第31話 値段を決めるのは観客です
「無料で上演しましょう」
その夜、リヴィアは一座の五人へ提案した。
集会場の隅には、まだ救援物資が積まれている。角灯を一つだけつけ、空の切符箱を囲んでいた。
箱の中にあるのは、レオから受け取った青いボタンだけだ。
「反対です」
ノアは間を置かずに答えた。
「では、この町を出るのですか」
「明日の朝に」
「レオ君へ売った切符は?」
「ボタンを返して謝ります」
「芝居を待っている人がいます」
「それでもです」
ノアが帳簿を開く。
「無料公演には、印も収入もありません。照明油を使い、食料を使い、少なくとも四日は町へ残る。終わったあと、私たちは馬へ食べさせる物すらなくなります」
「町の方は、燕麦や仕事を出せると言っていました」
「条件を決めずに受け取れば、それは切符代ではなく寄付です。災害に遭った町から、一座を養うための寄付を集めるのですか」
言葉は厳しい。
だが、ノアが町の人を切り捨てたいのではないと、リヴィアにも分かっていた。
無料で芝居を見せたあと、一座が食べられないと知れば、住民は自分たちの食料を分けようとする。
それでは、最初から払わせるより悪い。
「あなたは、売れた切符が一枚でも公演しました」
リヴィアは言った。
グラーデンで初めて上演した夜。
客席のほとんどが空でも、二人は幕を上げた。
「あのときは、一枚分の対価を受け取りました。それに一座は二人だった。今は五人分の契約と、馬と、舞台馬車があります」
「人数が増えたら、一人を待てなくなるのですか」
「全員を次の町へ連れていく責任が増えたと言っています」
ノアの声が強くなった。
集会場の壁へ当たり、自分でも驚いたように息が止まる。
大勢の観客はいない。
それでも、言葉を押し出そうとした喉が詰まりかけていた。
リヴィアは返事を急がなかった。
フィオラで覚えたように、沈黙を待つ。
ノアは一度水を飲み、今度は小さな声で続けた。
「私は、無料で見せることが嫌なのではありません。無料にした結果、団員の報酬や安全を削ることが嫌なのです」
「私も、無理に続けたいわけではありません」
「続けたい顔をしています」
「皆さんは顔を読むのをやめてください」
ファナが小さく手を上げる。
「そこは、今笑うところですか?」
「助かりました」
リヴィアが答えると、張っていた空気がわずかに緩んだ。
無料で上演するか。
何もせず撤退するか。
どちらにも、守れるものと失うものがある。
トワが切符箱から青いボタンを取り出し、二人の間へ置いた。
次に紙へ、三つの絵を描く。
銅貨。
燕麦の袋。
椅子を直す手。
最後に、その三つから同じ形の切符へ線を結んだ。
「ボタンは、無料ではなかった」
ダガンが言った。
「銅貨でもなかった」
トワがうなずく。
「現金以外の支払いを、先に仕組みにできればよいのですね」
リヴィアが言う。
「できれば、です」
ノアはまだ帳簿を閉じない。
「何でも一席分にすれば、印を取るための見せかけになる。かといって市場の値段だけで決めれば、今の町では誰も払えない」
「だったら、本人に決めてもらうのはどうですか」
ファナが言った。
「何を?」
「自分が出せる物です。魚の人だって、私が決めるより、自分で魚の値段を決めたほうが喜ぶと思います」
「あの人は高く言います」
「確実に言いますね」
値段を観客へ丸投げするだけでは、取引にならない。
だが、全員へ同じ三銅貨を求める必要もなかった。
「観客が、支払う方法と量を申し出る」
リヴィアは白紙へ書き始めた。
「私たちは、それが本当に受け取れる対価かを確かめ、合意できれば切符を渡す。合意できなければ、別の方法を一緒に考える」
「一人ずつ交渉するのですか」
ノアが尋ねる。
「はい」
「百二十人と?」
「五人で分担すれば、一人二十四人です」
「計算で簡単にしないでください」
それでも、ノアは新しい帳簿用紙を出した。
現金。
品物。
作業。
後払い。
四つの欄を作る。
最初に、受け取らない物を決めた。
三日分に満たない家の食料。
家を直すための木材と釘。
薬、毛布、仕事に一つしかない道具。
本人の物ではない品。
子どもにさせる修繕や運搬作業。
「子どもは、品物か銅貨だけですか?」
ファナが尋ねる。
「家族と相談し、本人の物だと確認できる場合だけです」
リヴィアが答えた。
「何も出せない子は?」
また、答えにくい問いが残る。
ノアは少し考え、帳簿の後払い欄を指した。
「公演後に、芝居の感想を一枚書いてもらうのはどうでしょう。次の脚本を作る資料として、一座が受け取る仕事です」
「文字を書けない子は?」
トワが自分の絵帳面を掲げた。
「絵でも構いません」
それなら、形だけの支払いではない。
誰が何を見たのかは、一座にとって次の舞台を作る材料になる。
大人の作業は、町で通常支払われる賃金を基準に時間を決める。
集会場の床と椅子を直す作業も、切符代にできる。
ただし、ダガンが安全を確認し、完了した分だけ記録する。
公演までに終えられない仕事は、後払い契約にする。
履行日は、町の復旧を妨げない日を本人が選ぶ。
支払われなければ、一座の損失になる。
町や保証人へ肩代わりは求めない。
「危険は、こちらが負うのですね」
ノアが確認する。
「後払いを認めるなら」
「全員が払わない可能性もあります」
「あります」
「それでも公演を?」
リヴィアは、すぐにはうなずかなかった。
無料公演と違い、対価を受け取る契約になる。
だが、帳簿の数字が実際の食料へ変わる保証はない。
「現金だけを待っても、一席しか売れません。何もせず出発しても、銅貨四枚ではカーデルへ着けない」
すでに、安全な道はなかった。
「なら、選ぶべきは、町の人と私たちの両方が次へ進める可能性があるほうです」
ノアは長く息を吐いた。
「公演後、足りなかった場合は?」
「私も一緒に帳簿を見ます。判断した責任を、座長一人へ渡しません」
「撤退を主張したことも、忘れないでください」
「記録しておきます」
トワが議事録の端へ、逃げる座長の絵を描いた。
「その記録ではありません」
翌朝、五人は役人へ支払い方法を提出した。
現物は、内容と合意した価値を記録する。
作業は、完了確認を受けてから切符を渡す。
後払いは、品物か仕事、期限を本人が書き、町は保証せず、一座が回収不能の危険を負う。
役人は一項目ずつ確かめた。
「これなら、無料入場を有料と偽る形にはなりません。ただし、後払い分は印を押す時点で正式な債権として帳簿へ残してください」
「承知しました」
「本当に、町へ請求を回さないのですね」
「回しません」
許可印が押された。
公演日は、四日後。
ファナは、レオの青いボタンを襟へ縫いつけた上着を着た。
トワが作った宣伝板には、値段ではなく四つの絵が並ぶ。
銅貨。
品物。
働く手。
あとで渡す約束の紙。
ファナは広場へ立ち、覚えた宣伝文句を言おうとした。
「旅一座〈青い天幕〉は、四日後に……ええと」
一度止まり、板の絵を見る。
「銅貨のない方は、ないまま来てください!」
通りの人々が振り返る。
「持っている物を奪う一座ではありません。出せる物と、できる仕事と、あとで払える物を聞きます。屋根の板と、三日分しかないパンはお断りします!」
「何を持っていけばいい?」
「私たちに必要で、あなたに余っている物です!」
「そんな都合のいい物があるか?」
「なければ、相談に来てください。座長が百二十人分、悩みます!」
「私だけですか?」
ノアの声に笑いが起きた。
宣伝板の前へ、最初の列ができる。
燕麦を出せる者。
椅子を直せる者。
公演後にパンを焼くと約束する者。
話を聞き、一つずつ帳簿へ書いた。
ダガンの監督で、流された古い船着き場の板が集会場の補修へ回された。屋根には使えない短い材木だが、腐った部分を切れば床板として使える。
作業へ参加した者には、終えた時間に応じて切符を渡す。
トワとファナは、泥で読めなくなった席番号札を描き直した。
三日目の夕方。
百二十枚目の切符が、箱からなくなった。
現金で買われた席。
品物と交換した席。
働いて得た席。
公演後に支払う約束で渡した席。
百二十枚の切符は、同じ一つの値段では測れなかった。
「これでよかったのでしょうか」
ノアが、四つの欄で埋まった帳簿を見る。
「決めるのは、まだ早いです」
リヴィアは答えた。
「芝居を見たあと、この値段でよかったかを決めるのは、観客です」
切符箱は空になった。
だが、銅貨の入った財布は、ほとんど重くなっていなかった。




