↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王立劇場で十二年間、名無しの代役でしたが、外れ役紋【空白】で旅一座を始めます~訳あり役者の舞台は今日も満員です~  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/50

第38話 客席が書いた最後の台詞

 『三つの扉』の最初の台詞を、客席の半分が知っていた。


「山の頂には――」


 リヴィアが言い始めると、どこかで幼い声が続きを口にしかける。


 隣の大人に止められ、声は小さな笑いへ変わった。


 カーデルでは、子どもでさえ古典を覚えている。


 旅人が村を出る場面。


 道に迷い、影の獣と出会う場面。


 三つの扉が山の上へ現れる場面。


 観客は次の言葉も、次の立ち位置も知っていた。


 それでも今夜だけは、舞台から目を離さない。


 最後にどの扉が開くのかを、まだ誰も知らないからだった。


 第一幕では、リヴィアの〈空白〉に既存の型は浮かばなかった。


 英雄になる前の旅人。


 賢者になる前の旅人。


 道化になる前の旅人。


 三つの可能性を抱いたまま、五本の青銀の線だけが淡く光っている。


 主任監督官は最前列の端で、携帯用の銀鏡と検査票を見比べていた。


 その隣には安全係と記録係。


 机の上には、結末名を空欄にした二枚の取り下げ届が置かれている。


 第二幕の終わり。


 影幕へ、三つの扉が並んだ。


 赤。


 白。


 黄色。


「旅人よ。一つを選べ」


 影の獣が、台本どおりに問いかける。


 幕が下り、第二の鐘が鳴った。


 客席の通路へ、三つの投票箱が運ばれる。


 ファナが間奏を歌うあいだ、観客は剣、杖、鈴の札から一枚を選んだ。


 迷わず剣を入れる者。


 隣同士で言い争った末、別々の箱へ入れる夫婦。


 最後まで三枚を見比べる者。


 最前列の少年だけは、どの箱にも入れなかった。


 八歳ほどだろうか。


 三枚の札を膝へ並べ、困ったように扉の影を見ている。


「ユリク、一枚選ぶのよ」


 母親が小声で促す。


 少年は首を横へ振った。


 投票箱が閉じられる。


 舞台袖で、記録係が札を数えた。


 剣、五十七。


 杖、五十。


 鈴、四十四。


 無投票、一。


 選ばれたのは、〈英雄〉の結末だった。


 主任監督官が結果を確認し、白と黄色の取り下げ届へ結末名を書き込む。


 二つの公演は、第三幕の前に取り下げられた。


 トワが、剣と星の影札を掲げる。


 ダガンは回転扉へ赤い布を固定し、二つの止め金を確かめた。


 ファナの間奏が行進歌へ変わる。


 リヴィアは袖に置かれた木剣を取った。


 五十七人が選んだ結末。


 稽古したとおりに演じればよい。


 〈空白〉へ、剣と星の形が重なり始めた。


 第三の鐘。


 幕が上がる。


 赤い扉の向こうで、影の獣が村へ続く道を塞いでいる。


「この扉を通れるのは、一人だけ」


 ファナの歌に合わせ、トワが獣の口を動かした。


「剣を持つ者よ。お前一人で我を倒せ。さすれば、後ろの者たちを通してやろう」


 旅人は剣を抜く。


 ここから先の台詞も、リヴィアはすべて知っている。


 ――私一人で十分だ。


 それが〈英雄〉の旅人が答える、三百年前から変わらない一言だった。


 口を開こうとした、そのとき。


「どうして一人なの?」


 最前列から声が飛んだ。


 ユリクだった。


 母親が慌てて少年の肩を抱く。


「ごめんなさい。静かにしなさい」


 客席にざわめきが広がった。


 カーデルの劇場では、台詞へ声を重ねることさえ嫌われる。


 まして、役者へ問いかける観客などいない。


 主任監督官が停止の鐘へ手を伸ばした。


 舞台上で、リヴィアは剣を構えたまま止まっていた。


 台本どおりなら、聞かなかったことにして続ければよい。


 公開判定を通るためにも、それが正しい。


 だが、ユリクは三枚の札を胸元へ抱えている。


 どの結末も選ばなかった、ただ一人の観客。


「三つとも、嫌だったのですか」


 リヴィアは、旅人のまま尋ねた。


 監督官の手が、鐘の上で止まる。


「嫌じゃない」


 ユリクは立ち上がった。


「でも、村の人も後ろまで来たんでしょう? 旅人だけが戦うのは変だよ」


「扉は一人しか通しません」


「だったら、別の扉を作ればいいじゃないか」


 客席が静まり返った。


 三つの扉しかない物語で、誰も口にしたことのない答えだった。


「四つ目を?」


 リヴィアが聞く。


「うん。剣でも杖でも鈴でもない扉」


「何で作りますか」


 ユリクは、手元の三枚を高く掲げた。


「これ。使わなかった札」


 百五十一人の手元にも、投票しなかった二枚が残っている。


 捨てられるはずだった選択肢。


 リヴィアは袖を見た。


 ダガンは回転扉の安全止めを確かめている。


 危険なら、彼は首を横へ振る。


 今回は、短くうなずいた。


 ファナはトワの視界へ入り、四本の指を立てた。その指で空中に四角を描く。


 四つ目の扉。


 トワは意味を受け取った。


 三つの影札を置き、何も描かれていない透明板を取り出す。


 ノアは袖で台本を開いていた。


 第三幕の残りは、〈英雄〉の台詞で埋まっている。


 彼は一度だけリヴィアを見る。


 それから台本を閉じた。


 続きを書くのではなく、舞台へ任せると決めた顔だった。


 主任監督官が立ち上がる。


「予定外の台詞と役は、許可条件に反します」


「はい」


 リヴィアは答えた。


「続ければ、判定は不合格になる可能性があります」


 六つ目の印。


 残り三十八日。


 ここで失敗すれば、一座の免許を失うかもしれない。


 けれど、客席へ結末を選んでもらうと言ったのは、自分たちだった。


 三つの中から選べという意味だけだったと、今さら閉じることはできない。


「それでも、これは客席が選んだ結末です」


 リヴィアは木剣を床へ置いた。


 重なりかけていた〈英雄〉の剣と星が消える。


「私は、四つ目の扉を作ります」


「一人で?」


 ユリクが尋ねる。


「いいえ。私一人では作れません」


 リヴィアは客席へ両手を差し出した。


「使わなかった札を、貸していただけますか」


 最初に立ったのは、ユリクだった。


 三枚の札を持ち、通路を舞台へ向かう。


 母親は止めなかった。


 次に、〈賢者〉へ投票した老女が、残っていた剣と鈴の札を掲げた。


 〈英雄〉を選んだ男も、杖と鈴を持って立つ。


 一人、また一人。


 百五十二人が、選ばなかった札を頭上へ上げた。


 ファナが、台本にない旋律を歌い始める。


 言葉はない。


 上がっていく札の数に合わせ、短い音を重ねるだけの歌だった。


 トワが透明板へ、四角い枠を描く。


 影幕の三つの扉の隣に、色のない扉が現れた。


 ダガンは赤い布を外す。


 回転扉の裏側に残っていた、塗装前の木肌を客席へ向けた。


 剣でも、杖でも、鈴でもない。


 まだ何になるか決まっていない扉。


 ユリクが舞台の手前へ三枚の札を置いた。


「向こうには、何がありますか」


 リヴィアが尋ねる。


「分からないよ」


 少年は少し考えてから、笑った。


「分からないから、みんなで開けるんだ」


 それが、『三つの扉』に生まれた新しい最後の台詞だった。


 リヴィアが扉へ手を掛ける。


 同時に、ファナの歌、トワの影、掲げられた三百枚以上の札が一つの光へ重なった。


 胸元の〈空白〉が熱を持つ。


 五本の青銀の線が伸びる。


 剣にも、杖にも、鈴にもならない。


 線は、何もなかった円の中央へ集まり、開きかけた扉のような形を描いた。


 リヴィアとユリクが、木の扉を押す。


 扉の向こうへ、無数の足跡が続く光の道が現れた。


 舞台の範囲を越えない、小さな幻。


 それでも、百五十二人全員が、自分もその道を作ったのだと分かる光だった。


 幕が下りる。


 一拍遅れて、劇場を揺らす拍手が起きた。


 携帯用の銀鏡が、胸元の新しい形を映している。


 終演しても、それは消えなかった。


 主任監督官は停止の鐘から手を離し、震える銀鏡を両手で持ち直した。


「これは、〈英雄〉でも〈賢者〉でも〈道化〉でもない」


 空白だった円の中に、台帳に存在しない役が刻まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。