第35話 新しい芝居を禁じる町
カーデルの城門をくぐったとき、リヴィアは最初に劇場の数を数えようとした。
けれど、十六軒で諦めた。
大通りの両側に、円柱を備えた石造りの大劇場が並んでいる。その間の細い路地にも、二階建ての小劇場や人形芝居小屋が看板を出していた。
役者らしい男女が発声しながら歩き、衣装を抱えた仕立屋が行き交う。広場では大道具職人が王城の書き割りを組み立てていた。
「本当に、町全体が劇場なのですね」
ファナは馬車の御者台から身を乗り出した。
「座ってください。着く前に一人減ります」
ダガンに言われ、慌てて腰を戻す。
華やかな町だった。
広場の一角では、若い〈英雄〉役が木剣を掲げていた。
「勝利は、我らの手に!」
声と同時に役紋が光り、剣先から金色の星が三つ飛ぶ。
見物人が拍手すると、指導役の老人は首を横へ振った。
「腕が二寸低い。『七剣王』第三幕の星は、王席から一直線に見えねばならん」
若者は同じ台詞を繰り返した。
今度は、星が決められた高さを正確に通る。
老人がうなずき、見物人から先ほどより大きな拍手が起きた。
古い型を磨くことに、本気で生きている人たちがいる。
新しさがないからといって、仕事まで浅いわけではなかった。
それなのに、妙なところがある。
リヴィアは三軒目の劇場を通り過ぎたところで気づいた。
「同じ題目ばかりです」
掲げられているのは、〈英雄〉が魔王を倒す『七剣王』。
〈姫君〉が国を救う婚姻を選ぶ『白百合の誓い』。
〈賢者〉の最期を描く『冬塔の賢者』。
〈道化〉が悪王を笑わせて改心させる『鈴と金貨』。
どの劇場にも、その四つのうち二つか三つが掛かっている。役者と上演時刻は違っても、題名は同じだった。
トワも看板を見比べ、手帳へ四つの題名を書いた。
その下へ、大きな疑問符をつける。
「人気演目を複数の劇場が競って上演する町なのでしょうか」
リヴィアがトワにも見えるように言うと、ノアは案内書をめくった。
「三十六演目あるはずです」
「残りの三十二演目は?」
「人気がないのでしょう」
「身も蓋もありませんね」
「客席を埋める仕事ですから」
五つ目の満員印を得たばかりの一座には、否定しにくい言葉だった。
期限まで、残り四十日。
六つ目の印を得るには、カーデルで百五十席以上の認可劇場を満員にしなければならない。
五人は大通りを外れ、巡業一座へ貸し出される中で最も小さな〈木の実劇場〉を訪れた。
客席は百五十二。
舞台は狭いが、天井から背景幕を三枚つるせる。左右の袖もあり、床板には大きな反りがない。
ダガンが杖の石突きで舞台を軽く叩く。
「中央はいい。右奥の板が一枚、浮いている」
劇場主の老女は眉を上げた。
「昨日まで王都の一座が使っていたよ」
「昨日抜けなかったから、今日も抜けないとは限らん」
板を外すと、支え材の端が黒く傷んでいた。
老女はしばらく無言で穴を見つめ、それから貸出料を銅貨十五枚下げた。
「直すまで右奥は立入禁止。修理はこちらで持つ。これでどうだい」
「安全確認にも立ち会います」
「片脚のくせに、よく床を見てるね」
「片脚だから、抜ける床にはうるさい」
リヴィアたちは客席、楽屋、避難口を確認した。
新しい料金規定へ数字を入れる。
劇場代。
安全費。
五人の契約報酬。
次の町までの食料と飼料。
七割、百六席の販売でも支払える切符代は、大人四銅貨。子ども二銅貨。
共同席には、まだ一席分も積み立てられていない。それでも料金表から、その欄を消しはしなかった。
「高すぎませんか」
ファナが聞く。
「この町の平均は五銅貨だそうです」
リヴィアが答える。
「では、安すぎませんか」
「すぐ反対側へ行きましたね」
劇場主は計算表より、ノアが差し出した台本を先に見た。
題名は『まだ鍵を持たない門番』。
港町で生まれた五本の線を手がかりに、ノアとリヴィアが道中で考えてきた新作だった。
鍵を持つ英雄ではなく、門の内と外から聞こえる声を確かめ、自分で開ける時を決める門番の話。
リヴィアが今、演じたいと思える役でもあった。
老女は一頁目を読み、二頁目を開かずに台本を返した。
「登録番号は?」
「新作です」
「なら、うちでは上演できないよ」
「舞台機構はほとんど使いません。喝采魔法も光と風の範囲に――」
「出来の話じゃない」
老女は壁を指した。
額に入れられた古い条例が掛かっている。
カーデル劇場保全条例。
有料の公開演劇は、市の古典台帳に登録された三十六演目に限る。
台詞、役、結末の追加および変更を禁ずる。
「新しい芝居が、禁じられているのですか」
「そうだよ」
あまりにも簡単な答えだった。
「劇場都市なのに?」
ファナの声が裏返る。
「劇場都市だからさ」
老女は舞台の奥に残る、焦げた柱を示した。
三十八年前、役紋にない怪物と、五人の英雄を一人で演じる実験劇が上演された。
観客の喝采を受け止める役紋が定まらず、幻の炎が本物の幕と油灯へ燃え移った。死者は出なかったが、二十人以上が怪我をした。
事故のあと、上演できる演目と役紋の組み合わせが定められた。
新作を台帳へ加える審査制度も作られたが、最後に登録されたのは二十六年前だという。
「審査を受けます」
ノアが言った。
「秋まで待てるなら、申請するといい」
「残り四十日です」
「なら、古典をやることだね。あんたたちが嫌いだから言ってるんじゃない。新作を黙って上演されたら、私の劇場免許までなくなる」
理不尽ではある。
だが、老女が意地悪をしているわけでもなかった。
劇場を出たところで、リヴィアは新作の台本を抱え直した。
「古典なら演じられます。王立劇場で、三十六演目すべての代役稽古をしました」
「演じられるかは聞いていません」
ノアが言った。
「何を演じたいですか」
以前なら、劇場へ入れる演目なら何でもよいと答えていた。
今は違う。
「この門番を、私の名前で演じたいです」
ノアはうなずいた。
「では、禁じられる理由を聞きに行きましょう」
五人は台本を持ち、王立役紋局のカーデル支所へ向かった。
石造りの玄関には、剣、花冠、杖、鈴、王冠が彫られている。
その下に掲げられた標語は、短かった。
――正しい役に、正しい喝采を。
窓口の主任監督官は、〈青い天幕〉の巡業札を丁寧に調べた。
「異なる五つの町で、すべて規定数を達成。実績は認めます」
「でしたら、新作の臨時審査を」
「実績と安全審査は別です」
ノアの申し出を、主任監督官は静かに退けた。
「新しい役は、喝采の行き先が分からない。新しい筋書きは、観客が何を信じるか予測できない。カーデルの劇場と職人を守るには、確認された型を繰り返すのが最も安全です」
監督官は、古典台帳の抄本を一冊差し出した。
「この中から選ぶなら、巡業一座でも申請できます」
ノアが目次を確かめる。
『七剣王』には、役紋を登録した七人の〈英雄〉が必要だった。
『白百合の誓い』は三種類の大がかりな宮殿装置を使う。〈木の実劇場〉の舞台には入らない。
『鈴と金貨』の主役は〈道化〉。ファナが即興で客を笑わせても、それは彼女の登録役紋ではなかった。
三十六演目あっても、五人で上演できるものは、ほとんどない。
トワが横から目次をのぞき、一つの題名を指した。
『三つの扉』。
同じ物語に〈英雄〉〈賢者〉〈道化〉、三通りの結末が登録されている珍しい古典だった。
ただし、どの結末を上演するかは、申請時に届け出ること。
トワがその一文を手帳へ写そうとしたとき、監督官が台帳を閉じた。
「演目を決めるのは、出演資格を確認したあとです」
ダガンが焦げた柱について尋ねる。
監督官は事故記録を出し、火の広がり方、避難口、舞台装置の不備まで説明した。
記録そのものに嘘はなかった。
「事故の原因は、台本だけですか」
リヴィアが聞く。
「油灯の位置と、避難誘導の遅れも原因です」
「その二つは改善されたのに、新作だけは今も禁じている」
「未知の役紋を安全に測る方法が、まだありません」
「測る機会を禁じているからでは?」
窓口の空気が固くなる。
主任監督官は怒鳴らなかった。
ただ、リヴィアをまっすぐ見た。
「あなたの主張を聞く前に、確認すべきことがあります。カーデルで上演を望むなら、全出演者の役紋を明朝、検査します」
「裏方もですか」
トワの手帳を見ながら、リヴィアが尋ねる。
「舞台上で役を演じない者は不要です。影絵を操作するだけなら、そちらの少女にも求めません」
トワは小さく息を吐き、今度はリヴィアを見た。
リヴィアの衣装の下には、細い青銀の線を五本抱いた〈空白〉がある。
借りた役紋なら、終演とともに消えるはずの線。
どの台帳にも載っていない形。
主任監督官は巡業札に記された〈空白〉の文字と、リヴィアの顔を見比べた。
「とりわけ、あなたです」
「私?」
「〈空白〉は代役のための仮受け紋です。正式な役ではありません」
監督官は、まだ何も押していない検査票を巡業札の上へ置いた。
「明日、まずあなたが役者であるかどうかから確認します」




