった客席は三脚だけだった。
一脚は背もたれを継ぎ、もう一脚は高さの違う脚へ木片を足し、最後の一脚には何度塗り直しても消えない染みがある。
町を巡るたび修理し、それでも手放さなかった三脚だった。
「ダガン。あの椅子は使えますか」
三脚を並べ、ダガンが接合部と脚を確かめる。
体重をかけ、揺らし、地面へ置いたときの傾きを見る。
「使える」
短い判定だった。
トワが最後の番号札をつける。
二百九十八。
二百九十九。
三百。
最初は三つしかなかった客席が、六つの町と王都を通って、三百席になった。
リヴィアは礼を言おうとした。
だが、広場にいる誰も、礼を聞くために手を止めてはいない。
「返すのは、終演後です」
ノアが貸出台帳を閉じずに言った。
「物も、仕事も」
「はい」
「ですから、まだ受け取ったところです」
リヴィアは頭を下げる代わりに、次の担当表を取った。
礼は舞台で返す。
そのために今は、働く。
空が白み、円形広場の全体が見えるようになった。
三百席。
百二十枚の板。
八本の柱。
二十の灯り。
必要な物は、すべてそろっている。
しかし椅子を四角く並べれば、四本の避難路を確保できない。中央へ元の舞台を再現すれば、幅の広い影幕が後方席から見えず、五本の綱は通路を横切る。
第三十七舞台を、屋根だけ外して作り直すことはできなかった。
「臨時検査まで、四時間」
管理官が告げる。
「配置図を提出してください」
ダガンが地面へ引いた円の中には、まだ舞台を置く場所がない。
リヴィアは、不ぞろいな三百席を見回した。
石工の長椅子。
風の町の腰掛け。
砦の観覧椅子。
船着き場の折り畳み椅子。
水染みの残る町から届いた椅子。
劇場都市の赤い座席。
そして、〈青い天幕〉の三脚。
同じ向きへ並べるから、見えない場所ができる。
「舞台を一つの場所に置くのを、やめましょう」
ノアが顔を上げた。
リヴィアは円の中心ではなく、客席と客席の間を指した。
「三百席の間を、物語が通る舞台にします」




