第20話 片脚の大道具
「戦を見世物にする連中のために、俺がもう一度、あの荷車を作ると思うな」
ダガンは構造図を机へ戻した。
追い出すために怒鳴りはしない。
ただ、話は終わったという顔で梁を削る作業へ戻る。
リヴィアは図面を受け取らなかった。
「この荷車を知っているのですか」
ダガンの鉋が止まる。
「知っている」
「聞かせてもらえますか」
「芝居に使う話を、また一つ増やしたいか」
「使ってよい話かどうかを、先に決めるのはあなたです」
リヴィアは、聞き取り記録と新しい台本を机へ置いた。
誰から、どの話を聞いたか。
名前を出してよいか。
上演前の確認を受けたか。
すべての頁に署名がある。
「荷車の話は、五人から別々に聞きました。あなたの名も出ましたが、台本には書いていません」
ダガンは台本を開いた。
英雄が泥へ転ぶ場面。
豆が三粒しかない鍋。
工兵が丸太と縄で荷車を持ち上げる場面。
戻らなかった者を笑いへ使わないという注意書き。
頁をめくる手が、ある箇所で止まった。
「実際の荷車は、こんなに軽く持ち上がらなかった」
「何を運んでいたのですか」
「歩けない負傷者が九人。包帯と薬。戦死者の名簿。置いていけないものばかりだ」
帰還の途中、車軸が泥の中で折れた。
替えの軸はなく、乾いた木材も残っていなかった。
ダガンたちは濡れた梁を削り、石と丸太で荷台を持ち上げた。
一度目は成功した。
二度目、支えに使った石が泥へ沈んだ。
荷台が傾き、外れた車輪が跳ねた。
「俺の左脚は、その下にあった」
ダガンは木製の義足を測量棒で軽く叩いた。
乾いた音が一度だけ響く。
「町の記念板には、仲間を救うため片脚を捧げたと書かれている。違う。支えの深さを読み違えた俺の失敗だ」
「負傷者は?」
「全員、町へ戻った」
「なら、失敗だけではありません」
「勝手に美談へ戻すな」
声が低くなる。
リヴィアは口を閉じた。
本人が失敗と呼ぶ経験を、外から功績へ言い換えるべきではなかった。
「失礼しました」
「哀れむのもやめろ。脚が一本減って、測る前に二度考えるようになった。それだけだ」
ダガンは義足で床を踏んだ。
ぐらつきはない。
作業台の高さも、工具の配置も、片脚で動くことを前提に整えられている。重い梁を持ち上げる滑車は、腕力に頼らず一人で操作できる構造だった。
失ったものを眺めるより、今ある身体で仕事ができる場所を自分で作っている。
トワが図面の余白へ書いた。
――どこを直せば、安全になりますか。
ダガンは返事をせず、トワを見る。
彼女には、今までの会話の要点をリヴィアが紙で伝えていた。
トワは赤い白墨を差し出す。
同情ではなく、修正を求めている。
ダガンは白墨を受け取った。
「車輪を、本当に外す必要はない」
構造図へ太い線を引く。
「内側の軸は固定する。客席から見える外輪だけを軽い板で作り、ここで落とす」
外輪の下には、浅い受け箱を置く。
客席側へ転がらないよう二本の紐で留め、落下は指一本分の高さに抑える。
荷台そのものは蝶番で傾けるが、役者の体重を受ける床とは分ける。
丸太を差す位置にも、実際の荷重はかからない。
動いて見える部分と、人を支える部分を切り離す。
「舞台道具は、客を騙してもいい。役者まで騙すな」
トワは修正された線を追い、外輪をもっと大きく描き直した。
ダガンがその半分まで消す。
トワが少しだけ大きくする。
また消される。
三度目で、ダガンの白墨が止まった。
「その大きさなら、落ちても骨は折れん」
トワが丸をつける。
「助言の代金を支払います」
リヴィアが言うと、ダガンは白墨を置いた。
「図面を直しただけだ。作るとは言っていない」
「図面だけでは足りません」
「なら、荷車の場面を削れ」
「削りません」
「自分の脚を折りたいのか」
「折りたくないので、あなたへ頼んでいます」
二人の視線がぶつかる。
「町には、ほかにも大工がいる」
「腐った支柱へ塗料を重ね、九年間使った人たちです」
「俺が英雄の芝居を嫌っていると知っているだろう」
「芝居を好きになる必要はありません」
リヴィアは、修正された図面を指した。
「腐った城壁を一目で見抜いた。図面だけで車輪が飛ぶ方向と、私が怪我をする場所まで分かった。今の一座に必要なのは、その判断ができる人です」
「片脚の帰還兵を大道具係にすれば、話題になると思ったか」
「思っていません」
「戦を知る人間がいれば、芝居に重みが出ると?」
「あなたの過去を、宣伝には使いません」
リヴィアは一つずつ否定した。
「必要なのは、あなたの脚でも、戦争の話でもありません。危険な舞台へ、駄目だと言える技術です」
グラーデンでは、風で天幕が落ちた。
フィオラでは、角灯と白幕を三人だけで管理した。
これから客席も舞台も大きくなれば、リヴィアが主演と安全確認を同時に続けるには限界がある。
「あなたには、舞台を止める権限ごと頼みます」
ダガンの眉が動いた。
「座長よりも上か」
「安全に関することなら」
ノアが答えた。
それまで黙っていた彼へ、ダガンが目を向ける。
「その名前を、どこかで見たと思った。ヴァイス記録官」
「覚えていましたか」
「荷車に載せた名簿の表紙に、お前の署名があった」
ダガンはノアの顔を見据えた。
「翌日、北門で二十三人の名を読み上げられなかった男だ」
「はい」
「今度は英雄の台詞も書けないらしいな」
「書きませんでした」
ノアは逃げずに、台本の最終頁を開いた。
帰還した者を数える場面。
戻らなかった者のために空けた場所。
最後に、全員で靴を脱ぐ場面。
「勝利の演説はありません」
「台詞から逃げたのか」
「そう見えるなら、公演の前に私が説明します」
ノアの声が少し掠れた。
大勢の前で話すと考えただけで、喉が反応している。
それでも言葉を続けた。
「この芝居が、戦争を軽く扱うためのものではないと。九年前に消した人々を、今度は舞台から消さないためのものだと」
ダガンはしばらく答えなかった。
「客の前で言えるのか」
「長くは無理です」
「なら、短く言え」
彼は図面を引き寄せた。
「条件がある」
舞台の床から作り直すこと。
動く大道具へ、許可なく触れないこと。
稽古中でも危険と判断したら、その場で止めること。
止めた理由に、役者も座長も口を挟まないこと。
そして、仕事には正規の報酬を支払うこと。
「同情で働く気はない」
「こちらも、無償で頼む気はありません」
ノアが作業費を提示する。
ダガンは材料費と日数を計算し、少しだけ金額を下げた。値引きではなく、使わない装飾を削った分だった。
仮契約書の役職欄へ、自分で書く。
舞台機構・安全責任者――ダガン。
「勘違いするな。祭りが終わるまでだ」
「承知しています」
「一座へ入ったわけでもない」
「まだ、頼んでいません」
ダガンが初めて、わずかに口元を曲げた。
「なら、話は早い。まず腐った舞台を全部剥がす」
測量棒が、リヴィアの足元を指す。
「主演。そこをどけ。仕事の邪魔だ」
その日のうちに、砦前広場の床板が剥がされた。
表面だけ塗り直された板の下から、腐った梁が三本見つかる。ローデンも実物を見ては反対できず、舞台設備の修繕費は町が負担することになった。
ダガンは自分で重い板を抱えない。
滑車を梁へかけ、縄の角度を変え、トワとノアにも同じ力で持ち上げられるようにする。義足が置ける場所を先に確保し、一歩ごとの足場を作ってから作業を進めた。
トワが新しい床板へ赤と青の印を描く。
赤は立入禁止。
青は役者が動いてよい線。
最初、ダガンは幕の後ろにいるトワへ声だけで指示を出した。
返事がないのを見て、すぐに測量棒で床を叩こうとする。
途中で手を止め、彼女の視界へ回った。
紙へ短く書く。
――右の紐を、指二本分短く。
トワがうなずき、結び目を直す。
「聞こえない相手との仕事は、面倒ですか」
リヴィアが尋ねる。
「伝わらない指示を繰り返すほうが面倒だ」
ダガンは、それ以上を問題にしなかった。
完成前の荷車には、リヴィアと同じ重さになるよう砂袋を載せた。
外輪を落とす。
軽い板の輪は浅い受け箱へ収まり、二本の紐が客席側への動きを止める。荷台は手のひら一枚分だけ傾き、砂袋は青い線の内側に残った。
リヴィアが次は自分で試そうとすると、赤い札が上がる。
「まだだ。留め紐を二重にする」
安全責任者の停止に、主演も座長も口を挟まなかった。
二度目の試験。
三度目。
五度目でようやく、ダガンは青い札を上げた。
「明日は主演を乗せる。失敗したら、その場で作り直す」
許可を出しても、確認を終えたわけではないらしい。
哀れな帰還兵ではなく、舞台を止められる安全責任者として。
片脚の大道具係が、〈青い天幕〉の舞台へ加わった。




