第33話 町から届いた出演料
「切符代の残りを、持ってきたよ」
パン屋の女が差し出した籠には、丸いパンが十二個入っていた。
昨日までの固いパンとは違い、まだ湯気が立っている。
その後ろにも人が並んでいた。
燕麦の袋を抱えた男。
布を肩へ掛けたレオの母親。
木製の車輪を転がしてきた職人。
乾燥豆、照明油、縄、保存食。
道具だけを持ち、仕事で払うつもりらしい者もいる。
朝靄の中の列は、集会場の角を曲がっていた。
「町の役人から、私たちの赤字を聞いたのですか」
リヴィアが尋ねる。
「赤字?」
パン屋の女は首を傾げた。
「そんなものは知らないよ。私は、公演のあとにパンで払うと書いただろう」
ノアが後払い帳簿を開く。
切符番号、四十三番。
支払い内容は、窯の泥を落としたあと、焼ける量のパン。
期限は十日以内。
「十二個とは書いてありません」
「見てから数を決める約束だったはずだ。あの芝居なら十二個だよ」
「三日分に足りない家の食料は、受け取れません」
「うちは昨日から窯が動いてる。店に出す分と家の分は、別に残してある」
女は籠をリヴィアへ押しつけず、机へ置いた。
「確かめて、いらないなら断りな。だが、かわいそうだから持ってきたことにはするなよ。あたしは切符代を払いに来たんだ」
最初の一件から、リヴィアは言葉を失った。
施しなら、断るべきだと思っていた。
だが、一座が公演前に決めたのは、見た人が価値を決める仕組みだった。
公演が終わった途端、その選択を認めないのはおかしい。
「十二個すべて、受け取ります」
リヴィアが答える。
「帳簿へ追加してもよろしいですか」
「そのために来たんだよ」
ノアが支払い内容を書き、女が確認の印をつける。
後払い一件目が、完了になった。
次は、燕麦を持った男だった。
「馬が食べると聞いた。五日分ある」
ダガンが袋へ手を入れ、匂いと乾き具合を確かめる。
「底が少し湿っている。このまま積めば黴びる」
「上だけなら?」
「今日中に広げて乾かせば使える。二日分を代金として受け取り、残りは返す」
「全部持っていけ」
「荷車の重さと馬の腹を決めるのは、あんたじゃない」
男は不満そうだったが、二日分で同意した。
トワが燕麦袋の絵を描き、受領票へ量を示す線を二本入れる。
品物を受け取るたび、同じ確認をした。
本人の物か。
家で必要な分が残るか。
一座が実際に使えるか。
舞台馬車へ安全に載せられるか。
申し出られた物をすべて受け取るわけではない。
濡れた薪は重く、乾かす場所がないため断った。
家の修繕に使える長い釘も受け取らなかった。
薬草酒は、持ち主が「飲めば何でも治る」と言った時点でダガンが返した。
「効くんだぞ」
「何に効く」
「飲めば、怪我を忘れる」
「酒だな」
列に小さな笑いが起きた。
断られた男も、怒らず酒瓶を抱えて帰った。
代わりに、午後から荷積みを手伝うと後払い票を書き直した。
レオの母親は、乾いた布を三反持ってきた。
「家で使う分ではありませんか」
「水に浸かった布のうち、染め直せた物です。店を開けても、今は服を買う人がいません」
「それなら、なおさら今後の商売に」
「全部を渡すとは言っていません」
女性は一反だけを前へ出した。
「残り二反は店へ戻します。これは私とレオ、二人分の追加代金です。あの子のボタンを舞台で使ってくれた分も含みます」
「ボタンは、最初の切符代として受け取りました」
「なら、これは私が笑った分です」
布には、薄い水染みが残っている。
衣装の表には使いにくいが、天幕の内張りや道具袋にできる丈夫さがあった。
リヴィアは用途を説明し、女性の同意を得て受け取った。
青いボタンは返さない。
布も、一座の物として使う。
だからこれは、記念品の交換でも、同情へのお礼でもない。
正式な出演料だった。
列の中で最も大きな品は、木製の車輪だった。
持ってきた車大工は、家族四人で公演を見ている。
「荷馬車が水に持っていかれて、これだけ残った。うちの車軸にはもう合わん」
ダガンは車輪の外周を測り、軸穴へ細い棒を通した。
「このままでは、舞台馬車にも合わない」
「削れば入る」
「削ったら肉厚が足りん。輪縁だけ外して、予備に使う」
「それで四人分になるか?」
「乾いた樫だ。輪縁と、取り外す作業まで含めればなる」
車大工は、その場で道具を広げた。
ダガンと二人で車輪を分解し、使える部材だけを選ぶ。
残りは町へ置いていく。
大きな車輪は、舞台馬車の荷台へ積める半円の予備部材になった。
「一本分、安心して壊せますね」
ファナが言う。
「壊す前提で話すな」
「では、安心して壊れます」
「車輪が安心する必要はない」
その間にも、ノアとリヴィアは支払いを記録した。
後払い票に書かれた内容を、早めに果たしに来た者。
公演前に品物を払ったが、見終えてから代金を増やしたい者。
最初の約束を別の品や仕事へ変えたい者。
どの場合も、古い記録を消さない。
変更前と変更後を並べ、双方が印をつける。
受け取った品には、切符番号を書いた小札を結んだ。
昼までに、三十一件の後払いのうち二十七件が完了した。
残る四件は、約束どおり後日の支払いを希望している。
リヴィアたちは期限を早めさせなかった。
家の修理を後回しにしてまで、一座へ払わせるつもりはない。
子どもたちも、約束の感想を持ってきた。
字で書いたもの。
絵で描いたもの。
逃げた椅子に翼をつけた絵。
牛へ座ろうとして追いかけられる監督官の絵。
トワは一枚ずつ受け取り、本人の前で名前を確認した。
最後にレオが出した紙には、七列目から見た舞台が描かれていた。
前の人の頭で、歩く椅子の車輪が半分隠れている。
代わりに、壁の影はすべて見えていた。
「後ろほど先に見つかるって、本当だった」
「見えなかったところもありますね」
リヴィアが言うと、レオはうなずく。
「次は、椅子をもう少し高くして」
「安全にできるか、相談します」
感想は、銅貨へ替えられない。
だが、次の舞台の客席を作るために使える。
約束したとおり、一座に価値のある支払いだった。
午後には、道具を持った人々が舞台馬車へ集まった。
縫い目のほつれた天幕を直す者。
荷台へ布と保存食を載せる棚を作る者。
泥の少ない街道まで馬車を押すと約束する者。
町の復旧作業を休ませてまで手伝わせないよう、役人がそれぞれの予定を確認した。
ダガンは作業の安全と、馬車へ加わる重さを確かめる。
誰か一人の善意へ頼ったのではない。
一人ずつが、自分に出せる形で、見た芝居の代金を払っていた。
夕方、すべてを積み終えた舞台馬車を、ダガンが計量台へ載せた。
「重量は範囲内。左右の差も問題ない」
食料は、五人で六日分。
馬の飼料は、四日分。
補修布と照明油。
予備の輪縁。
次の町へ向かう途中、橋を一度渡れる通行券もある。橋の運営組合が発行する券を、橋番の男が家族分の後払いとして渡したものだった。
現金は、銅貨二十三枚のまま。
だが、昨日不足していた銅貨百六枚分のうち、旅に使える品と仕事で百十二枚分が埋まった。
六枚分の余裕しかない。
大きな利益ではなかった。
それでも、出発できる。
「足りましたね」
リヴィアが帳簿を見て言う。
「今回は」
ノアが答えた。
「観客が公演後に代金を増やしてくれることを、次の予算には入れられません」
「分かっています」
「本当に?」
「撤退を主張した記録も残っていますから」
ノアは、トワが描いた逃げる座長の絵を見た。
「あれを正式な議事録にしないでください」
役所の職員が、照合を終えた台帳を持ってきた。
「百二十席すべて、支払いまたは正式な後払い契約を確認しました。満員認定に問題はありません」
「印章は?」
ファナが勢いよく尋ねる。
「明朝、巡業札を持って役所へ来てください。その前に、一座内で今後の料金規定を作るよう勧めます」
「なぜですか」
「今回の帳簿は正当です。ただ、四つの支払い方法と百二十通りの値段を、毎回審査するのは役所も一座ももちません」
もっともな指摘だった。
町から届いた出演料で、舞台馬車は再び動ける。
けれど次の町でも同じ奇跡を待つなら、それは商売ではなく賭けだった。
五つ目の印を受け取る前に、一座は自分たちの切符の値段を、もう一度決めなければならなかった。




