第40話 六つ目の印、百幕祭への招待
正午の鐘が鳴るころ、評議会の長机には十二種類の書類が並んでいた。
三つの公演申請書。
二つの取り下げ届。
百五十二人分の切符台帳。
舞台と客席の安全報告。
喝采魔法の測定記録。
リヴィアの役紋を写した薄紙。
そして、二百四十一年前の『始原役紋記』。
カーデル劇場評議会は七人で構成されている。
役紋局、劇場主組合、役者組合、脚本家組合、舞台職人組合、消防団、市役所から一人ずつ。
傍聴席に座った〈青い天幕〉の五人は、眠っていない顔を並べていた。
「最初に確認します」
議長を務める市役所の男が言った。
「申請されたのは『三つの扉』の〈英雄〉、〈賢者〉、〈道化〉の三結末。実際に上演されたのは、いずれにも該当しない第四の結末です」
「はい」
リヴィアは立って答えた。
「許可条件への違反を認めますか」
「認めます」
傍聴席の後ろで、小さなどよめきが起きた。
ここで台本の解釈だったと言い張ることはできる。
観客参加の範囲だったと主張することもできる。
けれど、予定になかった役と台詞を加えた事実は変わらない。
「では、公演は無効にすべきです」
役者組合の代表が言った。
「長年、同じ台詞を守ってきた役者がいる。客席から一言飛んだからといって、古典を好きに変えられては、積み上げた技術が意味を失います」
「私も、三つの結末をなくすべきだとは思いません」
リヴィアが答える。
「ならば、なぜ変えたのです」
「三つに当てはまらない問いが、客席から出たからです」
「子どもの思いつきでしょう」
「最初は、そうです」
ユリク一人の声で始まった。
しかし、残りの観客は強制されていない。
使わなかった札を掲げるかどうかは、一人ずつが選んだ。
ファナは歌うことを選び、トワは四つ目の影を作り、ダガンは安全を確認して扉の木肌を見せた。
ノアは既存の台詞を渡さなかった。
リヴィアも、〈英雄〉の型を捨てて新しい役を選んだ。
「誰か一人の思いつきだけでは、〈創演〉は発動しません」
「それを、どう証明しますか」
主任監督官が、昨夜の再現検査を読み上げた。
リヴィア一人では、同じ台詞と立ち位置でも発動しない。
一座だけでも不完全。
観客の自発的な参加が加わったときのみ、舞台内に小規模な幻影を形成する。
熱、衝撃、場外への流出はない。
参加を終えれば、幻影も消える。
「安全だったのは、偶然かもしれません」
消防団の代表が言う。
「その可能性はあります」
ダガンが立った。
「だから、次からも安全とは限らん。新しい演目ごとに、装置、避難路、想定する喝采魔法を調べるべきだ」
「新作を自由化しろ、と言うのではないのですか」
「安全確認をやめろとは、一度も言っていない。事故の原因を、新しいという一語だけで済ませるなと言っている」
三十八年前の事故には、台本だけでなく、油灯の位置と避難誘導の遅れがあった。
危険な新作は止める。
危険な古典も止める。
安全な可能性まで、試す前に閉じない。
ダガンの意見は、その三つだった。
舞台職人組合の代表が、安全報告をもう一度読み直す。
「〈木の実劇場〉の床板を見つけたのも、この男か」
劇場主組合の代表である老女が答えた。
「そうだよ。あたしの劇場は、昨日より安全になって返ってきた。第四の扉で焦げ跡一つ増えちゃいない」
今度は、脚本家組合の代表がノアを見た。
「許可なく台詞を変えられて、作者としてはどう考える」
視線が集まり、ノアの喉が固くなる。
リヴィアは立ち上がらなかった。
代わりに話すのではなく、彼が言葉を選ぶ時間を待つ。
ノアは閉じた台本を机へ置いた。
「三つの結末は、残します」
一度、息を継ぐ。
「第四の結末も、残したい。あれは私の台詞ではありません。だから、私一人の名前で所有もしません」
台本の作者欄が開かれる。
――〈青い天幕〉と、今夜の客席。
「古典を消すのではなく、選べる結末を一つ増やしてください」
長机の向こうで、七人が沈黙した。
最後に開かれたのは、『始原役紋記』だった。
役紋局代表の主任監督官が、古い記述と昨夜の形を並べる。
「一致する特徴は九つ。相違は、線の本数のみ。記録にも、〈創演〉は関わった人数と演目によって線が変わるとあります」
「二百年以上、現れなかった役紋を、今さら正式なものとするのですか」
役者組合の代表が問う。
「今さらではありません」
主任監督官は、自分が書いた不認定票を机へ出した。
「知らなかったのは、こちらです」
空白は役ではない。
昨日、そう断じた本人が、自分の誤りを議事録へ残す。
「〈創演〉を、王国の始原台帳に基づく正規役紋として認定することを提案します」
採決が行われた。
賛成、五。
反対、二。
全員ではない。
それでも、必要な数には届いた。
次は、公演の扱いだった。
許可条件に違反した事実は、警告として記録する。
一方で、主任監督官が停止の鐘を鳴らさず、安全係の監督下で終演まで継続したこと。
百五十二人全員が有料入場者として記録され、途中退場がなかったこと。
終演後の再現検査で、〈創演〉の発動条件と安全範囲を確認できたこと。
三つを理由に、昨夜の上演を正式な公開判定公演として認める。
こちらの採決は、賛成四、反対三だった。
「ぎりぎりですね」
ファナが囁く。
トワが、指一本分の隙間を描いた。
本当に、その程度の差だった。
最後に、古典台帳の追補頁が開かれた。
第三十七番。
『三つの扉』第四結末。
題名を書くよう求められ、ノアはリヴィアとトワを見る。
トワが、木肌のままの扉と、その前に並ぶたくさんの足跡を描いた。
「『みんなで開ける扉』」
リヴィアが言う。
華美ではない。
けれど、あの夜を間違えようのない名前だった。
作者欄には、台本と同じ言葉が記された。
〈青い天幕〉と、初演の客席。
「これで、カーデルの認可演目は三十七本です」
主任監督官が宣言した。
二十六年ぶりに、町の芝居が一つ増えた。
評議会が終わると、五人は役紋局の窓口へ戻った。
巡業札が開かれる。
交差するつるはし。
風の中に開いた手。
開いた砦門と車輪。
五本の波を渡る舟。
継ぎ跡のある椅子と川。
六つ目の円へ、カーデルの印章が押された。
四つの扉と、その向こうへ続く幾つもの足跡。
六つ目の満員印だった。
期限まで、残り三十七日。
必要な印は、あと一つ。
「もう一通、こちらを」
主任監督官が、青と銀の招待状を差し出した。
発行者は、王都郊外・百幕祭実行委員会。
毎年、秋の終わりに百の舞台が集まる、王国最大の演劇祭。
実行委員会から主要な劇場都市へ、一座を直接招待できる推薦枠が一つずつ与えられている。カーデルは、その枠を新しく登録した演目へ使うと決めた。
「評議会の採決前に、用意していたのですか」
リヴィアが尋ねる。
「招待状の用紙は、毎年届きます。今年も空欄で返すつもりでした」
招待状には、一座の全員が記されていた。
主演、リヴィア・フェン〈創演〉。
脚本・演出、ノア・ヴァイス。
影絵、トワ。
歌唱、ファナ・ベル。
舞台機構・安全管理、ダガン。
誰も、補助や名無しとは書かれていない。
百幕祭の推薦舞台は三百席。
満員になれば、巡業札の最後の印として認められる。
開幕まで、二十四日。
「行きますか」
ノアが尋ねる。
以前なら、条件と危険をすべて数え終えるまで答えなかった。
今のリヴィアには、自分で選びたい舞台がある。
「行きましょう」
五人の名前が書かれた招待状を、皆で囲んだ。
百幕祭。
最後の満員印。
そして、王都へ戻る道。
劇場を出ると、町の人々が未使用の選択札を入口の柵へ結んでいた。
剣、杖、鈴。
その間に、ユリクが何も描かれていない四角い札を一枚加える。
〈青い天幕〉は、三十七番目の演目と六つ目の印を載せ、カーデルを発つ準備を始めた。
舞台馬車へ戻ったリヴィアを、もう一通の封書が待っていた。
白い封蝋に、金の王冠。
差出人は、王立劇場支配人ベルモンドだった。




