第37話 結末を知らない稽古
「同じ時刻に、三公演を申請するのですか」
主任監督官は、机に並べられた三枚の申請書を見た。
演目は、すべて『三つの扉』。
一枚目の結末は〈英雄〉。
二枚目は〈賢者〉。
三枚目は〈道化〉。
「舞台も出演者も同じです」
リヴィアが答える。
「それを、三公演とは呼びません」
「ですが、一つの申請につき一つの結末を届け出る、という条件は満たしています」
昨夜、五人で古典台帳と判定規則を読み直した。
どこにも、三つの申請を同時に出してはならないとは書かれていない。
どの結末を選ぶ者が、一座でなければならないとも書かれていなかった。
「第一幕と第二幕は、三つとも同じです」
ノアが紙に書いた説明を、主任監督官へ渡す。
「第二幕のあと、客席に一つを選んでもらいます。第三の鐘を鳴らす前に、選ばれなかった二公演の取り下げ届を提出します」
机の端には、結末名だけを空欄にした取り下げ届も二枚あった。
主任監督官が眉間を押さえる。
「よくも、これほど面倒な方法を一晩で考えましたね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「褒めてはいません」
申請そのものは、規則に反していない。
ただし、三つの結末すべてについて、安全計画、立ち位置、喝采魔法の予測を書き分けること。
結末の集計には役紋局の記録係を立ち会わせ、第三幕が始まる前に一つへ確定すること。
予定外の台詞と役を加えないこと。
主任監督官は条件を並べたあと、申請書を三枚とも受理した。
「判定対象も三つです。どの型が選ばれるか、今は決められないのですから」
「一つに分類できなければ、不合格です」
「分かっています」
「本当に?」
「分かってはいます」
成功するとは言わなかった。
三公演分の申請料は、銅貨十二枚。
リヴィアは新しい料金規定を開き、通常経費ではなく判定のための特別費として記した。五人で残金と食料を確認し、全員が署名する。
使える金ではある。
だからこそ、失敗すれば何を失うのかも、数字のまま残した。
公開判定まで、二日。
五人は〈木の実劇場〉を借り、三つの結末を同時に稽古し始めた。
『三つの扉』は、三百年近く前に書かれた物語だった。
貧しい村を出た旅人が、山の上で三つの扉を見つける。
赤い扉の向こうには、人を苦しめる獣。
白い扉の向こうには、答えの書かれていない石板。
黄色い扉の向こうには、何もない広場。
第一幕と第二幕は共通している。
第三幕だけが違った。
〈英雄〉の旅人は赤い扉を開け、獣と戦って村を守る。
〈賢者〉の旅人は白い扉を開け、石板へ自分の答えを書く。
〈道化〉の旅人は黄色い扉を開け、何もないことを笑い、広場で市を始める。
「どれも、悪い結末ではありませんね」
ファナは三冊の台本を重ねた。
「三冊とも、最後は旅人が立派だったと村人に褒められます」
トワが手帳へ書く。
――扉を開けなかったら?
「その結末はありません」
リヴィアが答えると、トワは三つの扉が並ぶ舞台を見た。
少し不満そうだった。
舞台奥の影幕には、赤、白、黄色の扉が並んでいる。
本物の扉を三枚置く場所はない。ダガンは第三幕で使う一枚の回転扉を作り、裏表と差し替え布で三色に見せる仕組みにした。
「合図が出る前に触るな。回すときは、床の白線から全員出る」
床板の安全を確かめ、回転軸へ止め金を二つ付ける。
トワは、客席が選んだ結末を袖へ伝える三枚の影札を作った。
剣と星。
杖と石板。
鈴と空の広場。
色だけに頼らず、形でも見分けられる。
ファナは、集計中に歌う三種類の短い間奏を覚えた。
〈英雄〉なら行進歌。
〈賢者〉なら静かな輪唱。
〈道化〉なら、跳ねるような市場の歌。
正式な台詞では喉が固まるファナも、歌なら最後まで声が出る。
問題は、リヴィアだった。
「赤」
ノアの合図で、リヴィアは剣を取った。
「白」
剣を置き、杖を取る。
「黄色」
杖を置き、鈴を袖から外す。
「もう一度。白」
「待ってください。最初から白と分かっていては、判定になりません」
三つの結末を演じられることは、昨日の検査で示した。
必要なのは、どれが選ばれるか分からないまま第二幕まで演じ、合図を受けた瞬間に一つの旅人として第三幕へ入ることだった。
リヴィアは台本をすべて覚えている。
ほかの役者の立ち位置も、扉を回す時刻も、歌の長さも分かっている。
それでも、最後にどの台詞を言うのかだけは分からない。
胸の奥が落ち着かなかった。
「選ぶところまで、自分で管理しようとしていますね」
ノアが言った。
「事故を防ぐには、全体を把握する必要があります」
「全体は把握できます。選ぶのは客席です」
「集計を間違えたら?」
「記録係が数えます」
「影札を取り違えたら?」
トワが胸を張り、三枚の札を床へ正しい順番で並べた。
「扉が途中で止まったら?」
ダガンが回転扉を半周させ、二重の止め金を鳴らした。
「歌が止まったら?」
ファナは大きく息を吸い、三つの旋律を続けて歌った。
全員が、自分の合図を引き受けている。
リヴィアは、自分が不安になるたび、仲間の仕事まで手の中へ集めようとしていた。
「私の仕事は、何でしょう」
ノアに尋ねる。
「合図を信じて、選ばれた扉を開けることです」
「それだけ?」
「十分に難しいでしょう」
否定できなかった。
次の稽古では、リヴィアを舞台へ残し、袖で箱から結末札を引いた。
何が出たかは、トワしか知らない。
第二幕が終わる。
ファナが間奏を歌う。
ダガンが扉を回す。
影幕へ、杖と石板が現れた。
白。
リヴィアは一度だけ息を吸い、剣でも鈴でもなく、杖を取った。
「答えがないのなら、ここへ書く。正しかったかどうかは、帰ってから皆で決めよう」
白い光が杖の先へ集まる。
終幕まで、〈賢者〉の形は消えなかった。
次は黄色。
その次は赤。
ダガンがわざと扉の回転を遅らせた回も、ファナが間奏を一節長くした回も、リヴィアは合図を待った。
三つの結末を二度ずつ通したころには、外が暗くなっていた。
「これが、結末を知らない稽古ですか」
ファナが舞台へ寝転がった。
「知っている結末を三つも稽古しています」
「三倍働いたのに、知らない扱いなのが納得できません」
トワが、床へ倒れたファナの周りに黄色い扉を描いた。
「勝手に道化の結末へ入れないでください」
翌朝、三つの安全計画が承認された。
ポスターには、条例に反しない言葉だけを載せた。
古典『三つの扉』公開判定。
三つすべてが正しい結末。
今夜、最後の扉を選ぶのは客席です。
ファナが広場で三枚の札を掲げると、町の人々は足を止めた。
「『三つの扉』なら、英雄の結末に決まっている」
「賢者よ。獣を倒しても、また次が来るわ」
「道化を見ない者は、あの芝居の意味を分かっていないね」
古典を知り尽くした町だからこそ、意見が分かれた。
昼までに百席。
夕刻前に、百五十二席すべての切符が売れた。
満員でも、公演が終わらなければ印にはならない。
判定に失敗すれば、リヴィアの出演資格も得られない。
開場すると、一人につき三枚の小さな選択札が配られた。
剣。
杖。
鈴。
第二幕の終わりに、一枚だけを投票箱へ入れる。
最前列へ座った幼い少年が、三枚を扇のように広げて母親へ見せている。
リヴィアは幕の隙間から客席を確かめた。
百五十二席、すべて埋まっていた。
舞台には、三つの閉じた扉の影。
袖には、結末を知っている者が一人もいない。
「怖いですか」
ノアが小さな声で尋ねた。
「はい」
リヴィアは正直に答えた。
「ですが、誰かの台本を渡されなかったからではありません」
第一の鐘が鳴る。
リヴィアは、まだ何者でもない旅人として立ち位置へ進んだ。
最後にどの台詞を言うのかを知らないまま、幕が上がった。




