第16話 二つ目の印、新しい仲
最後の光が消えても、王立役紋局の監督官は拍手をしなかった。
胸元の銀章へ手を添えたまま、白幕と客席を見比べている。
リヴィアたちが舞台を下りると、彼はすぐにミナを呼んだ。
「入場券の確認を」
余韻に浸る間もなく、切符箱と半券が机へ運ばれる。
ノアが売上帳を開き、ミナが一枚ずつ数えた。監督官は客席の列を歩き、途中で帰った者がいないか、参加を強要された者がいないかを確かめていく。
空になった広場で、トワは白幕を片づけずに待っていた。
上演そのものは終わった。
だが、正式な芝居として認められなければ、二つ目の印は得られない。
監督官が戻ってくる。
「有料入場者、百名」
規定は八十名。
「途中退場、なし。客席参加を拒んだ者にも、不利益はなし。影絵師が人物または動物の役を演じた事実もない」
リヴィアは息を吐いた。
監督官は、まだ表情を緩めない。
「喝采魔法は発生した」
「はい」
「行き先は、登録された〈空白〉。風響晶への異常な流入も、設備への損害も確認されなかった」
彼は上演停止命令を取り出した。
裏側には、トワが描いた百人の客席が残っている。
「私は昨日、これは芝居ではないと言った」
監督官は赤い文字の部分を、端から細く破った。
絵を傷つけないように。
「訂正する。私が知らなかっただけだ」
残った紙の隅へ、上演確認済みと署名する。
百人の手が描かれた正式な記録を、監督官はトワへ返した。
ミナが巡業札を机の上へ置いた。
七つある円のうち、一つ目には交差するつるはしが刻まれている。
その隣へ、フィオラの印章を押す。
渦を巻く風の中心に、開いた手のひら。
二つ目の満員印だった。
トワは印へ顔を近づけ、指先で輪郭をなぞる。次に両手を上げ、昨夜と同じ静かな拍手を送った。
ミナも同じ動きを返した。
「〈青い天幕〉の公演記録には、正式に三名の名を残します」
主演、リヴィア・フェン。
脚本・進行、ノア・ヴァイス。
影絵演出・図案、トワ。
一人も、美術補助には書き換えられていなかった。
残りの印は五つ。
期限までは、七十二日。
まだ先は長い。
けれど巡業札に並んだ二つの印は、偶然ではなかった。
石切り町では、英雄一人の物語を町の人々へ返した。
風の町では、声を出せないことを欠点にせず、新しい舞台の形に変えた。
どちらも、王立劇場で決められた役を正しく演じるだけでは得られなかった印だ。
翌朝、三人はサナの工房に集まった。
ノアが帳簿を広げる。
百人分の切符代から、会場使用料、色板の材料費、角灯の借り賃、印刷代を引く。
残った額の八分の一を、小さな革袋へ入れる。
次の町までの食費と舞台馬車の修繕積立は、トワの取り分を確保したあと、〈青い天幕〉側の収入から分けた。
「契約どおり、トワさんの報酬です」
トワは袋を受け取り、中身を机の上へ並べた。
一枚ずつ数え、帳簿の数字と照らし合わせる。
「信用されていませんね」
ノアが言うと、トワは迷わずうなずいた。
「正しい態度です。私も自分の帳簿を、月に一度は疑います」
金額が合うと、トワは受領欄へ署名した。
名前の横に、いつもの青い鳥を描く。
それが、影絵師として初めて受け取った報酬だった。
革袋を大切そうにしまったあと、トワは新しい紙を一枚出した。
――次の町では、何を作りますか。
「まだ決まっていません」
リヴィアが答えると、トワは舞台馬車を指した。
――では、行ってから考えます。
「次の町へ?」
トワがうなずく。
もう一枚、用意していた紙を重ねた。
――〈青い天幕〉に、影絵師として入りたいです。
リヴィアはすぐに返事をしなかった。
最初の契約には、本人の希望なく町の外へ連れ出さないと書いた。今、本人が望んでいるからといって、十四歳の少女をそのまま馬車へ乗せてよいわけではない。
サナは娘の紙を読み、腕を組んだ。
「昨日のうちに聞いていたわ」
反対なら、工房へ来るよう呼ばなかっただろう。
それでも母親の顔は厳しい。
「心配なのは、耳が聞こえないことじゃない。この子が十四歳で、あなたたちの一座に金がなくて、馬車の車輪に人格の問題があることよ」
「最後の一つは否定できません」
ノアが答えた。
「残る二つも否定してください」
「年齢は変えられません。金も、今朝になって急に増えてはいません」
サナは頭を抱えたが、ノアは帳簿を隠さなかった。
残金。
四十三銀貨から始まった負債の残額。
七つの印を集められなかった場合に、舞台馬車まで失う条件。
現在の巡業路と、これから向かう町。
良い話だけで娘を連れていくつもりはないと、数字で示した。
「トワを必要とする理由は?」
サナがリヴィアへ尋ねる。
「聞こえないからではありません」
リヴィアはトワにも読めるよう、答えを紙へ書いた。
影を使って、場所と時間を作れる。
客が理解できない動きを見抜ける。
年上の役者が相手でも、間違いを間違いだと言える。
百人の観客へ、声を使わず一つの合図を届けられる。
「今の〈青い天幕〉に、その仕事ができる人はトワだけです」
トワは文章を読み終えると、口元を少し上げた。
――手伝いではありませんか。
以前と同じ問いだった。
リヴィアは覚えた手話で答える。
――仲間です。
今度は指の向きも、手を置く位置も間違えなかった。
サナはすぐには署名しなかった。
舞台馬車の寝床を確かめ、旅の安全規則を読み、緊急時に誰がトワへ知らせるのかを尋ねた。
三人で新しい契約を作る。
六日に一度は休養日を設ける。
一人で夜道や高所の作業をさせない。
危険の合図は、必ず視覚でも伝える。
町へ着くたび、工房へ手紙を送る。
本人が辞めたいと申し出た場合は、一座の費用でフィオラまで送り届ける。
仕事内容と報酬は、年齢を理由に低くしない。
最後の行には、こう書いた。
所属――旅一座〈青い天幕〉。
役職――影絵師、舞台美術。
氏名――トワ。
先にトワが署名する。
サナが保護者同意欄へ名を書き、ノアが座長として署名した。
リヴィアも、団員側の確認者として自分の名を加える。
トワは三つの署名を見比べ、その下へ大きな青い鳥を描いた。
〈青い天幕〉に、新しい仲間が加わった。
サナは娘を抱き締める代わりに、使い込まれた道具箱を机へ置いた。
小刀、定規、細筆、色粉。工房でトワが使ってきたものが、隙間なく収められている。
「貸すだけよ。町ごとに仕事と収支を書いて、手紙を寄越しなさい」
トワは「分かった」と手話で返し、道具箱を自分で舞台馬車へ運んだ。
ノアが次の巡業地を地図で示す。
北西へ四日。古い砦を中心に広がる駐屯町では、間もなく戦勝記念祭が開かれる。
役所から届いた募集札には、大きな文字で書かれていた。
――町を沸かせる、勇ましい英雄劇を求む。
ノアの指が、その一文の上でわずかに止まった。
すぐに地図を畳み、何事もなかったように荷造りへ戻る。
リヴィアは気づいたが、今は尋ねなかった。
その日の午後、出発の荷造りをしていたトワが、突然リヴィアの胸元を指した。
視線を落とす。
服の襟元から見える〈空白〉が、淡く光っていた。
「まだ、昨日の役が残っているのでしょうか」
舞台馬車の鏡を外し、明るい場所で確かめる。
役紋の中央は、これまでと同じく空白だった。
しかし下端に、髪の毛ほど細い線が一本ある。
緩やかに上へ向かう、短い曲線。
英雄の剣でも、姫君の冠でも、道化の鈴でもない。
リヴィアが過去に借りた、どの役の形とも違っていた。
「昨日まではありませんでした」
ノアが登録時の写しを持ってくる。
そこに描かれた〈空白〉には、線一本さえない。
「借りた役紋なら、終演とともに消えるはずです」
「では、これは何ですか」
「分かりません」
ノアは曖昧な推測で埋めず、正直に答えた。
トワが帳面へ、三人と客席の絵を描く。
その中心に、小さな線を一本加えた。
リヴィアは舞台記録を開いた。
公演名。
百人の観客。
脚本を書いた者。
光と影を作った者。
舞台上で待った者。
すべての名前と仕事を記し、最後に役紋の変化を書き加える。
誰か一人の功績にはしない。
あの線が何を意味するのか、まだ分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
リヴィアの〈空白〉は、もう何もない印ではなかった。




