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王立劇場で十二年間、名無しの代役でしたが、外れ役紋【空白】で旅一座を始めます~訳あり役者の舞台は今日も満員です~  作者: やまご


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第41話 王立劇場からの手紙

 白い封蝋には、王立劇場の金の王冠が刻まれていた。


 リヴィアは舞台馬車の机に座り、しばらく封を切れなかった。


 十二年間、同じ封蝋の書類を何百通も運んだ。


 配役表。


 稽古日程。


 急な代演命令。


 けれど、自分宛ての封書を受け取るのは初めてだった。


「日付は十二日前です」


 ノアが封筒の裏に並んだ中継印を確かめる。


 レナート。


 ミレナ。


 カーデル。


 〈青い天幕〉の巡業先を追い、ようやく届いたらしい。


「開けないのですか」


「開けます」


「急かしてはいません」


「分かっています」


 答えながら、リヴィアは封蝋へ小刀を差し込んだ。


 厚い便箋が三枚。


 一枚目は、ベルモンド支配人からの書状。


 二枚目と三枚目は、正式な契約案だった。


 冒頭には、これまで一度も書かれなかった言葉がある。


 ――女優リヴィア・フェン殿。


 名無しの代役でも、舞台監督補佐でもない。


 自分の名前と、女優という職が並んでいた。


 王立劇場は、リヴィアを首席女優兼上演監督として迎える。


 契約期間は一年。


 給金は退職前の三倍。


 王都の住居と衣装は劇場が用意する。


 舞台監督助手を二人付け、稽古日程と安全管理について、各演目の演出家へ是正を求める権限を与える。


 復帰第一作は、冬の記念公演『春冠の女王』。


 主演欄、劇場正面の看板、すべての広告へ、リヴィア・フェンの名を掲げる。


「本当に、主演ですか」


 ファナがリヴィアの肩越しに便箋をのぞく。


「しかも、上演監督です。給金は……」


 数字を見たファナが、口を閉じた。


「高いのか」


 ダガンが尋ねる。


「私たち五人が三か月働くより、多いです」


「高いな」


 ベルモンドは、リヴィアの退職後に起きたことも書いていた。


 代役の不足。


 稽古進行の遅れ。


 舞台裏の連絡漏れ。


 若い補助役者が四人、相次いで辞めたこと。


 予定していた地方公演を二つ中止したこと。


 王立劇場は今、見えない仕事にも正式な役職と報酬を与える改革を進めているという。


 謝罪の言葉はなかった。


 代わりに、評価を改めた、と書かれていた。


「ずいぶん遅い評価ですね」


 ファナが言う。


 トワは書状を読むと、手帳へ短く書いた。


 ――嬉しい?


 リヴィアは、すぐに答えられなかった。


 名前を掲げてほしかった。


 自分の仕事を、一度でよいから正しく数えてほしかった。


 十二年間望んでも得られなかったものが、三枚の紙にすべて記されている。


「嬉しくないと言えば、嘘になります」


 トワへ見えるように答えた。


「戻りたいのですか」


 ファナが尋ねる。


「それは、まだ分かりません」


 給金だけなら、迷う余地はない。


 王立劇場で一年働けば、〈青い天幕〉の馬車を新しくしても余るほどの金を得られる。


 上演監督の権限が本物なら、若い代役たちの名前を出演札へ載せることもできるかもしれない。


 自分が戻ることで、以前と同じ扱いを受ける者を減らせる可能性もある。


 悪い条件ではなかった。


 むしろ、断る理由を探すほうが難しいほど整っている。


「契約書を見てもよいですか」


 ノアが尋ねた。


 リヴィアがうなずくと、彼は便箋を一枚ずつ机へ並べた。


 給金。


 契約期間。


 住居。


 名前の掲示位置。


 上演監督として持つ権限。


 途中解約の条件。


 ノアは感情を挟まず、条文を確認していく。


「助手二人の給金も劇場負担です。主演を降ろされた場合も、上演監督としての給金は変わらない」


「珍しく、抜け目がありませんね」


「ベルモンド支配人も、今度は断られたくないのでしょう」


「問題は?」


 ダガンが聞く。


 ノアは三枚目の下部を指した。


「専属条項です」


 契約期間中、王立劇場の許可なく、ほかの劇団の有料公演へ出演してはならない。


 契約開始日は、十二日後。


 百幕祭の開幕より、十二日早い。


「両方は無理なのですね」


 リヴィアが確認する。


「王立劇場が許可を出せば可能です。ただ、この契約には復帰第一作の稽古へ専念するとあります」


「百幕祭へ出るなら、契約を断る。契約を受けるなら、百幕祭へは出ない」


 ダガンが簡潔にまとめた。


 机の右に、王立劇場の契約案。


 左に、百幕祭の招待状。


 どちらにも、リヴィア・フェンの名が書かれている。


 一方は、誰より大きな主演名として。


 もう一方は、五人の名前の一つとして。


「返事はいつまでですか」


 ファナが尋ねる。


「七日以内です。王都へ向かう道は百幕祭と同じですから、期限には間に合います」


「断りましょう」


 ファナは即座に言った。


 その隣で、ダガンが首を横へ振る。


「お前が決めることではない」


「でも、今さらですよ」


「今さらでも、条件は条件だ。三倍の給金で、安全を止める権限もある。リヴィアが十二年かけて得るはずだったものだ」


「十二年、くれなかった場所でしょう」


「それも事実だ」


 二人の意見は、どちらも間違っていない。


 トワは新しい頁へ、王冠と青い天幕を描いた。


 その間に立つリヴィア。


 どちらからも腕を引かれてはいない。


 ――どっちで演じたい?


 トワの問いに、リヴィアはまた答えられなかった。


 演じたい役なら分かるようになった。


 けれど、どこで生きたいかまで、すぐに選べるわけではない。


 ノアは契約書を返すと、百幕祭までの行程表を開いた。


「明朝、カーデルを発ちます。王都までは舞台馬車で六日。返答期限の前に着けます」


「一座は、どうするのですか」


 リヴィアが尋ねる。


「あなたが契約を受けた場合です」


 ノアの手が一瞬だけ止まった。


「百幕祭の実行委員会へ、出演者変更を申請します」


「〈創演〉なしで?」


「招待理由が変わるため、推薦を取り消される可能性はあります。ですが、ファナの歌とトワの影を中心にした演目へ組み直し、一般枠にも応募します」


「それほど短い期間で?」


「難しいでしょう」


「最後の印は?」


「祭りで取れなければ、その前後の町を探します」


 すでに代わりの道を考えている。


 リヴィアがいなくても、一座を止めないための道。


 座長として、正しい。


 自分も王立劇場で、欠員が出るたび同じことをしてきた。


 それなのに、胸の奥へ小さな痛みが走った。


「ずいぶん早く、私のいない予定を作るのですね」


 言ってから、責めるような響きになったと気づく。


 ノアは否定も謝罪もしなかった。


「作らなければ、あなたは一座が困るからという理由で残ります」


 リヴィアは答えられなかった。


 その通りだった。


 必要とされる場所を守るためなら、自分の希望を後回しにできてしまう。


 王立劇場で十二年間、そうしてきた。


「〈青い天幕〉は、あなたを失っても困らない一座ではありません」


 ノアが言う。


「とても困ります」


「では――」


「それでも、困ることを理由に、あなたの行き先を決めたくありません」


 乾いた冗談もない、静かな声だった。


「この契約を受けるかどうかは、リヴィアが選んでください」


 欲しかったはずの自由だった。


 誰かの穴を埋めるためではなく、自分で舞台を選ぶ自由。


 その自由が、今はひどく寂しく感じられた。


 リヴィアは二通の書類を重ねず、机の左右へ置いたままにした。


 名前が最も大きく書かれた契約書。


 五人の名前が同じ大きさで並ぶ招待状。


 返事まで、あと七日。

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