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王立劇場で十二年間、名無しの代役でしたが、外れ役紋【空白】で旅一座を始めます~訳あり役者の舞台は今日も満員です~  作者: やまご


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第29話 満員でも財布は空にな

 ファナが入団した日の昼、一座は満員祝いをすることになった。


「何を食べますか?」


 ファナが期待に満ちた顔で尋ねる。


「昨日のパンです」


 ノアが答えた。


「お祝いでは?」


「干し肉が一枚増えます」


「一人に一枚ですか?」


「五人で一枚です」


 ファナはしばらく待ってから、冗談ではないと気づいた。


「今からでも入団を取り消せますか」


「契約書には、次の町へ着く前に申し出るとあります」


「一口も食べていないのに、もう逃げる人になっています」


 トワが干し肉を五等分しながら、六つ目の小さな欠片を作った。


 それをファナのパンへ載せる。


「ありがとうございます。私、この一座で最も大事にされています」


 ダガンが自分の欠片を見た。


「入団初日だけだ」


 四つ目の満員印を得て、新聞の一面へ五人の名前が載った翌日。


 祝いの食卓が固いパンなのには、理由があった。


 机の中央には、ノアの帳簿と切符箱が置かれている。


 レナート公演の有料入場者は、百六十名。


 切符は一枚、銅貨二枚。


 売上は、銅貨三百二十枚だった。


 数字だけを見れば、これまでで最も大きな収入である。


 そこから、東第三荷揚げ広場の使用料を引く。


 百六十脚の椅子を借りた費用。


 照明油、白い帆、平底船に使った木材と車輪。


 新しい宣伝紙と呼び歩きの許可料。


 馬小屋代、六日分の滞在費、食費。


 ファナの客演料。


 トワ、ダガン、リヴィアへ契約どおり支払う取り分。


 ノアが一項目ずつ読み上げ、領収書を並べた。


「残ったのは?」


 ファナが尋ねる。


 ノアは切符箱の底へ手を入れた。


 銅貨が四枚、机へ落ちる。


「こちらです」


「まだ箱の中にあるんですよね?」


 ノアは空の箱を逆さにした。


 紙屑が一つ落ちた。


「これは使えますか」


「昨日なら宣伝紙に使えたかもしれません」


 公演だけを見れば、わずかな黒字だった。


 だが、その黒字では次の町まで馬を食べさせることもできない。


 レナートへ来る前に、グレンツで支払った車軸の修理費。


 工具と滑車の購入費。


 ファナが増えたことで必要になる食料と寝具。


 四十三銀貨から始まった負債も、まだ残っている。


 過去三回の公演で作った蓄えは、舞台馬車を直した時点でほとんど消えていた。


「満員でも、財布は空になるんですね」


 ファナが言った。


「満員印は、利益を保証する印ではありません」


 リヴィアは帳簿を見ながら答えた。


 客を増やすため、椅子を増やす。


 舞台を大きくすれば、材料と運搬費が増える。


 団員が増えれば、できる芝居は増えるが、給金と食費も増える。


 百六十人を集めても、切符が安すぎれば残らない。


 当たり前の計算だった。


 それでも、満員にすることばかりを考え、いくら残すべきかを後回しにしていた。


「私の取り分を、入団費にして返しましょうか」


 ファナが財布へ手を伸ばす。


「受け取りません」


 リヴィアは即答した。


「昨日の仕事に対して支払った報酬です。入団するために買い戻させる契約ではありません」


「でも、このままでは」


「団員の報酬を返させて黒字にするなら、帳簿の意味がありません」


 トワも自分の小さな財布を両手で押さえ、絶対に返さないという顔をした。


 ダガンは帳簿を引き寄せる。


「俺の工具と車軸を削る案も却下だ。次に壊れれば、今回より高くつく」


「まだ何も言っていません」


 ノアが答える。


「顔が言っている」


「皆さん、顔で分かるのですね」


 ファナが感心する。


「座長の悪い考えは、だいたい同じ顔をする」


 安全を削る。


 給金を返させる。


 食事を抜く。


 どれも今日だけなら金を残せるが、次の舞台を失う方法だった。


「切符を三銅貨に上げましょう」


 リヴィアは言った。


 百六十枚なら、銅貨百六十枚の差になる。


 同じ満員でも、馬の飼料と数日分の食費を残せる。


「次の町の相場より高ければ、客が減ります」


 ノアが指摘する。


「二銅貨で赤字に近いなら、売るほど苦しくなります。満員印を取って一座が潰れては意味がありません」


「私も値上げに賛成だ」


 ダガンが帳簿の材料費を指す。


「壊れた物を直す金まで、その日の客から受け取っておくべきだ」


 トワは紙へ、銅貨三枚と椅子を描いた。


 その横に、子どもの小さな姿を加えて首を傾げる。


「子どもが払えなくなる、と?」


 トワがうなずく。


 リヴィアはすぐに答えられなかった。


 安くすれば見る人は増える。


 だが、その結果一座がなくなれば、誰も見られない。


「子ども料金を別に決めます」


 ひとまず、そう答えた。


 誰を子どもと数えるのか。


 大人でも三銅貨を払えない者はどうするのか。


 まだ決めるべきことは残っている。


 次の巡業地の候補は二つあった。


 一つは、北の商業都市カーデル。


 劇場も裕福な客も多いが、ここから七日かかる。二つの有料橋を渡り、入市税も必要だった。


 もう一つは、川沿いの町ミレナ。


 二日で着く。


 町の集会場を無償で貸し、百二十席の公演を受け入れるという申請書が届いていた。


「ミレナなら、今ある金で着けます」


 ノアが言った。


「公演を一度行えば、その売上でカーデルへ向かえる」


 申請書の日付は、十二日前。


 追記には、先日の大雨で西街道の一部が傷んだものの、通行は再開したとある。


 町そのものの被害については、書かれていなかった。


「道の状態が悪ければ、馬車を止める」


 ダガンが条件を出す。


「承知しました」


「今、迷わず答えたな」


「安全責任者の停止命令には従う契約です」


「分かっているならいい」


 目的地は、ミレナに決まった。


 出発の準備を始めると、ファナが宿から大きな衣装箱を三つ運んできた。


 ダガンは一つ目を見た時点で首を横へ振る。


「載らん」


「まだ中身を見ていません」


「箱の大きさを見た」


「衣装と靴と、呼び歩きに必要な鐘です」


「一箱にしろ」


「どれを捨てろと?」


「捨てろとは言っていない。選べ」


 ファナは三つの箱を開け、悩んだ末に一箱へ詰め直した。


 残りは宿の女将へ預け、給金が貯まったら取りに戻ると約束する。


「旅一座は、役より先に荷物を選ぶんですね」


「毎日上演するのは、積み込みと荷下ろしです」


 リヴィアも一緒に箱を持った。


 五人を乗せた舞台馬車は、翌朝レナートを発った。


 ミレナまでの道は、途中までは乾いていた。


 二日目の午後、川へ近づくにつれて泥が深くなる。


 道端には、水を吸った家具や寝具が積み上げられていた。


 畑の柵には枯れ草が絡み、家々の壁には、人の腰ほどの高さまで泥の跡が残っている。


「街道の一部が傷んだ、という書き方ではありませんね」


 ノアが申請書を見直す。


 町の入口に門はなかった。


 あったはずの木門は横倒しになり、住民たちが泥を落としている。


 ミレナの役人は、一座の申請書を見ると深く頭を下げた。


「来ていただいたのに、申し訳ありません。依頼を出した翌日に、川があふれました」


「集会場は使えますか」


 リヴィアが尋ねる。


「屋根は無事です。ただ、今の町では切符が売れないと思います」


 店は半分以上閉まり、食料と材木の値段が上がっている。


 住民が持つ銅貨は、パンと修繕へ消えていた。


 芝居を見たい者がいないのではない。


 芝居へ払う金がない。


 それは、満員になっても財布が空だった〈青い天幕〉より、さらに深刻だった。


 役人と話している間、一人の少年が舞台馬車を遠巻きに見ていた。


 トワの青い看板を見上げ、勇気を出すように近づいてくる。


「お芝居の切符、いくらですか」


 値上げを決めたばかりだった。


「大人は三銅貨です。子どもの値段は、これから――」


 少年はリヴィアの言葉を聞き終える前に、握っていた右手を開いた。


 小さな掌にあったのは、銅貨ではない。


 糸の切れ端が残った、青い木のボタンだった。


「これじゃ、だめですか」

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